第47話 フィルマ、落胆する

「エルはどうだったニャ?」

「一生懸命でいい子ですね。少々注意力散漫なところはありますが、真面目で前向きですから、きっといい側仕えになれましょう。ただ、王宮に来て心を病んでしまわないか、それが心配です」

「精神面を鍛えていく必要があるニャね」

「はい。貴族出身の者であれば社交界の悪い面にも多少慣れているでしょうが、このような地で育った者が、いきなりあの場に放り出されて平常心を保つのは難しいでしょう」


 今日一日の指導を終えて早めに屋敷に戻ってきたリーリャとティニーは、リーリャの執務室のソファーに座って本日の振り返りを行っていた。


 ティニーの言うとおり、王宮というのは様々な謀が行き交う魔境の地だ。聖女であればその中に足を踏み入れる機会があった。リーリャはあまり多くはなかったが、その数回で辟易としてしまうものだ。


 その魔境に踏み入れてエルビアは無事でいられるか。ティニーは今のままではいけないと強い危機感を抱いている。


「今のエルビアは純粋すぎます。人を疑って掛かる、悪意に慣れる、そして敵を貶めても平常を保っていられる度胸を持つ。少々酷ですが、厳しめにそういった指導はしていくべきです。彼女のためにも」

「そうニャね。きっと平民出身のエルは差別されるニャよ。差別は慣れていてもつらいものニャ。だからこそ、しっかり対策しないと」


 子供を育てるとき、必ずしも甘やかすことが子供のためになるとは限らない。時にはキツく接して、困難に立ち向かわせて、自らで歩める力を付けさせなければ。


「……1年くらいしたら、オストリアにある収容所にでも行ってみるかニャあ」

「ええ、それがいいでしょう」


 収容所。罪を犯した者達が一時的に収容される場所。そこには悪意が蔓延している。他人から激しい悪意を向けられるということがどのようなことなのか。彼女たちには体験したもらわなければならない。心苦しいが。








「本がいっぱいだな!」

「そうニャね。これはみんなの教科書ニャ」


 リーリャたちがこの町に来てから1ヶ月ほどが経過して、子供達は皆それぞれの訓練に慣れてきた。リーリャやフィリーもこちらでの生活に慣れてきていて、そろそろ物事を本格的に進める時期に入っている。


 フィリーは王都から持ってきた書類が一通り片付き、今は近くの村々を回って己の領土がどのようになっているのかの調査をしている。


 これが終われば本格的に彼女の領主生活が始まる。


 リーリャとティニーはここまで基礎的な実習を教えてきた。リーリャは剣の持ち方や動き方、基礎的な魔法の使い方とそのコントロールについてなど。


 ティニーはエルビアに基本的なマナーを教えていた。


 ただ、今日からそういった生活は区切りを迎えることとなる。


 先日、屋敷に王都から荷物が届いた。これは王都の学院で使用している座学の教科書だ。算数、歴史、地理などなど、いわゆる物事を考える上での基礎知識となるものだ。


 ということで、今日から本格的に座学が始まる、というわけだ。




 届いた本が大好きな子供向け絵本ではないと知ったフィルマは露骨にテンションを下げ、嫌そうな顔をしながら教科書を眺めている。


「俺は勉強嫌いだぞ」

「勉強は大事ニャ」

「だって大きくなっても算数とか使わねぇから」

「使うニャよ。基礎的な知識は学んだことを使っていると気付く間もなく活かされるものなんだニャ」


 そうはいっても嫌なものは嫌なわけで、フィルマは依然嫌そうな顔をしている。そんなフィルマをひとまず椅子に座らせて、ソファーで遊んでいたレネットとエルビアも着席させる。


 この家に授業をするための部屋があるわけもなく、これから先座学はリビングで行うことになる。


 黒板は簡易的な小さいサイズのものを屋敷から持ってきていて、それをみんなが見える位置に配置した。脚にキャスターが付いていて使わないときはリビングの隅っこに寄せておく。


「嫌かもしれないニャが、王都に行ったときにみんなが学院出身の同僚に馬鹿にされないように、これからしっかり座学もやっていくニャ」


 サポートのティニーが教科書をみんなの前に配る。


 座学に対する反応は三者三様で、露骨に嫌そうな顔をするフィルマ、うれしそうにニコニコしているのがレネット。内容は関係なしに、新品の本に喜んで目を輝かせるエルビア。


 まあそんなものだろう。


 それでも、こうして辺境からやってくる子供達には王都の学院で育ったボンボンに負けないほどの知識と教養を身につけさせる必要がある。


 知識のない彼女らを雇って、野蛮人を雇っていると馬鹿にされるのは雇い主であるフェリシア王女殿下だ。サロンでネチネチと暗喩を使って皮肉を言ってくるに違いない。彼女にそんな惨めな気持ちを味わわせる訳にはいかないのだ。


 そして、それで苦しむのはフィリーだけではない。野蛮人と揶揄される彼女らには直接その罵声が届くのだ。


 そんなことあってはならない。必死に実力を積み上げてきた彼女らはそのような罵声を浴びる理由がないのだ。親の七光りで王宮内に適当な仕事を当てられた様な屑人間に罵られていいはずがない。


 生まれで王都の温室育ちには勝てない。だからこそ、他の点で並び立ち、ある点では抜かさなければならない。並び立つのは学問で、突出するのは専門技能。


 前述したいじめはリーリャが王都でされてきたことであり、それをはねのけたのは彼女の圧倒的な聖魔法だった。

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