【第三十三話.如月家長子の振る舞い方】

 血濡れの教室で。


 キーボード担当、篠原柚葉(しのはらゆずは)が死んだ。


 もう、いっそ殺して。

 独りになった途端、早々に音を上げて、クラスの偉大なる構造を前にしてリタイアを選んだのだ。


 代わりにキーボードの前に座るは、九条麗華(くじょうれいか)。

 クラスのカーストナンバー1が直々に弾くこととなった。


 ナンバー4、ショートボブに涙ボクロの如月綺乃(きさらぎあやの)は口角を上げる。


 ――やっぱり、麗華は判っている。


 さっきはヘマをしかけて危なかったが。

 代わりに真琴と環が死んでくれた。


 所謂、中流。

 所詮は、中流。


 合唱コンクールに進むのは、綺乃と鷹宮咲良(たかみやさくら)の二人のトップこそふさわしい。


 ……一名だけ、下位の例外がまだ残っているようだが、それは取るに足らないことだった。


◇


 成城の如月家と言えば、政界でも財界でも一目置かれる家柄だ。


 パパは世田谷区議会の議員さん。

 ママは、絵画教室の先生。

 パパのお父さんは国会議員。

 ママのお父さんは銀行の頭取。


 おじさんは大学の教授で、従妹のお姉さんは東大医学部に在籍している。


 綺乃も、成績では咲良と並んでほぼトップ。

 もちろん、進学先第一希望は東大・法学部だ。


 将来の夢はキャリア官僚の王道ルートで、おじいさんを支えるのだ。

 無論、最終目標は総理大臣である。


 綺乃は、したたかだった。


 エリート志向でありながら、カーストでナンバー4なのは、もちろん狙ってのことだ。


 クラスの参謀・咲良の影に敢えて入り、クラスの実態を横流しさせ、自分は把握する。

 粗野で素行の悪い二階堂美月(にかいどうみつき)には敢えて逆らわず、のらりくらりと躱す。


 トップでありこのクラスの生殺与奪を握る麗華のことまでは、さすがに認識の外ではあるが。


 動画好きのキラキラミーハー女子の印象は、彼女の鋭く殺傷力の高い爪を隠すのにちょうどいい隠れ蓑だ。


 順調。

 すべて、順調。

 問題なく、滞りなく。


 生死をかけたこの合唱の練習。

 けれど綺乃には。


(『これ』が終わったら麗華と、お茶でもしに行こっと。駅前の茶店、新しいスイーツ出たんだよねえ。スマホで動画にして、アップして。タイトルは、『綺乃のレッスン後のお茶会』かな)


