たぶん白シャツのせい
滋賀 唯一
第1話
「僕、どんぐり探しに行ってくるー!」
無邪気な大声。
私は幼い声の持ち主に気づかれないよう、チラリと視線を向けた。
保育園児だか、幼稚園児だか、黄色の帽子を被った男の子は、黄色い帽子の集団から少し外れたところにいる。
「どんぐり探しに行ってきますー!」
今度は少し丁寧になった。
さっきと同じくらい大きな声で宣言している。
きっとこれが彼の最大音量なんだろうと思った。
自然と目が細まる。
ピンク色のエプロンをつけた2人の女性は、黄色の帽子に囲まれながら滑り台の側にいる。
彼が目指す先にはゲートボールをするご老人たち。
その向こうにはボールを蹴り上げて遊ぶ小学生男児たち。
「はあー。」
春だなあ。
青い空を見上げながら、賑やかな公園のベンチに息子と2人で腰掛ける。
息子は水筒を持ったまま、お兄さんやお姉さんが走り回るのを食い入るように見つめ、固まっていた。
せっかくの陽気に釣られて散歩に出たが、思ったよりも人が多くて息子は上手く歩かない。
どうも気が散るらしい。
水分補給も瞬きも忘れて、口を開けっぱなしている息子を見下ろしながら、これじゃあ運動にならないじゃないかと小さくため息を吐いた。
だが、小さな不満など、どうでも良くなるくらいに天気がいい。
春休みを心持ちにして浮き足立つ子供たちの期待が、ようやく花をつけた木々を軽やかに揺らしている。
「コウスケくん!?」
ほのぼのとした空気を切り裂くような女性の声に目を向ける。
ピンクエプロン先生だ。
どんぐり坊やならゲートボール会場の端ですよ。
私が声をかけるまでもなく、黄色い帽子の集団が口々に知らせた。
「コウスケくんにだめだよって言ったよ!」
「あっちの方に走ってったー!」
「さっきコウスケくんね、どんぐりって!」
「あっち?!」
先生は方向を聞き取るや否や血相を変えて走り出す。
ご苦労なことだ。
当のコウスケくんはと言うと、先生の呼ぶ声に反応してこちらに駆け寄って来ていた。
2人は私たちの目前で落ち合った。
私は息子の靴の土を払ったり、水筒を口へ近づけたりしながら、「ゆっくり飲みなね〜」なんて言った。
「ねぇ!コウスケくん!だめでしょ!」
先生は少年の両腕を掴んで言った。
「1人で行ったらだめだよね!1人で行ったらだめって知ってたよね!なんで行ったの?」
彼女の焦りは少年に一刻の猶予も与えなかった。
「先生びっくりした。コウスケくんいなくなって怖かった。悪い人に攫われちゃうかもしれないんだよ。」
少年はじわりじわりと泣き出した。
私には、捲し立てられた彼の「だって、だって」という言い訳が瞳に滲んでいるように見えた。
彼女にはまた違って見えたのだろう。
「先生も大きい声出してごめん。大きい声出してごめんねだったけど、1人で行っちゃだめ。危ない。」
彼女は声量を抑えて、でも構わず言った。
「コウスケくん、さっきちゃんと…」
か細い擁護の声も届かない。
うんうん、さっきちゃんと宣言してたよね。
心の中で返事をする。
先生と同じ位置にいたあの子に聞こえていたんだから、先生が聞いてなかったんだよ。
口が達者になればそんな生意気も思いつく。
「コウスケがいなくなって先生どれだけびっくりしたかわかる?ねぇ、なんで行ったの?」
「…どんぐり」
「どんぐりぃ?」
大きなため息が聞こえてくるようだった。
思わず笑いが漏れた。
彼女のお説教はその後も続いた。
少年は先生の言葉を涙を流しながら黙って聞いて、「もう行かないよ?」という最後の言葉に強く頷くとブランコの列に並んでいった。
滑り台の下の方に植ってる木、どんぐりなのになあ。
公園はうららかなざわめきを取り戻した。
私は砂場へ駆け出した息子の後を追いながら、我が身を振り返らずにはいられなかった。
息子を叱るとき、彼の主張に耳を傾ける余裕が私にあるだろうか。
もう2歳になる息子が話せる単語はそう多くない。
今も、同じ年頃の子供が持つスコップを羨ましそうに眺めるばかりだ。
私はリュックサックからダンプカーとミキサー車を取り出して息子の両手を塞いだ。
息子はその場にしゃがみ込み、ご機嫌に車を走らせる。
私は言葉による説得をとっくに諦めてしまった。
