【第二十八話.ゴシップと残酷な毒】

 北上茜(きたかみあかね)が死んだ。

 二年一組のみんなの前で。

 急に大量の血を吐いて。


「茜!」


 パニックに陥りつつある教室で、いちばん初めに声を上げたのは、二年一組の残酷少女・相沢心寧(あいざわここね)だ。


「大丈夫? あかね、あかねえっ!」


 心寧は茜の元に駆け寄る。

 だが、もう彼女は息をしていない。


 彼女の大切な『毒』は、永遠に喪われてしまった。


「……千紗の呪いなんだよ! 合唱の練習なんて、するべきじゃなかった。……ね、そうなんでしょ。莉子」


 心寧は、隣に居るはずのゴシップ好きのそばかす少女・宮下莉子(みやしたりこ)を見る。

 そこで初めて、気が付く。


 ――はあ、はあっ!


 喘息持ちの莉子が、過呼吸に陥りかけていることを。


◇


「今日のゴシップ記事は、何かなー?」


 心寧はいつも、そう言って莉子に話しかける。


 二年一組の教室。

 合唱の合間の音楽室。

 常盤聖女のご用達の近所のハンバーガーチェーン店。


 いつだってどこだって、二人の会話は心寧のその言葉から始まる。


「今日の莉子のゴシップはー……じゃんっ!」


 怪談話、都市伝説、二年一組の女子たちの恋模様。

 莉子は毎回、どこからそんな情報を持ってくるのか、と思うほどの博識ぶりだった。


「居なくなっちゃった、千紗ちゃんの『呪い』について! ……だよ!」


 ポテトをもぐもぐ食べながら、心寧はニコニコ顔で聞く。


「千紗の、呪いー?」

「そう、千紗ちゃんの、呪い」


 ぶっちゃけ、話題なんてなんでもよかった。

 このポテトにつける、マスタードソースと同じ。

 会話の中にぴりりと刺激があれば、間が持つから。


「美月が死んじゃったでしょう。あれはね、千紗が雛乃を守ったんだよ!」


 目をキラキラさせながら莉子は語る。

 その瞳が。


 心寧は心底、大嫌いだった。


◇


 幼稚園も、小学校も、中学校も同じ。

 お互いの家は通りを挟んで五十メートルしか離れていない。

 心寧と莉子は、所謂幼馴染だ。

 腐れ縁、とも言う。


「あのね、あのね、ここねちゃん、きいて!」


 毎日毎日、幼稚園に登園しては、真っ先に聞くのはその言葉だ。


「りこ、なあに?」

「あのね」


「ふふ、心寧ちゃん、いつも莉子と仲良くしてくれて、ありがとうね」


 おばさんはいつも、ニコニコしながらそう言ってありがとうと言いふらす。

 周囲の大人たちも、それに同調してこくこくと頷く。


 その所為で。

 心寧はいつだって聞き役だ。


 自分だって話したい。

 その服可愛いね。

 たった一言、言いたいだけなのに、なんでいつも莉子が話し終わるのを待たなければならないのだろうか。


 しかもその『待ち時間』は、お互い成長するたびに増えていった。


 ある時、莉子が口を開く前に、こちらからこんな不意打ちをしてみた。


「今日のゴシップ記事は、何かなー?」


 自分が早く喋りたいがために放った一言だったが、先制攻撃は大成功。

 莉子はその瞳をキラキラさせて、早口でまくし立てた。


「うん! えとね、あのね」


 ――まぶしい。


 そばかすまみれの、その上目遣いが。

 自分に全幅の信頼を寄せる、その眼差しが。


 心寧はしんどくてたまらない。


◇


 ひゅう、ひゅう。


「ここね、ここねえ」


 茜が吹いた血で真っ赤に染まった床の上。

 恐慌状態に陥る、15人の生徒たち。


 パニックから過呼吸と喘息を同時併発した莉子が、白んだ視界の中、必死で探している。


 心寧はすぐに判った。

 目指すは莉子の学生カバン。


 ゆるかわキャラのキーホルダーが大量に付いた、あざといカバン。

 いつも、彼女は持ち歩いていたはず。


 文字通り莉子の生命線となる、吸入器が。


 入っていたはず。


◇


 残酷少女。

 高校に上がるころ。

 莉子の居ない場所で、いつしか心寧は、そう呼ばれるようになった。


 何をどういう風に言ったのか、もはや覚えていないものの、無自覚にぼそりと呟いた一言が、どうやらとても残酷に聞こえたから、という理由に依るものだ。


