【第二十五話.大嫌いな親友】

 一年生の頃、姫路の進学校から転入してきた真鍋優花まなべゆうかは、鳴海千紗が嫌いだ。

 大嫌いと言ってもいい。


『千紗なんて、居ても居なくても変わんないって!』


 相沢心寧あいざわここねがクラスのみんなの前でそうウケを取った時も、爆笑の上真っ先に同調したのも彼女だ。


『ほんまやね、おらんでも変わらんよなあ!』


 同じ教室の、それもスクールカーストが近いもの同士。

 お互いを蹴落とすためにイヤミも言い合ったし、悪口も広めたし、嫌がらせもした。

 二人の摩擦は二年一組のデッドヒート領域に達していた。


 おもろないよ、人生なんて。

 せめて千紗でもいじらな、張りがあらへん。


 だから優花は最近、拍子抜けだ。

 鳴海千紗が行方不明になってひと月以上。

 未だにニュースでは行方不明のまま報じられている。


 別に居ないなら居ないで、越したことはない。

 目障りな害虫が居なくなったようなものだ。

 せいせいする、といっても過言ではない。


 どうせ神隠しにでも遭ったか、どっかの輩に殺されて、今頃はコンクリ背負って海の底なんじゃないかとも思う。


 そもそも、だ。


 神様なんて信じていないし、居なくたって別に構わない。

 小さい頃から、そうだ。

 神様は優花に辛く当たってばかりだった。


 人生の大半を、人を羨んで、また、蔑んで生きてきた。

 今更出てきたって、何の恩義も感じはしない。

 のし付けて送り返しちゃる、くらいには憎んでいる。


 だってもし居たら、家賃を滞納する親に代わってウリなんてしなくて済んだはずなのだ。

 だってもし居たら、言うことを聞かない弟たちの世話なんて、しなくて済んだはずなのだ。


 だから、一言。


 もしも本当に神様そいつがいるのなら、言ってやりたい。


 なんでうちなん?


 他におったやん。

 千紗が大好きなあの『バイ菌ちゃん』が。


 他におったやん。

 やせっぽちの玲奈に、ぶっさいくな梓に。


 他におったやん。

 タカビーな咲良に、ミーハーな綺乃に。


 なんでうちなん?


