【第六章.千紗とワルツと二年一組】

【第二十六話.幽霊の居る教室】

 彼女が気付いた。

 二年一組の生徒・白石依央である。


 数日前に担任の朝倉先生に首を絞められ殺害された彼女は、ひと月前に殺された千紗と同じく、理科室で目を覚ました。


「ん……」


 窓から差し込むオレンジの光。

 夕焼けの薄暗い理科室。


 薬品の臭い。

 黒板に書かれた化学式。


「ここ……理科室? なんで、私」


 立ち上がり、誰もいない理科室を歩いてみる。

 殺された記憶だけがない依央は、なぜ自分が『そこ』に居るのか理解できない。


『私、警察に言います』


 そういえば、朝倉先生に何か、伝えようとしていなかっただろうか。


『先生、もうやめましょ。人殺しなんて、するべきじゃなかった』


 ずきん。

 思い出そうとすると首に痛みが走る。


「っ……。いたいっ」


 まるで今この瞬間、誰かに首を絞められているかのような痛みに、依央は呻く。


 わからないのだ。

 何故ここに居るのか。

 何故首が痛むのか。


 なにもかも。


 と。

 教室の片隅に、黒い影を見つける。


「なに……?」


 嫌な気配だった。

 まるで暗闇の中から自分を見られているかのような。


 視線に温度を感じる。

 それは、ちりちりと肌を焦がすほどに熱いのに、凍て刺すように冷たいのだ。


「そこに誰かいるの?」


 問いかけに、影は答えない。


 一歩、また一歩と、恐る恐る近づく。

 黒いもやは、しかし内包するナニカを見せることはない。


 依央が影に五十センチの距離まで近づいた、まさにその時。


 ……ばっ。


 突如として伸びてきた真っ白な腕が、彼女の首を締めあげた。


「ぐっ」


 尋常ではない膂力に、そのまま影ごと後ろに倒される。

 真っ黒い影から現れた、はっきりと顔の見えない『それ』は、口から紅い血を吐きながら、依央のか細い首を締めあげる。


 やめて。

 お願い。


 しかしその願いも空しく、徐々に意識は薄れ、夕暮れの中に落ちてゆく。


 ごめん。

 ごめんなさい、許して。


 ……。


 ……。


 気が付くと依央は、理科室で目が覚める。

 オレンジの光が窓から差し込む。


 何かとても恐ろしいことが起きそうで、怖くて。


 依央は、薬品の香りが漂うその教室から逃げ出した。

 オレンジの夕日は、長い無人の廊下を照らし続ける。


 音楽室。

 視聴覚ホール。

 二年一組の教室。


 彼女は逃げた。

 全力で。


 依央。

 依央。


 それでも、自分が殺したはずの影の声が、どこまで逃げても聞こえてくる。


 依央。


 そして、視界の端に映るのだ。

 こちらに向かって近づいてくる、影が。


「だれか、だれかぁ!」


 そこが『地獄』と呼ばれる場所であることを。


 依央はまだ、そしてこれからの永劫の時が経っても、知ることは、ない。



 私立常盤聖女学院高等学校はしばらくの間、休校になった。

 複数の生徒の死亡と、二名の行方不明者を受けてのことである。


 午前中に、視聴覚ホールを利用して記者会見が開かれた。



「このたび、本校において、生徒五名の死亡、ならびに生徒二名の行方不明という、極めて痛ましい事態が立て続けに発生いたしました。亡くなられた生徒の皆さまのご冥福を、心よりお祈り申し上げますとともに、現在も所在の分からない生徒の一刻も早い無事を、教職員一同、切に願っております」


 白髪頭の校長が、用意してきた紙を片手から両手に持ち変える。

 指先が、かすかに震えている。


「本校は、関係生徒および保護者の心身の安全を最優先に考え、本日より当面のあいだ休校措置を取ることといたしました。今後は警察その他関係機関の調査に全面的に協力しつつ、再発防止と信頼回復に努めてまいります」


 そこまで読み上げると、校長は、始まった時と同じに頭を下げた。

 シャッター音だけが、ぱらぱらと会場に響く。

 司会が言う。


「それでは、ただいまより質疑応答に移ります。ご質問の際は、所属とお名前をお願いいたします」


 会見は静かに始まったが、すぐに糾弾の場になった。

 最前列の男が手を挙げた。

 全国紙の社会部記者だった。


「中央日本新聞の藤堂です。確認ですが、死亡した五名というのは、これまで報じられている二階堂美月さん、吉岡紗奈さん、藤沢美央さん、藤沢美歩さん、真鍋優花さんの五名で間違いないでしょうか」


