【第十七話.模範解答ではなく】

 まだ美月が死んだ翌日の教室ではあったが、二年一組は何とか立ち直りを模索しているかのようだった。



 音楽の授業では、合唱コンクールの『硝子の天国』のパート分けした練習が始まっている。

 けれども、美月の欠けた音楽室に、歌声はなかなか戻らない。


「こんな時に」

「歌えったって、ねえ」


 どこからともなく聞こえる、不安と傷心。

 クラスメイト達の合唱コンクールへの熱量が冷めていくのが、千紗には『見えた』。


「こんな時だからこそ」


 声を上げたのは、カーストトップの麗華だ。


「美月の魂も心も、みんな一緒に舞台に連れて行ってあげましょう」


 まるで笑顔と言葉で、クラスを鼓舞する。

 いつもなら、反応するのはカースト中位より上くらい。


 下位の子たちには、優等生の意見は浸透しにくい。

 しかも、死んだのは、下位をいびっていた美月。

 雛乃が助かってよかったなんて声も、ぼそぼそと聞こえたくらいだ。


 ところが。


「……うん。そうだよ、そうだよね……!」

「美月の分まで頑張らなきゃだよね」


 カースト最下位の玲奈や梓まで、顔がほんのりと和らいだ。


「美月が死んじゃったことと、これから頑張らなきゃいけないのは別だものね」


 なんと、いじめられていた雛乃までもが、彼女の意見に賛同したのだ。


「?」


 一番驚いているのは当の麗華だ。


「さすが麗華!」

「クラスのまとめ役だよね!」


 拍手まで起こる状況に、驚くを通り越して困惑している。


「……あ、うん。みんな、がんばろうね」


 笑顔に何か、張りがない。


(ふっふっふ、どうだ、麗華。私の意識改革は)


 誰にも見えない千紗は、ひとり、ほくそ笑んだ。


 そんな練習の合間。

 麗華はカーストナンバー2、クラスの参謀・咲良に耳打ちする。


「最近の二年一組……なんか、おかしいと思わない?」

「そう?」


 しかし、咲良も現在の状況を悪くないと感じているようで、麗華の意図に気付かない。


「……」


 そんな彼女に、麗華は何も言わずにまた歌いだした。


 千紗はというと。

 最近ないくらい、絶好調な体調なのである。


(体が軽いなあ! やっぱルミナリア効果だよねえ)


 お腹がいっぱい満たされて、満足なことこの上ない。


 そんな彼女も、気づかないことが、一つあった。


 合唱に熱中するクラスメイトのひとりが、ここ数日学校に来ていない。

 そのことに。



 音楽の授業が終わって、お昼休み。

 麗華がひとりでご飯を食べている。


(へえ)


 めずらしいこともあるもんだと思い、彼女に近づこうとしたとき。

 何かに躓きもんどりうって転んだ。


「ぎゃんっ」


 教室の床がなぜかデコボコとしていて、それに足を引っかけたようだ。


(もう、なんなのよう)


 おでこを押さえながら見ると、麗華の足元には、見たことのないくらい大量の根が、びっしりと生えている。


「うわお」


 今まで、こんなに根を張った人、居ただろうか。


『見ようとしていないからだよ』


 そうか。

 灯里も言っていた。


 


 と、躓いて触れた根が、一本だけだが柔らかくほどけた。

 気付かず根に干渉していたようだ。


 千紗は気づかなかったが。

 この時、彼女の表情がほんの少し柔らかくなっていたのだ。


 すっくと立ちあがる麗華。

 つかつかと歩いて、向かった先に居たのは、雛乃。

 やはり、昼食が喉を通らないのか、持ってきたお弁当を前に固まっている。


 そんなカースト下層のクラスメイトの肩に手を当てて、麗華はこう言った。


「だいじょうぶ? 雛乃」


 クラスメイトが一気にざわつく。

 視線が一点に集まる。


「れいかぁ、私、私……」


 あーん。あーん。

 雛乃は声を上げてすすり泣いた。

 そんな彼女を、カーストトップが優しく抱擁する。


「まじ?」

「麗華が雛乃を?」


 驚愕とも驚嘆ともとれる声を各々にあげる二年一組の生徒たち。


(はて? 私は一体何を見ているんだろう)


 クラスに走る衝撃。

 揺れる秩序。


 千紗もまた、何が起こったのかわかっていない一人である。



 夜。

 皆が帰り、教職員も居なくなった月明かりだけになった屋上プールサイドで。


「いらっしゃい、私のプライベートビーチに」


 休憩用のベンチでゴロンと横になる千紗を、青陵高の制服を着た灯里が覗きこむ。


「お隣いいですか」

「いーよー」


 千紗は膝を曲げてスペースを作ってあげると、その横にちょこんと灯里が座った。


 お月さまは満月。

 寒空のプールサイドに佇む幽霊二人を優しく照らす。


「月が綺麗ですね」


 見上げた灯里が聞いてくる。


「あ、それ、知ってる、愛してますって意味なんだよね!」


 千紗は体を起こし、たった一人になってしまった友達を見た。


「ぱんつ」

「へ?」

「もう、隠しなよー」


 灯里が笑う。

 千紗も笑った。


「千紗ちゃん」


 灯里の声には、温度も温もりもないけれど、聞いているとなんでか落ち着くのだ。


「なあに?」

「千紗ちゃん、あんたさ。変えてるよ」


 変えてる?

 何を変えてるんだろうと思う。


「意識改革。順調そうじゃんか」

「ああ、そのことね。うん! 順調順調、順風満帆よー!」


 千紗は制服の袖をめくり、腕を折り曲げて力こぶの仕草をして見せた。


「クラスの改革にお困りなら、この鳴海千紗にお任せくださいませっ」


 にかっと歯を見せて笑って見せる。


 ぷ。

 灯里が噴き出した。


「お任せって……ぷにぷにじゃん」


 そう言って、千紗の二の腕を摘まんだ。


「いーの、私ぁ生まれてこの方、文科系なんだから!」

「よわそー」


 あっはははは。

 千紗は開いたままの足をやっと閉じて、スカートの裾を直すと、赤リボンの青陵高の子に聞いた。


「ねえ、灯里は、どんな高校生だったの?」

「どんな?」


 笑い転げていた灯里は、涙をぬぐって千紗を見た。


「ん-、部活とか! 委員会とか!」

「部活は、理科部だったよ」

「げえ、理科部ー?」


 あのカースト最底辺三人組の面子の顔が頭に浮かぶ。


「あれ、だめだった?」

「だめじゃないけど。どうせマンガ読んでるだけでしょ」

「あら失礼な。あたしは描くほうでした」

「漫研入れよー」


 お腹を抱えて爆笑する千紗。


「漫研、無かったんだ。あたしの高校」

「ええっ、青陵高、結構大きいのにね?」

「さあね? でも、あたしのマンガ、人気だったよ? 持ち込んで、担当さんまで付いたんだから」

「担当さん? ってなに?」


 それからも、二人は話し、笑い、肩を叩き合った。


「はあ、おもしろ」

「あら、千紗ちゃんも中々だよん」


 そして、濁った水を湛えたプールを見ながら、こう続けた。


「千紗ちゃん。あなたさ、人を変えてるよ」

「? さっきも聞いたけど?」

「うん、まあ、そうなんだけど」


 そして、少しの間を開けて、千紗の方へ向き直った。


「いい意味だけじゃなくてね」


 どういうことだろうと思うと、途端に灯里は


「あー、またそうやって逃げるんだからー!」


 月明かりの下。

 白く照らされたプールサイドで。


 幽霊は一人、憤慨した。

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