 納得できん、なんでうちばっかり。


 そこにおるやん。

 カースト序列ばっか気にする、青い髪留めが小洒落ててほんまにむかつく。


 ほら、あの、千紗が目の前に――。



 まだ息はあった。


 なんで優花が、校庭のこんな端っこに居たのかまでは千紗にはわからない。

 さっきまで崩れた階段の下敷きになった藤沢美央ふじさわみおの元に居たから。


 なんで美央のお姉さん――藤沢美歩ふじさわみほが、飛び降りたのかまでは千紗にはわからない。

 さっきまで妹さんの手を取って記憶を読んでいたから。


 悲鳴が聞こえた。

 四階の三年生の教室と。


 それから、体育が始まった校庭から。


「誰か落ちたぞー」


 あのふとっちょ高橋先生が大声で叫んで、千紗は夢中で駆けた。

 もう誰も、死んでほしくない。

 その思いを胸に。


 でもその思いは、裏切られることとなった。

 グラウンドの端、植え込みの手前は血の海で、優花と美歩はその血だまりの中心にいる。

 お互い頭を強打していて、美歩の方はもう動かない。


 でも、優花は違った。


 つぶれた左目の代わりに右目は動いていて、確かに千紗を見つめていた。


「優花っ? 優花、聞こえるっ?」

「ち……さ……」

「そう、私、千紗だよっ!」

「あんたぁ……どこにおったん」


 必死で手をさする。

 命の温度は、どくどくと流れ出してゆく。


「学校だよ、ずっとここに居たんだよう!」


「うそ……つかんといて……」

「嘘じゃない、あんたのこともずっと、ずっと見てた!」


「……うちを見よー人なんて……おらん……どこにも……おらんのよ」


「優花? 優花、しっかりして、優花!」


 そう呟いて、優花の瞳は、動かなくなった。

 すぐに高橋先生が駆けつけたけれど。


 もう一度その瞳に光が宿ることは、なかった。



「大丈夫?」


 とぼとぼと『西側』階段を上った先にあるプールサイドのベンチで。

 灯里が千紗に聞く。


「……大丈夫なわけない。一日に三人のお友達が死んだんだもん」

「お腹は?」

「?」

「お腹の具合はどう?」


 どうって。

 そんなん、急に聞かれても困る。


「別に何にもないけど。……うん。お腹いっぱい」

「……そう」

「あのさあ」


 いい加減、もう耐えられない。

 千紗は切り出すことにした。


「なんでそんなにはぐらかすの」

「はぐらかしてないわ」

「してるでしょ。わかってることがあるなら教えてよ!」

「教えても」


 聞かないよ、千紗ちゃんは。

 小さな声で、灯里は呟く。


「言って」

「やだ」

「言って」

「……」


 ばっ。


 千紗は親友に手を振り上げて、びんたを見舞おうとした。

 灯里は両手で顔を庇う。


 そのままの格好で、ふたりの幽霊は静止する。


「……そうやって、依央ちゃんのことも叩いたの?」

「ばいき――依央を叩いたこと、ないよ」

「じゃあ、さっきの子」


 さっきの子?

 問いを返すと、灯里は静かに聞いた。


「千紗ちゃんが必死に呼びかけてた子。あの子は叩いたの?」



「なんなん、急に呼び出して」


 後で話があるから。

 或る初夏の日、そう言って優花を中庭に呼び出した。

 数か月後に二階堂美月にかいどうみつきが死ぬことになる、その場所である。


「あんた、依央になんて言った?」

「え? そんなんもちろん『バイ菌ちゃん』や。あんたが言い出したんやん。……ねえ?」


 細い目をさらに嬉しそうに釣り上げる優花の顔は、千紗に爬虫類を思わせた。


「だめ」

「は?」

「バイ菌ちゃん、は私がつけた名前なの。あんたは使わないで」

「あらあら。こら傑作だこと。あんたが呼ぶのは良くてうちはだめなん? ……そや、ええこと思いついた」


 にんまりと、ヒトの皮を被った毒蛇は嗤った。


「あいつのこと、二人でええように使いましょ」

「……どんな?」

「そんなん、決まっとーやん。身体売らせて、うちらでピンはねするんや」

「……」


 この女は何を言っているんだろう。

 身体を?

 同級生に?


「うちら二人は『バイ菌同盟』。バイ菌はバイ菌らしく使いましょ」


 ぱし。


 言い終わるか終わらないかで、千紗は優花の頬をはたいた。

 無性に。


 無性に腹が立った。


「この人でなし! 最低よ、あんたは」

「……人でなし? ……世間知らず。くくく。これだから困るわぁ」


 ピンクに腫れた頬を摩りながら、優花はまだ、笑っていた。

 その瞳の深さは、千紗の想像よりも、うんと暗かった。


 それが怖くて、千紗はその場から逃げるように立ち去った。


 くくくく。

 いつまでも優花の笑い声が、耳を塞いでも消えない。



「……叩いたよ」

「じゃあ、あの子はお友達じゃないよね」

「ううん」


 千紗は首を振った。


「友達……だったよ」


 みるみる千紗の目に涙が溢れてくる。


「自分みたいな。大嫌いな。友達だった」


 それは、助けられなかった悔しさからか。

 それとも、和解を果たすことのできなかった後悔からか。


 もう、わからない。



 ちいちい。


「ん?」


 校庭の端。

 体育をズル休みした優花は、花壇辺りの茂みに、小鳥の雛を見つけた。


 頭上を見上げる。

 まだ若い桜の木の中間に。

 鳥の巣が、届きそうな位置に作られている。


「なんや、あんた。はぐれてもたん?」


 巣から落ちた、小さな雛。

 親から離れた、小さな子供。


 なんだか親近感が湧いてきた。


「どれどれ、待っとってや。いまうちが帰しちゃる」


 ひょいひょいと軽い足取りで、二メートルの高さにある巣に雛を帰してあげた、優花。

 まだその手には、雛の温かさが残っている。


「優花―?」

「はーい、今行くー」


(ふふん。やったらでけるやん、うちも)


 満足気に誇らしげに、はグラウンドに向けて、歩き出した。


 ちょうどそこが。

 三年生の教室の、真下だった。



 くくくく。

 いつまでも優花の笑い声が、耳を塞いでも消えない。

 いつまでも。


 いつまでも。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る