 しかし、副校長は個別の生徒名は明かさないと告げる。

 次いで、情報番組の女性ディレクターが質問を投げた。


「ミヤコテレビの瀬川です。短期間にこれだけの生徒さんが亡くなり、さらに二名が行方不明という異常事態です。学校として、いじめや生徒間トラブルの存在を把握していたのでしょうか」


 その次は週刊誌の男。


「週刊新曜の尾崎です。率直に伺います。学校側は、教職員の関与を疑っていますか」



 どの質問にも、校長も副校長も捜査中を盾に、のらりくらりとした返答しかしない。

 記者の間にも失笑が目立つようになる。


 そんな中、最後に女性記者が訪ねた。


「校長先生、最後に一つだけ。この学校はいま、生徒にとって安全な場所だと言えますか」


 会場が静まり返った。

 誰も息をしないみたいに。


 校長は、すぐには答えなかった。

 口を開きかけて、閉じる。

 目の前のペットボトルに視線を落とし、それから、記者たちの向こう、ホールの閉ざされた扉の方を見た。


 遠くで、校舎のどこかのドアが閉まる音がした。

 校長は、ゆっくりと言った。


「……その問いに、今この場で、責任をもって『はい』と申し上げることはできません」


 息を呑む音が、いくつも重なった。

 司会の教頭が、青ざめた顔で立ち上がる。


「本日の会見は、以上とさせていただきます」


「ちょっと待ってください!」

「まだ質問があります!」

「校長!」

「副校長、逃げないでください!」


 椅子が引かれる音。

 フラッシュ。

 カメラの赤い録画ランプ。

 立ち上がった校長は、最初よりも深く頭を下げた。

 副校長も続いたが、その肩は小刻みに震えていた。


 壇上の三人が、脇の退場口へ消えていく。


 会場にはなおも怒号が残っていたが、その奥底には、誰も口にしない一つの感覚が共有されていた。


 ——この学校では、まだ何も終わっていない。



 そんな会見の様子を見る、千紗と灯里の、二人。


「この学校、どうなっちゃうのかな」


 千紗は不安そうに、隣の幽霊に尋ねる。


「さあねえ。あたしたち、居場所なくなっちゃうかもよ」


 灯里もまた、隣の幽霊に答える。


 そういえばさ。

 千紗は灯里に問う。


「みんな、どこ行っちゃったの?」

「みんな? 家じゃないの?」

「ううん、違うよ。美月に、紗奈、美央に美歩先輩、優花。それに――依央。死んでしまったみんなは、幽霊にならないの? 私たちみたいに」


 千紗は首を傾げ、考え込む。

 すると、灯里が意外な発言をする。


「なってるよ」


「……えっ?」

「なってる。依央ちゃん以外は、ちゃんと幽霊になってるよ」

「ええっ! じゃ、じゃあ、みんなはどこにいるの?」


 千紗は興奮を隠しきれない。

 幽霊になってひと月ちょっと。

 コミュニケーションが取れるのは、この赤いリボンの子だけ。

 話相手が増えると言うなら、嬉しいことこの上ない。


 と、思っていたのだが。


「千紗ちゃんには、もう関われないと思う」


「ええ……なんでえ?」

「うん。絶対見せてもらえない」


 そうなのかあ。

 千紗は肩を落とす。


 その時、灯里は千紗とは微妙に視線を合わせず、を見ていたことを。

 何か説明を拒否するかのように、口を閉ざしたことを。


 ――千紗は気付かなかった。


「ああっ!」


 と、窓の外を見ていた千紗が叫んだ。


「灯里、灯里! みんなが帰ってきてくれたよ!」


 麗華に雛乃。花音に由依、綺乃に咲良。

 二年一組のクラスメイトが続々と校門をくぐってやってくるのが、見えた。


 千紗も視聴覚ホールから三階の二年一組の教室に急いだ。


「みんな、今日は来てくれてありがとう」


 麗華は笑顔を作って、親にも先生にも内緒で集まてくれたクラスメイトに礼を言う。


「最高の合唱コンクールにするため、練習をしましょう」


 みんなも、教室のリーダーに同意する。


「そうだよね」

「みんなと一緒にコンクール、行きたいし」

「がんばろうね!」


 千紗は、嬉しかった。


 みんなの思いが、一つになっていることが。

 一緒に歌を、歌えることが。


 だからこの先に、どんなに凄惨な未来が待ち受けていたとしても。


 嬉しいと思えるのだ。

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