【第七章.千紗と彼女らの終焉】

【第三十一話.蓮の花と二人の心中】

 クラスの最底辺、理科部の牧村梓まきむらあずさ小坂玲奈こさかれなと、他のクラスメイトには内緒にしていることがある。

 それは、ばらしてはいけないものだし、言ったとしても梓の価値観は決して理解されないだろう。

 けれども、なによりも大切な約束だ。


 ――死ぬときは、二人で一緒に、死ぬこと。


 時刻は十時四十二分。

 異常な『練習』は、止むことなく続いている。


 さっきは、カースト中上位の立花澄玲たちばなすみれが、篠原柚葉しのはらゆずはに代わってナイフで一突きに殺された。

 倒れた体が、新しい血だまりを作る。


 巻き毛のショートヘア、梓は玲奈を見た。

 肩までの地味なセミロングヘアの、彼女の細い手。

 白く小さく震えて、血の気がない。


 その手が、何より好きだった。


 歌いながら、スカートのポケットをまさぐる。

 ……あった。


 いつもの重みが。

 梓にとっては、玲奈の命と等しい、大切な重みなのだ。



 一緒に所属していて、今も行方不明なままの白石依央にはわからないだろうが、理科部は決して、カースト底辺の吹き溜まりなんかではない。


『理科』らしいことを何ひとつしてはいないが、朝倉先生も許してくれている。


 漫画を読んだ。

 絵を描いた。

 ソーシャルゲームで遊んだ。


 いつも誰かとMINEばかりしている依央は知らないが、ここで過ごす時間は、宝物だ。


 無論、それは玲奈という、魂の片割れが居てくれるからである。


 玲奈とは、杉並区にある大きな中学校で知り合った。

 お互い同じように理科部で、またお互いいじめを受けていて。


 七月のある日。

 理科室で育てていた白い蓮が大きな花を咲かせていた月曜日。


 梓は、それまで一切喋らなかった玲奈に声をかけた。


「話、聞こっか」


 玲奈は大型のカッターを握っていた。

 優しくゆっくりと、それでいて確実に、彼女からその刃物を抜き取りながら、梓は聞いた。


 聞けば、両親が離婚しそうなのだという。

 学校に居いるのもつらいし、もう、いっそのこと死のうか、とも。

 おっきな涙の粒を、ボロボロと零しながら、そう嘆いていた。


 あんまり泣くものだから一緒になって梓も泣いた。

 五年前に自動車事故で死んでしまった両親のことを思い出して。


 施設で育つ梓には、離婚の危機がどれほど子供に負荷を掛けるかはわからなかったが。

 きっとそれは、涙を流すに余りある事なのだと推し量った。


「生きてるの、辛いよね」


 梓が聞くと、玲奈はこくこくと頷いた。


「これ」


 さっきのカッターを見せて、梓は彼女と約束をした。


「次、生きるのがしんどくなったら、これで一緒に。……死んじゃおっか」


 玲奈は目を丸くしたが、何秒か経って、こくりと頷いた。



「梓? 歌が始まってるよー」


 優しい――空腹の彼女は、分け隔てがない――その子は、梓に声をかける。

 流石にこれだけの人が死んでいると、何とも言えない血の嫌なにおいが立ち込めてはじめている、二年一組で。


 そう。

 梓は、玲奈と高校二年生まで生きたのだ。

 次、生きるのがしんどくなったら――。


 その『次』は、今まで来なかったのだ。

 そう、『今』までは。



『次』が玲奈に来ないためなら、梓はなんでもした。

 中学校の理科部の先生に、自由に過ごさせてもらえないか掛け合った。


 使われていないロッカーを、本棚にした。

 少年漫画と少女漫画とライトノベルで満杯にした。


 原稿用紙とインクとペン先を買ってきた。

 一緒に、同人活動も始めた。


 お互い下手くそで、見れたものじゃなかったけれど、出来上がったイラストを褒め合った。


 文化祭の出し物は、イラスト展。

『理科』部なのにと失笑を買った。


 高校生になった。

 相も変わらず理科部で、相も変わらず理科らしいことは何ひとつしていないけれども。


 玲奈は、泣かなくなった。

 二学期に転入してきた依央を交えて、彼女を見て笑うことが増えてきた。

 玲奈が笑っている。

 梓は、生きる意志が湧いてきた。


 いつもポケットに忍ばせていたカッターの重みを、忘れることが増えてきた。


 カーストの最底辺で息をする玲奈のことなんて、見ている人なんて自分くらいしかいないのだろうけれども。


 笑う彼女は、とってもかわいいのだ。

 泣かない彼女は、とっても強いのだ。


 それは梓にしかわからない、ドブの底に咲いた、たった一輪の蓮の花だった。



 そうして或る時。

 依央が学校に来なくなった。


 玲奈はとても落ち込んでいた。

 私だったら、彼女の寂しさに気付けていたかもと、自分を責めた。


 そして、イラつくことが増えていった。

 話しかけても、上の空。


 玲奈は少年漫画も、少女漫画も、ライトノベルも読まなくなった。

 せっかく買った漫画の原稿用紙にも、ペン先にも触れなくなった。


「玲奈」


 梓の声は、けれども再び、彼女には届かなくなった。


「元気出して。ね、玲奈」


 梓は、怖くなった。

 今にも『次』が来てしまいそうで。


 そしたら、二人で死ななくてはならないことが。


 いつの間にか梓は、自分が死ぬことが怖くなっていた。


「怖い? 何が?」


 玲奈はきょとんとして答えた。



「何してるのかな。歌の練習中だよ」


 梓は玲奈の細い首筋に、あのカッターナイフを当てた。

 玲奈は目を大きく開いて、梓を見ている。


「ごめん、麗華。私たちはここで降りるよ」


 梓は意を決して、言った。


 玲奈はもう、限界のはずだ。

 生きることが出来ない。


 それならば、自分が。


 自分の手で、終わらせてあげなければならない。


「梓」


 玲奈が怯えたような目をして呼んでくれる。


「大丈夫だよ。私も後から行くよ」


 すると、彼女は。

 ――こう答えた。


「何言ってるの。……勝手に何してるの? 勝手なこと、決めないでよ」


 ?

 梓は、玲奈が何を言っているのかわからない。


「? だって、辛くなったら一緒にって」

「は?」

「だから、生きるのがしんどくなったら、一緒に死のうって、中一の時、約束したでしょ」


「そんな約束、誰ともしてないよ。怖いから、それ、どけてよ」


 梓は、足元がふわりと浮くような感覚を覚えた。


「したじゃん。中一のあの日だよ、ほら、蓮の花が咲いていた七月の……」


「私は依央が戻ってくるまで、待つの。そう決めたの。梓と死んだりなんか、するつもりないって」


 梓は吐き気を覚える。

 玲奈は何を言っているのだろう。


 五年間も一緒に歩いてきた。

 カースト最底辺の、ドブの底を。


「カースト最底辺? ドブの底? あんた、何言ってるの? それは梓の中だけでしょ」


 玲奈は梓にとって、お釈迦様が寄越した、蓮の花。


「私は待たなきゃいけないの。私に必要なのは」


 依央だけだよ。

 その言葉は、言わせなかった。


 その前に、梓は玲奈の頸動脈を切り裂いてしまったから。


 ま白い肌が紅く染まる。

 それでもなお、玲奈は蔑むような目で、梓を見ている。


 梓は独り、ドブの底で。

 もうとうに萎んだその花を。


 自らの手で、手折った。

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