第48話 ティニー、相談する
印刷の技術が発達してきたとは言っても、依然本というものは貴重なままだ。ただ、教科書はある時期にまとまって大量生産ができて、それでいて大口の買い手が決まっている。
教育というのは国家の基盤政策の一つであるからして、教科書は本であるが安価で入手が可能だ。それでも平民や貧乏貴族はお古の教科書を使うと言うが、今回ケチる理由はなく、ピカピカの新品である。
そんな教科書を前に頭をひねらせる者が3人。子供達とリーリャだ。ただ、今子供達はこの場にいない。
先ほどまで頭をひねらせ、目に渦巻き模様を作り出していた子供達は、今頃夕食でも食べている頃だろう。ここは館で、リーリャの執務室だ。
「どうすれば上手く教えられるニャか……」
「だから何度も言っていますように、まずは自分がしっかり教科書の内容を理解しないといけないのでは?」
「ウチは勉強嫌いニャ」
真顔でそう言い切るリーリャに、ティニーは頭を押さえて呆れたように大きなため息をつく。ずっとこの調子なのだ。
子供達に座学を教え始めてから早2週間。なんとか教科書通りに授業を進められているが、リーリャのする授業は評判が悪い。
面と向かってわかりにくいと言われるわけではないのだが、明らかにティニーが教えているときより子供達の顔色が悪いのだ。つまりよく理解できていないということ。直接言われなくても、さすがのリーリャも自らの教え方が未熟であるということを理解している。
「我々にも適材適所というものがあります。座学は私に任せてください」
「でも……、ウチはフィリーに子供達の教育を任されていて……」
指導役という仕事を務めるようになってから少し時間が流れて、いろいろと勝手がわかってきた。わかってきたからこそ、自らの未熟さが理解できるようになる。
リーリャのモチベーションはものすごい勢いで低下していた。
それでも彼女が投げ出さずに仕事を続けているのは、この仕事がフィリーや国王陛下から直々に与えられたものだからだ。彼女に与えられたのは、子供達を立派に育てろという教育者としての仕事。
だからこそ、自らが教えるということに固執し、持ち前の柔軟な思考能力を上手く発揮できていない。
こうして執務室のソファーにだらりと寝そべっては、ティニーが呆れたようにため息をつく。これがもう1週間も続いているのだ。
一度や二度なら良かったものの、一週間も続けられるとさすがのティニーも頭にくるもので、日に日に態度が悪くなっている。そんなティニーのことなど考えもせず、リーリャはリーリャで日に日に自責の念が強くなっているのだ。
「リーリャがねぇ……、あの子元々溜め込みやすい繊細な子なのよ」
「溜め込みやすいって……、何か言ってやってくださいよ」
「そうねぇ」
だらだらと執務室で落ち込み続けるリーリャを放置し、ティニーは1人フィリーの執務室へとやってきた。午前中から働きづめであったフィリーも、夕方にもなればある程度落ち着いていて、こうして紅茶をたしなみながら雑談をする余裕が出てきている。それでも依然として彼女の机の上には書類が溜まっている。
彼女曰く、これは明日でもいいものだから、とのことだ。
「リーリャも疲れているのよ。体力はある方だと思うんだけれど、さすがにここまで環境が変わっちゃうとね。最近いくら寝ても寝覚めが悪いの。私もリーリャも」
そういう彼女の目の下に隈は見られない。毎朝リーリャが起きてくる前に隠しているのだとか。ただそれをリーリャが気付かないはずはない。
それでもリーリャはフィリーに何も言わないから、フィリーは隈が上手く隠せているものであると思っている。互いに気を遣う姿は、ティニーから見ると羨ましい光景であった。
フィリーは使用人達を大切にしている。王都によくいる貴族のように、自分は毎日働いているんだから、君らも毎日働きなさい、といったようなことは言わない。
しっかりと使用人に休みを取らせて、休みの日に時間を潰すための施設まで敷地内に用意している。ある使用人は一日中ジムに潜って、夕方になるとサウナに入ってふんどしで池に飛び込んでいる。
ある使用人は敷地の外れに設置された畑で野菜を育て、その日の夕食に使ってもらっては主の反応をにこにこと眺めている。
ある使用人は複数の使用人で休日のタイミングを合わせ、教会の少し先に作られた小屋で楽器の練習にいそしんでいる。
そんな様子の使用人達は、1週間に一度ある休日のために仕事をし、モチベーションを高く保って仕事に打ち込むと同時に、主への忠誠心を高めている。
王都の貴族が特別悪いというわけではない。百年以上成長著しいこの国では、働けば働くほどお金が稼げて、生活がよくなるという経験があり、それが社会全体の雰囲気へとつながっている。
貴族が使用人に毎日働くように強いることを、大変だと思えど貴族の横暴だと怒ることはない。それがスタンダードで、日常だ。
それでもフェリシア王女殿下は使用人に休みを取らせることで有名で、それ故に王都では使用人から舐められることも多かった。
そういった使用人はこちらに来るときに異動させているから、今ここにいるのは感謝はすれどそれで舐めるような者たちではない。
そんな使用人の労働環境に気を遣うフェリシアであるが、彼女は自らの体を労るということを知らない。彼女のワークライフバランスはワークに大きく偏っている。
朝起きて、隣で眠りこけるリーリャの頬にキスをすると、顔を洗って館内の見回りを行い、朝早くから起きて仕事をしている使用人達に声を掛けて回る。
そしてリーリャを起こして世話を焼くと、朝食を取って執務室に入る。そのときにはすでに彼女の机の上にはたくさんの書類が積まれていて、それを紅茶をたしなみながら処理していく。
午後になると落ち着くとは言え、それでも休憩をほとんど挟むことなく仕事を続けた彼女は、すっかり疲れ切った表情で少しだけ仮眠を取る。ベッドに行くわけではなく、執務室の椅子にもたれかかるだけだ。熟睡してしまうから、とソファーを使うこともない。
その後は疲れていることを悟られないように軽く運動して顔を整えると、村から帰ってくるリーリャを笑顔で出迎えて、少し愛でてまた執務室へ戻る。
夜はリーリャの寝息が聞こえてから眠り、リーリャが起きる前に目を覚ます。ワークに偏っているというか、リーリャに偏っているというか。
「でしたら、一度少しお休みを取ってみてはいかがですか? お二人で」
「休み? 私が? リーリャだけでいいんじゃないかしら」
「リーリャさんだけが休みを取っても意味はないでしょう。2人で休みを取ることに意味があるんです」
では、そういうことでお願いします。と一礼したティニーは、よく理解していない表情で首を傾けるフィリーを残して、フィリーの使用人が集まる部屋へと向かった。
次の更新予定
2026年7月17日 19:00 3日ごと 19:00
猫獣人の元聖女、辺境で孤児を鍛えます。 べちてん @bechiten
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