【第三十四話.おともだちに】

 九条麗華(くじょうれいか)は、遠山雛乃(とおやまひなの)の前で『抵抗』しているように見えた。

 フルーツナイフを持って、雛乃の首筋に『それ』を当てながら。


 だとしたら、それは誰からなのだろう。

 誰に抵抗して、誰から雛乃を守ってくれているのだろう。


 ――そのだれかさんと おともだちになれたりしないかな。


 ええ、お友達に?

 そんなの、無理だよう。


 ――でもでも そしたら。

 ひなのと れいかと そのこのさんにんで おちゃかい するのになあ。


 雛乃の中には幼い子供がいる。

 三歳の時、認識してからずっと一緒に育ってきた。


 その子『ちび雛乃』は、いつだって雛乃を守ってくれた。

 この殺戮の教室の中で。

 死の気配が命を刈り取り続ける、二年一組の中で。


 最後の二人になるまで雛乃の命を守ったのだった。


 そういえば、ちびとのこんな会話。

 前にもしたこと、なかっただろうか。


◇


 半年前。

 春、夕方。


「合唱部、四人も一年生、入ってくれたね」


 合唱部の三人の、帰り道。


 部長の麗華が、嬉しそうに言った。

 雛乃も会話に交じろうとしてみる。


「よかったね……あのさ――」


「だね! よかったよね! ところでさ、麗華」

「なあに?」


 ところが、いつだってそれを阻む女子がいる。

 いじわるはしてこないけれど、その級友の目には雛乃のことなんてまるで写っていないかのよう。


 鳴海千紗(なるみちさ)は、そんな、冷たいひとだった。


 ――おともだちに なれないかな。


 頭の中のちびが話しかけてくる。


 ええ、お友達に?

 そんなの、無理だよう。


 ――でもでも、そしたら。

 がっしょうぶの みんなで おちゃかい するのになあ。

 ひなのは したくは ないの?


 ……。


 あ、そんなことを話していたら、二人はいつものハンバーガーチェーンに入って行ってしまった。

 もう、ちびとの会話に没頭するのも、考え物だ。

 おかげで今日も、独りぼっちになってしまったじゃんか。


 まあ。

 いつものことなのだけれど。


 雛乃はずっと、独りぼっちなのだから。

 でも、ちびがいてくれるからそれにも慣れていた。


 私には、ちびがいるから。


 ――うん ずっと いっしょ。

 いっしょだよ。


◇


 ねえ、ちびは、どうして雛乃を守ってくれるの?


 ――おともだちに なりたいから。


 もう、私とちびはお友達だよ。


 ――ううん。

 ひなのは わすれてる。

 とてもとてもたいせつなこと。

 わすれてる。


 大切なこと?


 ――それ おもいだせたら なれる。

 おともだちに なれる。


◇


 千紗が、居なくなった。


 美月が、死んだ。


 依央が、居なくなった。


 紗奈が、死んだ。

 美央が、死んだ。

 優花が、死んだ。


 茜が、死んだ。

 莉子が、死んだ。

 心寧が、殺された。

 凜が、殺された。

 由依が、殺された。

 花音が、殺された。

 澄玲が、殺された。

 玲奈が、殺された。

 梓が、殺された。

 環が、殺された。

 真琴が、殺された。

 柚葉が、殺された。

 咲良が、殺された。

 綺音が、殺された。


 みんな、居なくなった。

 みんな。


 それは、誰の所為?

 それは、誰から始まったの?


『……千紗の呪いなんだよ! 合唱の練習なんて、するべきじゃなかった』


 ――それ おもいだせたら なれる。

 おともだちに なれる。


◇


 或る秋の日の音楽室。

 麗華が一年生に合唱のレッスンを指導していて、鳴海千紗と二人きりになった。

 彼女はケータイの画面を見たまま、こっちを見ない。


 ――いまだよ。


 何が?


 ――おともだちに なるの。

 ならなきゃ だめ。


 なんで、私が?


「――なに?」


 ……しまった。

 ちびと話しているときは、雛乃はじっと静止してしまう。

 鳴海千紗と、意図せず目が合っていたのだった。


「あ、いや……なにしてるのかなって」

「MINE。お母さんに。今日遅くなりそうだって。……朝倉先生に呼ばれてるから」

「そ、そう。……大変だね。あのさ」

「千紗、雛乃、ごめんごめん。じゃ、始めよっか」


 ……そういえば。


 そういえば。


◇


 ――おもい だした?


 細い首筋に果物ナイフを押し当てられながら、雛乃はクラスでただ一人、思い出した。

 二年一組で起きた最初の悲劇の、その一番初めを。


 あの後、鳴海千紗は、朝倉先生の元から帰らなかったのではないだろうか。

 もし、そうだとしたら。

 もし。


 ……。


 そうか。

 そうか!


 麗華は、ぺろりと舌なめずりをした。


「雛乃、あんた本当に美味しそう。『知らなかった』よ、あんたがそんなに美味しそうだったなんて」

「朝倉先生に呼ばれてるから」

「?」

「あなたなんでしょ。鳴海千紗さん。麗華に、乗り移ってるんだよね。ずっとお腹減ったとか美味しいとか、あの子が言わなそうなことばかり言ってたからわかった」


 麗華はきょとんと、首を傾げた。


「三人で、お茶会しよう。今度こそ。合唱部の、二年で」

「合唱部……二年……」


「私、気付いたの。殺されちゃったんでしょ……? 朝倉先生に……」


 雛乃は、麗華の――鳴海千紗の頭を優しくなでた。


「殺された……私が? ……え、あれ? 私……何して……」


 そう言うと、鳴海千紗は、ゆっくりと周囲を見渡した。

 自分の、真っ赤に染まった、手も。


「なんで、なんでみんな死んじゃってるの? え? これ、なんで……あかり、あかり? ねえ、どこにいるの」

「もういいんだよ、千紗。三人でお茶会、しよう。だから――麗華から、お願い。出てって」

「……」


 千紗はしばらく俯いた後、何かぶつぶつと言い始める。


「千紗……?」

「……逃げて……千紗が……」


 それは麗華が彼女であるうちに発した最後の言葉だった。

 そして一秒の半分くらいの短さで、雛乃の頸動脈目掛けてその牙を振るった。


 ――どしゃっ。


◇


「いけませんねえ、鳴海さん。先生から逃げようだなんて」


 朝倉先生はそう言いながら、麗華の背中からゆっくりとナイフを引き抜いた。

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