「お友達のスコップ取らないよ。」
なんて言っても、
「だめって言ったよね?」
という結果しか生まない。
「ブランコの方が面白そうだよ。行こう。」
と言って手を引いた日には
奇声をあげてその腕振り払おうとし、
振り払えないと泣き喚き叩き、
どうにもならないと知ると軟体動物のように体をクタクタにして地面と一体化する。
そして挙げ句の果てには砂利を食らうのだ。
後始末はもちろん私。
子供への要求は声を荒げる結果しか生まない。
何度も発狂した私は先回りを覚えた。
先回りしても起こるトラブルは、初めて直面することか、どうしたってそうなることだ。
車を両手に持ったまま滑り台を登ろうとする息子の手から車を奪い取る。
「どっちかだよー。」
息子は泣いたが、私はなにも思わなかった。
泣き声をあげてへたり込む息子を滑り台から引き剥がして、ベンチの足もとに転がす。
私は持っている荷物を全部ベンチに置いてから、息子の隣にしゃがんで這いつくばって泣く息子を眺めた。
息子が落ち着くのを待ちながら頭に浮かぶのはいつか見た言葉、言われた言葉、聞いた言葉…
大声で泣き叫ぶ我が子を放置してる親を見ることがありますが、自分が子供の時に同じことをしたら親に叱り飛ばされていたと思います。
体罰はバツです。今から「叩かない」「怒鳴らない」と決めましょう。脳の発達に深刻な影響を及ぼすという研究結果が報告されています。
あかんやんか!アンタ!なにしてんねん!
叱るのと怒鳴るのは別ですから。お母さん頑張って。脅すわけじゃないんだけど、ほら、今のご時世通報されちゃう可能性もあるから…
癇癪を起こした子を抱き上げたら「それは拘束」、噛み付いた子を叱ったら「不適切」って、老害と言われそうですが親が躾しなかった結果でしょう?
コウスケくん!だめでしょ!
もう行かないよ?
鼓膜を揺らす息子の泣き声と、視界の外かに感じる人々の視線。
なにか言わなきゃか。
ノイズで錆びついた思考は上手く回らない。
「あー、車見に行く?ブーブー。」
とりあえず息子にもわかりそうな単語を連呼してみる。
「バナナ買いに行く?バナナ。」
息子は微動だにしない。
「大通りならピーポーいるかな?救急車。」
私は息子を突っついた。
動かない。
まあ、あれだ。
泣き疲れればどうせ泣き止む。
根比べなら負ける気がしない。
最近、時が経つのが早くなってきたのだ。
息子がチラとこちらを伺うたびに、にかっと笑って木の棒やダンプカーをチラつかせた。
最後は結局お菓子である。
お煎餅を見るや否や息子は立ち上がる。
お煎餅を指差して「あーあ?!」と騒ぐ。
「あーはいはい。あげるあげる。食べよう食べよう。手拭いたらね。」
私はそう言いながら息子をベンチの上に置いて、カバンからウェットティッシュを取り出した。
もうお昼ごはんだってのに…
いや、御託は無視だ。
一緒にベンチに腰掛けたところで、ようやく気がつく。
今日公園に来て、ベンチに座ってただけでは…?
「モモ組さーん!そろそろ帰りますよー!」
「スミレ組さんもー!」
あちこちで集合の声がかかって、同じ色の帽子がそれぞれ一箇所に集まっていく。
「私たちも帰ろっか。」
パリポリ音を立てて煎餅を頬張る食いしん坊に声をかける。
「少し座ってて。ベビーカー取ってくるから。」
ベンチ上の息子は当分その場を動きそうにないと判断して、見える位置にあるベビーカーを取りに走る。
モタモタしてるとベンチから降りようとするに違いなかった。
ブランコ向こうに置いたベビーカーを手にして踵を返すと、煎餅を齧りながらこちらを見る息子と目が合った。
ベンチを降りようという気配はない。
私は畳んだままのベビーカーを引き摺って歩いた。
「タイムタイム!」
背後からは小学生男児の遊び声。
「ADの人来たから仕切り直そうぜー。」
耳を疑った。
え、えーでぃい?
私か??
公園からどうやって帰ったか思い出せない。
玄関にある姿見を見ながら、たぶん白シャツのせいだと思った。
もう公園に白シャツは着ていくまい。
たぶん白シャツのせい 滋賀 唯一 @Same_i
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