 残酷、だなんて心外だけど。


 毎日聞かされる、莉子のマシンガントークから受けるストレスを緩和できるのならば、なんだって、どんな手段を使ったって良かった。


 そんな或る時だった。


「ね。しんどくない?」


 けほ、けほ。

 話しかけてきたのは毒吐き少女の茜だった。


「なにが?」

「その残酷キャラでいるの。疲れない?」

「……余計なお世話」

「はは。……けほ、けほ。残酷ぅ。私で良ければ、話、聞こうか」


 それから二人の密会が始まった。


 莉子の居ない気楽さ。

 莉子の居ない自由。


 時に茜は毒を吐き、時に心寧は残酷に言い放ちながら。


 いつものハンバーガーチェーンは莉子に張られてるから、少し離れたドーナツショップで。

 クラスの女子たちの陰口で盛り上がった。


「私たち、似てるよね」


 どちらともなく、そう言い合って、笑った。

 思えば莉子といるとき、心寧は笑ったためしがなかった。


「莉子、ムカつかない?」

「ムカつく、ムカつく。幼稚園の頃からムカつく」

「マジで? 幼稚園から一緒なの? けほ、けほ。マジウケる」


 茜のハスキーな声に、段々と魅了されていく自分を、止めることなど、出来はしなかった。


「ここねえ。どこ行ってたのよう。昨日はいつものお店でずっと待ってたんだけど」

「ごめんごめん、莉子との約束なんて、覚えてらんなかったからさ。……で、千紗の呪いが、なんだっけ」


 いつの間にか心寧は、莉子の前でも残酷少女になっていた。


「うんうん、でもそれってさ、ただのウワサだよね」


 残酷少女のチクチクとした言葉遣いを前に、莉子はだんだん元気をなくしていく。

 そのしょんぼりとしょげた顔を見ていると、なんだか心の中が妙に温かくなって。


 心寧は、心の底から笑った。


「そっか、茜ちゃんか」


 ん?

 昨日、そう言えば莉子が気になることを言っていた。


「茜ちゃんが、莉子の心寧を、盗ったのか」

「は?」


 心寧は耳を疑った。

 その声は、何時もよりうんと低かったからだ。


「心寧は莉子のなのに」

「盗ったとか、莉子のとか、何言ってんの。マジウケるんですけど」


 残酷少女はこの時、ゴシップ少女の毒に、気が付かなかった。


◇


「あった!」


 水色に塗られた、プラスチック製の筒。

 莉子の学生カバンの、すぐ取れる位置に、見つけた。

 これがあれば、莉子は――。


 莉子は?


 どたん。

 振り返ると、彼女は、茜が吹いた血にまみれながら、床で身をよじっている。


 ひゅう、ひゅう。


 これを使えば、莉子は助かる。

 これを使えば、またいつものゴシップを聞く日々が始まる。

 これを使えば……。


 ひゅう、ひゅう。


 ……。


 いや、やっぱり、だめだ。


 いくら莉子がムカつくからって。

 いくらゴシップの毎日が嫌だからって。


 だめだ、今これを使わなかったら、私は絶対、後悔するんだ。


◇


 残酷少女は、肝心な時に残酷になれなかった。

 だから、信じられない。


 目の前で起きたことを。

 莉子が取った行動が。


 莉子が見せた、毒が。


◇


「なにしてんの」


 莉子は、既に動かなくなった茜の血まみれの口に、吸いついた。

 まるで茜から、毒を吸い取るかのように。


 まるで心寧から、茜を奪い取るかのように。


「あんた、なにしてんのよぉっ!」


 吸入薬を投げ捨てて、心寧は莉子を蹴り上げた。


「はなせ、はなせよ、茜は私んだよっ!」


 それでも。

 なおも、莉子は茜に口づけを続けた。


「離せよぉ!」


 その顔面を蹴り上げようとした次の瞬間。

 果物ナイフが、心寧の首を後ろから頸動脈ごと貫いた。


◇


「心寧ちゃん。――駄目でしょ。美味しいクラスメイトに、そんなことしちゃあ」


◇


 九条麗華(くじょうれいか)はにっこり笑って、残酷少女の首からナイフを引き抜いた。

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