【第二十七話.毒吐き茜と彼女の病気】
けほ、けほ。
けほ、けほ。
――ああ、何時もながら咳が鬱陶しい。
お風呂から出た後でも続くなんて。
ぴんこん。
今度病院にでも行こうかな。
等と思っていたら、スマホがMINEを着信した。
『みんなへ。学校が休校になったこんな時にごめんなさい。大変なことが起きてる、それはわかります。でも、私は、こんな時だからこそ、合唱コンクールで優勝したい。困難な時だからこそ、悲しいことは歌うことで吹き飛ばしたい。みんなの歌声には、その力があると、私は信じます。明日、朝の十時に、二年一組の教室で。……待ってます』
麗華からのラインには確かにそう書いてあり、また、彼女ならそんなことを言い出しても不思議じゃないな、と
「――まあ。さすがの優等生だこと。言うことが違うわー」
いつも通り小声で毒を吐いて、ソファに転がる。
ふわり。
肩より長い、茶色のロングヘア――赤いメッシュ入りだ――から、良い匂いがする。
シャンプー。
変えてみたけど、髪質にも合ってるし香りもいいし、大成功。
せっかく、性悪優花にデブの美央が死んでくれたおかげで、明日は青陵高に通う彼氏とデートの予定を入れていたのに。
携帯を取り出す。
とんとんとん。
フリックは出来ないから、キーボードを器用に連打する。
『ごめん、たけっち。明日学校行くことになった』
『は? 学校休みになったんじゃないの笑』
『なんか、合唱の練習したいって。麗華サマがいい子ぶってて』
『まじ? あかねも大変やな。……じゃあ、俺も普通に学校行くわ。四時にいつもの
なにが『あかねも大変やな』だ。
ありがたくもない心配は嫌いだ。
大体、いつも鬱陶しいって、そう言っているじゃないか。
いい男だけど、もうそろそろ潮時なのかもしれない。
ぴんこん。
ぴんこん。
彼氏とのMINEのトーク画面を閉じる。
クラスのグループには既に、雛乃、花音、咲良に綺乃が参加表明をしている。
『ありがとう、みんなありがとう!』
涙マークまで付けて、すっかり少女漫画のヒロインになっている。
『ノシ』
茜は挙手を意味する顔文字だけつけて、送信した。
クラスのみんなが注目しているのか、あっという間に既読が15――生き残った全員から自分を引いた数――ついた。
ぽい。
二年一組の毒吐き少女は咳をしながら、携帯をつまらなそうに投げると、ドライヤーで髪を乾かすために洗面所へ向かった。
◇
けほ、けほ。
茜の自宅の最寄り駅は世田谷区の北の端、千歳烏山駅である。
常盤聖女のある成城学園前駅までは、京王線、井の頭線、小田急線と二回も乗り継がなくてはならない。
それも、世田谷区を東西に一往復する形での移動だ。
一本で行けるバスはあるものの、渋滞がひどく使えない。
自転車での通学を親に打診したものの、危険だからと、過保護な両親に反対された。
『何言ってるの、茜! 身体のこともあるんだから、そんな危ないこと、だめに決まってるじゃない! 電車にしなさい、電車に!』
けほ、けほ。
『明日、朝の十時に、二年一組の教室で。……待ってます』
つまるところ茜は、ありがたくもない咳の所為で、ありがたくもない親の心配に応えるために、ありがたくもないスクールカーストトップの提案のおかげで、四十分も電車に揺られているのだ。
だれかの所為で、自分の認知の外の所為で、世田谷区をいったり、きたり。
まるで自分の人生の縮図のようで、電車に乗るだけで嫌な気持ちになる。
「たく、おせっかいなんだから、もう」
京王線の席の前で毒づきながら立っていたら、気が弱そうな大学生が席を立ってくれた。
どかっと、そこに座る。
いつのころからか、心で思っているはずの不満が、声に出るようになった。
あれは、いつからだったか。
◇
『茜、あかねえっ!』
母が叫んでいる。
当の茜は、肺の中で出血していて、うまく息ができない。
茜は、生まれながらの血管の疾患、『肺動静脈奇形』だった。
母が六年生になったばかりの茜に、お医者さんの説明をかみ砕いてくれた。
端的に言うと、肺の動脈と静脈が毛細血管を経由せず直接つながる血管異常のことらしい。
説明を受けて、カテーテル手術の日程まで決まっていたのに、その直前で血管が破裂。
お医者さんの説明だと、もう少し遅れていたら危なかったらしい。
なんで神様は自分にこんな病気を仕組んだんだろう。
漠然とした再発への不安は、いつの日か不満へと変わり、心の中だけで処理ができなくなっていく。
初めはあった戸惑いも、いつの間にか毒吐きという形でアイデンティティに定着していったのだった。
そして、高校生になった。
高校に入学したら明るい性格になろうと決めていたのに、学校はカーストの蔓延る、陰湿な閉鎖社会だった。
けほ、けほ。
入学して、しばらく経ったころ。
咳が――出始めた。
◇
「白い羽根が 校庭に舞う」
ありがたくもない麗華の提案で、集まった二年一組の生徒たち。
京王線の遅延で、茜は五分遅れで教室にたどり着いた。
「誰もが笑う 午後の光」
けほ、けほ。
遅れてドアを開けると、皆が振り向く。
練習がぴたりと止まる。
咳をしているから、近づくだけでみんなにバレてしまうのだ。
「ああ、みんな。わざわざごめんね、私なんかの為に」
「いいんだよ」
彼女は――茜からしたら信じられないことに――、家からキーボードを持ってきていた。
……ありがたくもないのに。
「じゃあ、もう一度、アルト・ソプラノ併せて、最初から」
麗華がそう言うと、柚葉がまた
「白い羽根が 校庭に舞う 誰もが笑う 午後の光」
けほ、けほ。
「揃えた声は 澄み渡るのに 揃えた心は どこにあるの」
げほ、げほ。
「硝子のように きらめく世界 割れないふりを しているだけ」
げほっ、ごほっ、ごほっ!
……。
おかしい。
咳が止まらない。
それになんだか、血の味までし始めた。
ごほんっ、ごほっ、げぇっほ、げほっ!
「ストップ、ストーップ」
麗華が手を振って合唱を止める。
「大丈夫? 茜? 聞こえる? あかねっ!」
「だいじょ……ごほっ。……だいじょうぶだから」
「! 血が出てるじゃない!」
「いいから……、放っておいて……ごぼっ」
「放ってなんかおけないよ!」
「ありがたく……ないんだから……だから……みんな、だいき」
――大嫌い。
ぶっ。
カテーテル手術で塞いだはずの病巣は、長期にわたって咳込むことでかなりの程度に悪化していた。
結果、引き千切れた動脈から、真っ赤な血が噴水みたいに噴き出した。
きゃああっ!
一番繊細な雛乃が悲鳴を上げる。
二年一組の毒吐き担当の少女は、その毒を吐き尽くしたのだった。
誰かに振り回されっぱなしだった、命と一緒に。
――本当は、振り回してなんていなかった。
みんな彼女を、気にかけていただけだった。
だから彼女の病気は、もっと他の所にあった。
その事実に、気が付く前に。
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