【第七章.千紗と彼女らの終焉】
【第三十一話.蓮の花と二人の心中】
クラスの最底辺、理科部の
それは、ばらしてはいけないものだし、言ったとしても梓の価値観は決して理解されないだろう。
けれども、なによりも大切な約束だ。
――死ぬときは、二人で一緒に、死ぬこと。
時刻は十時四十二分。
異常な『練習』は、止むことなく続いている。
さっきは、カースト中上位の
倒れた体が、新しい血だまりを作る。
巻き毛のショートヘア、梓は玲奈を見た。
肩までの地味なセミロングヘアの、彼女の細い手。
白く小さく震えて、血の気がない。
その手が、何より好きだった。
歌いながら、スカートのポケットをまさぐる。
……あった。
いつもの重みが。
梓にとっては、玲奈の命と等しい、大切な重みなのだ。
◇
一緒に所属していて、今も行方不明なままの白石依央にはわからないだろうが、理科部は決して、カースト底辺の吹き溜まりなんかではない。
『理科』らしいことを何ひとつしてはいないが、朝倉先生も許してくれている。
漫画を読んだ。
絵を描いた。
ソーシャルゲームで遊んだ。
いつも誰かとMINEばかりしている依央は知らないが、ここで過ごす時間は、宝物だ。
無論、それは玲奈という、魂の片割れが居てくれるからである。
玲奈とは、杉並区にある大きな中学校で知り合った。
お互い同じように理科部で、またお互いいじめを受けていて。
七月のある日。
理科室で育てていた白い蓮が大きな花を咲かせていた月曜日。
梓は、それまで一切喋らなかった玲奈に声をかけた。
「話、聞こっか」
玲奈は大型のカッターを握っていた。
優しくゆっくりと、それでいて確実に、彼女からその刃物を抜き取りながら、梓は聞いた。
聞けば、両親が離婚しそうなのだという。
学校に居いるのもつらいし、もう、いっそのこと死のうか、とも。
おっきな涙の粒を、ボロボロと零しながら、そう嘆いていた。
あんまり泣くものだから一緒になって梓も泣いた。
五年前に自動車事故で死んでしまった両親のことを思い出して。
施設で育つ梓には、離婚の危機がどれほど子供に負荷を掛けるかはわからなかったが。
きっとそれは、涙を流すに余りある事なのだと推し量った。
「生きてるの、辛いよね」
梓が聞くと、玲奈はこくこくと頷いた。
「これ」
さっきのカッターを見せて、梓は彼女と約束をした。
「次、生きるのがしんどくなったら、これで一緒に。……死んじゃおっか」
玲奈は目を丸くしたが、何秒か経って、こくりと頷いた。
◇
「梓? 歌が始まってるよー」
優しい――空腹の彼女は、分け隔てがない――その子は、梓に声をかける。
流石にこれだけの人が死んでいると、何とも言えない血の嫌なにおいが立ち込めてはじめている、二年一組で。
そう。
梓は、玲奈と高校二年生まで生きたのだ。
次、生きるのがしんどくなったら――。
その『次』は、今まで来なかったのだ。
そう、『今』までは。
◇
『次』が玲奈に来ないためなら、梓はなんでもした。
中学校の理科部の先生に、自由に過ごさせてもらえないか掛け合った。
使われていないロッカーを、本棚にした。
少年漫画と少女漫画とライトノベルで満杯にした。
原稿用紙とインクとペン先を買ってきた。
一緒に、同人活動も始めた。
お互い下手くそで、見れたものじゃなかったけれど、出来上がったイラストを褒め合った。
文化祭の出し物は、イラスト展。
『理科』部なのにと失笑を買った。
高校生になった。
相も変わらず理科部で、相も変わらず理科らしいことは何ひとつしていないけれども。
玲奈は、泣かなくなった。
二学期に転入してきた依央を交えて、彼女を見て笑うことが増えてきた。
玲奈が笑っている。
梓は、生きる意志が湧いてきた。
いつもポケットに忍ばせていたカッターの重みを、忘れることが増えてきた。
カーストの最底辺で息をする玲奈のことなんて、見ている人なんて自分くらいしかいないのだろうけれども。
笑う彼女は、とってもかわいいのだ。
泣かない彼女は、とっても強いのだ。
それは梓にしかわからない、ドブの底に咲いた、たった一輪の蓮の花だった。
◇
そうして或る時。
依央が学校に来なくなった。
玲奈はとても落ち込んでいた。
私だったら、彼女の寂しさに気付けていたかもと、自分を責めた。
そして、イラつくことが増えていった。
話しかけても、上の空。
玲奈は少年漫画も、少女漫画も、ライトノベルも読まなくなった。
せっかく買った漫画の原稿用紙にも、ペン先にも触れなくなった。
「玲奈」
梓の声は、けれども再び、彼女には届かなくなった。
「元気出して。ね、玲奈」
梓は、怖くなった。
今にも『次』が来てしまいそうで。
そしたら、二人で死ななくてはならないことが。
いつの間にか梓は、自分が死ぬことが怖くなっていた。
「怖い? 何が?」
玲奈はきょとんとして答えた。
◇
「何してるのかな。歌の練習中だよ」
梓は玲奈の細い首筋に、あのカッターナイフを当てた。
玲奈は目を大きく開いて、梓を見ている。
「ごめん、麗華。私たちはここで降りるよ」
梓は意を決して、言った。
玲奈はもう、限界のはずだ。
生きることが出来ない。
それならば、自分が。
自分の手で、終わらせてあげなければならない。
「梓」
玲奈が怯えたような目をして呼んでくれる。
「大丈夫だよ。私も後から行くよ」
すると、彼女は。
――こう答えた。
「何言ってるの。……勝手に何してるの? 勝手なこと、決めないでよ」
?
梓は、玲奈が何を言っているのかわからない。
「? だって、辛くなったら一緒にって」
「は?」
「だから、生きるのがしんどくなったら、一緒に死のうって、中一の時、約束したでしょ」
「そんな約束、誰ともしてないよ。怖いから、それ、どけてよ」
梓は、足元がふわりと浮くような感覚を覚えた。
「したじゃん。中一のあの日だよ、ほら、蓮の花が咲いていた七月の……」
「私は依央が戻ってくるまで、待つの。そう決めたの。梓と死んだりなんか、するつもりないって」
梓は吐き気を覚える。
玲奈は何を言っているのだろう。
五年間も一緒に歩いてきた。
カースト最底辺の、ドブの底を。
「カースト最底辺? ドブの底? あんた、何言ってるの? それは梓の中だけでしょ」
玲奈は梓にとって、お釈迦様が寄越した、蓮の花。
「私は待たなきゃいけないの。私に必要なのは」
依央だけだよ。
その言葉は、言わせなかった。
その前に、梓は玲奈の頸動脈を切り裂いてしまったから。
ま白い肌が紅く染まる。
それでもなお、玲奈は蔑むような目で、梓を見ている。
梓は独り、ドブの底で。
もうとうに萎んだその花を。
自らの手で、手折った。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます