【24】哲樹との出会い――邂逅
気晴らしに“フォルテ”エリアの演奏を聴きに行った。未練がましくヴァイオリンケースを携えている。弾く気もないのに。アウトローな演奏街での、それが通行証代わりだった。
「帰り道、気をつけろよ。駅前にヤバいやつがいることがあるんだ」
名前さえも知らないゆきずりの、わけありのプレーヤーたちが忠告をくれた。
「ヤバい? ……ハウラーか?」
「いや……消えたってハナシじゃないんだが、とにかくヤバいんだ。関わり合いになるなよ」
セグメントによって、シュティレの体質はかなり異なっていた。フォルテのシュティレは無免許演奏を黙認してくれる分、音響犯罪に巻き込まれても「自己責任」という見方が強い。バランスはとれていると思うが。
(不破が見たら卒倒しそうだな)
もうやつの検疫に引っかかることすらもないのかもしれない、と自嘲ぎみに思った。インジケーターはシュティレがかなり強硬に導入したものらしく、現在はライセンス発行禁止以上の制約はない。けれどいつ、全エリアで楽器の所持や携行が禁止になってもおかしくはなかった。今でさえ、“アタッカ”や“レスト”エリアではそれが叶わないというのに。音楽へ続く扉は、かたく重く閉ざされている。
人通りの少ない駅の裏手にさしかかると、鼓膜が音を拾った。もの悲しげなチェロの音。同時に、神経が軋むような頭痛がした。雑駁で、粗野で、けれど生命力にあふれた“フォルテ”の音楽とは異質だった。裏打ちされた演奏スキルも、そして地の底を這うような陰鬱なトーンも。
――カザルスの「鳥の歌」だ。音楽で平和を訴え、あらゆる命への祈りを捧げる旋律。やがて、街灯が落とす影のなかに音の主を見つけた。
「おや、こんばんは」
気づいたチェリストが手を止める。痛みが止んだ。崩れかけたブロック塀に腰を下ろしている。アッシュブロンドの無造作なショートヘア。眸にかかる前髪からその眼光がわずかにのぞいたとき、まともじゃない、と思った。チェロの駒の形をした、メタリックシルバーのフックピアスが右耳に揺れる。
「……駅前にいるヤバいやつとは、おまえのことか?」
「そうなんですか?」
なによりも異様だったのは、彼の抱くチェロだった。漆黒のボディに純白の弓。色のない世界から輸入されたような、一切の温度を感じない楽器だった。弦を押さえる左手首にある、f字孔型のタトゥーに目がいく。
「ずいぶん重い音楽だな」
千鳥とは対極の演奏だ。答えるともなくチェリストは答える。ロングマフラーで口許が隠れていて、表情が読みにくい。
「僕にとって音楽は痛みです。……僕は、彼らの代わりに彼らの痛みを鳴らす楽器だから」
「……彼ら?」
「あなたは考えたことはありませんか? 僕らが生きていくために、一体どれだけの命が犠牲になっているか。 食べるものだけではなく、着るものも住むところも、僕らはほかの生き物の体や命を奪って作っている。ひとりの人間が生まれてから死ぬまでに、その何千倍、何万倍の生き物を搾取しているのか」
絶句した。
「……何を言い出すかと思えば……なんだ、何を拗らせるとそうなるんだ?」
ヤバい奴だというのは、間違いなさそうだ。ハウラーではない、らしい。だが、“気をつけろ”とはどういうことだろう。彼の曲を聞いた時のあの、痛み。天雫のシャボン玉のように演奏でもたらされる現象。小さくため息をついて、彼は再び弓を持ち上げた。
「……みんなそういう反応をします。自分のしていることなのに、まるで他人事ですね」
音の立ち上がりが速い。音が一切濁らない。重低音は直線的にクリアで、同時に暴力的だった。そのf字孔から吹き出す音楽が目に見える光となったのを見て、凛は息を呑む。音楽による一閃が、文字通り空間を切り裂く。その空間の“断面”のむこう、別の風景が、わずかに開けた窓のようにのぞいていた。薄暗い“別の風景”が口を開けるように広がる。逃げる間もなく、凛は空間の切れ目に飲み込まれた。
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