 ぺろりと舌を出す。


 綺乃にとって、これまでの同級生の死は、学級委員長の殺人は、気にするに値しない出来事なのである。


◇


 麗華のピアノは、柚葉よりもはるかに上手で、情緒的で、情熱的だった。

 計り知れぬ天才の万能さには、綺乃ですら舌を巻きそうになる。

 今ならショパンの幻想即興曲ですら弾いて見せるだろう。


 そしてさらなる脅威は、それを弾きながら見抜く力だ。

 クラスの合唱の、一人一人の音階の正確さを。


 半音でもずらしたら、次に殺されるのは自分だろう。


 でも、そんなことは幼いころからの『日常』だった。


『今日死ぬと思って生き、一生生きると思って学べ』


 マハトマ・ガンジーの名言は、如月家の家訓にもなっている。

 厳しい家での厳しい躾を耐え抜き生き抜いてきた綺乃からすれば、合唱コンクールの練習という名のデスゲームも、日常の延長だった。


 そして、程なくして次の脱落者が決まった。


◇


「咲良。どうしたの? 外してばかりじゃない」


 カーストトップクラス同士の根競べは、綺乃に軍配が上がったようだ。

 ふるふると震えながら、咲良は血にまみれた譜面で顔を隠す。


「ごめん。ごめんなさい。私もう……歌えない」


 鷹宮家の長女も、所詮、ここまでか。

 ここでの綺乃の採るべき最適解は、これだ。


「咲良、だめだよ、そんなこと言ったら」


 綺乃は目にたっぷりの涙を浮かべて、駆け寄る。


「あやのぉ、わたし、もうだめみたい」

「麗華、お願い。殺すなら、私もお願い! 咲良といっしょに……逝かせて」


 百点満点だ。

 我ながら、完璧な演技だ。


 麗華は、キーボードの前からナイフを手に立ち上がり、接近する。

 左手に刃物を持ち――彼女の利き手は元から左だったろうか。そこまでは覚えて居なかったが――綺乃の右隣り、つまり麗華の刃物側で蹲る咲良の方へ先に向かった。


「れいかぁ、わたし、わたし」


 お人形さんみたいな笑顔のまま、カーストップの少女は、ナンバー2の頸動脈を切り裂いた。


「ぅぐっ……」


 哀れ、歴史ある鷹宮家の令嬢は、溢れる血潮に溺れていった。


「麗華。私も。お願い」

「……」


 綺乃は目を瞑る。

 流石に心臓が早くなるが、大丈夫。

 ここで麗華は決して綺乃を殺さない。


「……」


 背の低い麗華の甘い吐息が、顎にかかる。


「……」


 ――見えないが、どうやら逡巡しているようだ。

 そして長い沈黙の後。

 つかつかと、足音が遠くなった。


(よっしっ……!)


 危険な賭けではあったが、麗華は綺乃の生存を望んだ。

 涙を零しながら、彼女は心でガッツポーズをする。


 残すは、遠山雛乃(とおやまひなの)のみ。


 このクラスを支配するカーストの最下層に位置する彼女の命など、虫けらにも満たない。

 それも、弱音ばかり吐いてばかりの、あの雛乃だ。


 勝負はもう、ついている。


◇


 丁度、ソプラノの綺乃と、アルトの雛乃が残った。

 流石に合唱部なだけあって、その歌は上手い。


 だがそれだけだ。


 時刻は、十一時二十六分。

 あのMINEでのその後のやりとりでは、一時間半ほど練習するとのことだったから、もうすぐこの惨劇も終焉を迎える。


 後は麗華が予定通りに練習を終え、立ち上がったら邪魔な雛乃を処理して、終わりだ。


「そろそろ、今日の練習はこれくらいにしましょうか」


 麗華は読み通り立ち上がり、またフルーツナイフを手に持つ。

 今回も、自分は左側にいる。


 全ては、計画通り。


 麗華のカーストに、従いながら完璧に歌い。

 このクラスの構造を、誰よりも完璧に理解し。

 この場を支配する空気に、いち早く順応した。


「麗華、お疲れ様。みんなとの練習、有意義だったよ」

「……」


 雛乃は目を伏せて、ただ来るべき死を待っている。


「……」


 麗華は答えない。

 彼女にしては長考している。


「綺乃」

「ん?」


 美しいカーストの女神は、にっこりと笑った。

 綺乃も、柔らかく笑顔を返す。


 そう。

 それでいい。


 あなたは九条家の分家の次女。

 如月家の長子の前では意味を成さない。


 所詮あなたは、この学校止まりなのだから――。


◇


 麗華のナイフ捌きは、綺乃の動体視力を大きく上回っていた。


 ぱっと、赤い花びらが天井まで咲き誇った。


 それは、脳で考えるよりも早く急速な血圧低下を招き、結果――。


 綺乃は自分の死を理解する前に旅立った。


◇


 綺乃だった身体が力なく崩れ落ちる直前、女神は告げた。


「うん、きれいに揃ってたね。美味しそうだった。だから、もう充分でしょう? ……綺乃」


 結局。

 麗華が選んだのは。


 カーストの底辺、虫けらにも満たないと綺乃が称した、冴えない少女だった。

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