第30話『波の上を走る自転車 ― ピップの夏休みとユーマ ―』

リード文

夏の光の下で、彼は歩いていた。

ただ風に触れ、ただ景色を眺める――それだけのつもりだった。


けれど、海の上に揺れる影があった。

現実と幻の境い目に立つようにして、彼はその存在を見つけてしまった。


あの夏休みに出会った、不思議な出来事。


本文


俺、浅井大悟。学生。

――そして今は、ピップとして観測を続けている。


夏休みを利用して田舎に冒険の旅に出た。


俺の住んでる所は、大都会じゃないけどまあまあ都会。

だからこそ、田舎の風景や自然にずっと興味があった。

計画を立てて、この夏は観察しながら歩き回ろうと決めていた。


暑い日差しを避けるため、海が見渡せる高台にある神社へ寄ることにした。

「神社ってヒーリングスポットらしく、空気が違うね~。」

ブツブツ言いながら、あっちこっちを観察して回る。


ひとしきり見た後、展望台に腰を下ろした。

潮風を受けながら、ぼんやりと海を眺める。


そのとき――沖の方に、きらめきが浮かんでいた。

暑気で揺らぐ陽炎のように、何かが水面の上を走っている。


目を凝らすと――それは自転車だった。

しかも、その上に、子どものような細い影が乗っている。


「……海の上を、走ってる?」

思わず声が漏れた。


幻覚かと思った。

だが、その影はやがて自転車を降り、波打ち際にしゃがみこんだ。

カニや小魚を眺めて、指先で砂をなぞっている。


胸の奥で、ざわめきが大きくなっていく。

俺は歩みを速め、確かめるように海岸へと足を向けた。


「やあ! キミ……さっき、自転車で海の上を走ってなかった?」

声をかけると、その影はゆっくり振り返った。


ユーマがふと呟く。

「見られると、わたしは見つめ返す。……見られないと、自由。」


意味の分からない返しに、思わず目を瞬く。

頭の中にはいくつもの「?」が浮かんでいた。

けれど、胸の奥で不思議な高鳴りが走ったのも確かだった。


ユーマは首をかしげて問いかける。

「名前、何て言うの?」


「俺、浅井大悟。」

「大ちゃん!」ユーマは笑顔になる。

「大ちゃんは、ちょっと違うね。見つけた! 見つかっちゃった!」


「俺のこと?」

「大ちゃん! 大ちゃん。」


俺はあきれたが、話を変える。

「キミ、魚が好きなんだね。」


ユーマは胸を張る。

「大ちゃんは記録好き! わたし、探検隊!」


流れ着いた木の棒を拾い上げ、剣のように振り回す。

砂浜に舞うしぶき。

俺は動揺を隠し、ただその行動をじっと観察していた。


やがてユーマが近寄ってきた。

「大ちゃん、地球は動いているし、大ちゃんは自分で動いてる。わたし、自由!」


ふいにユーマは背を向ける。

「バイバイ。また遊ぼ。いつでも会えるよ。」


そう言って歩き出した。

俺はとっさに二、三歩追いかけ、呼びかける。


「ところで……なんで頭の上に貝殻乗せてるの?」


ユーマは答えず、にこやかなまま自転車にまたがり、波の上を揺れるように走り出していった。

その背中を、俺はただ見送るしかなかった。

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