【第十七話.模範解答ではなく】
まだ美月が死んだ翌日の教室ではあったが、二年一組は何とか立ち直りを模索しているかのようだった。
◇
音楽の授業では、合唱コンクールの『硝子の天国』のパート分けした練習が始まっている。
けれども、美月の欠けた音楽室に、歌声はなかなか戻らない。
「こんな時に」
「歌えったって、ねえ」
どこからともなく聞こえる、不安と傷心。
クラスメイト達の合唱コンクールへの熱量が冷めていくのが、千紗には『見えた』。
「こんな時だからこそ」
声を上げたのは、カーストトップの麗華だ。
「美月の魂も心も、みんな一緒に舞台に連れて行ってあげましょう」
まるで模範解答のような笑顔と言葉で、クラスを鼓舞する。
いつもなら、反応するのはカースト中位より上くらい。
下位の子たちには、優等生の意見は浸透しにくい。
しかも、死んだのは、下位をいびっていた美月。
雛乃が助かってよかったなんて声も、ぼそぼそと聞こえたくらいだ。
ところが。
「……うん。そうだよ、そうだよね……!」
「美月の分まで頑張らなきゃだよね」
カースト最下位の玲奈や梓まで、顔がほんのりと和らいだ。
「美月が死んじゃったことと、これから頑張らなきゃいけないのは別だものね」
なんと、いじめられていた雛乃までもが、彼女の意見に賛同したのだ。
「?」
一番驚いているのは当の麗華だ。
「さすが麗華!」
「クラスのまとめ役だよね!」
拍手まで起こる状況に、驚くを通り越して困惑している。
「……あ、うん。みんな、がんばろうね」
笑顔に何か、張りがない。
(ふっふっふ、どうだ、麗華。私の意識改革は)
誰にも見えない千紗は、ひとり、ほくそ笑んだ。
そんな練習の合間。
麗華はカーストナンバー2、クラスの参謀・咲良に耳打ちする。
「最近の二年一組……なんか、おかしいと思わない?」
「そう?」
しかし、咲良も現在の状況を悪くないと感じているようで、麗華の意図に気付かない。
「……」
そんな彼女に、麗華は何も言わずにまた歌いだした。
千紗はというと。
最近ないくらい、絶好調な体調なのである。
(体が軽いなあ! やっぱルミナリア効果だよねえ)
お腹がいっぱい満たされて、満足なことこの上ない。
そんな彼女も、気づかないことが、一つあった。
合唱に熱中するクラスメイトのひとりが、ここ数日学校に来ていない。
そのことに。
◇
音楽の授業が終わって、お昼休み。
麗華がひとりでご飯を食べている。
(へえ)
めずらしいこともあるもんだと思い、彼女に近づこうとしたとき。
何かに躓きもんどりうって転んだ。
「ぎゃんっ」
教室の床がなぜかデコボコとしていて、それに足を引っかけたようだ。
(もう、なんなのよう)
おでこを押さえながら見ると、麗華の足元には、見たことのないくらい大量の根が、びっしりと生えている。
「うわお」
今まで、こんなに根を張った人、居ただろうか。
『見ようとしていないからだよ』
そうか。
灯里も言っていた。
見ようとしなければ見えない。
と、躓いて触れた根が、一本だけだが柔らかくほどけた。
気付かず根に干渉していたようだ。
千紗は気づかなかったが。
この時、彼女の表情がほんの少し柔らかくなっていたのだ。
すっくと立ちあがる麗華。
つかつかと歩いて、向かった先に居たのは、雛乃。
やはり、昼食が喉を通らないのか、持ってきたお弁当を前に固まっている。
そんなカースト下層のクラスメイトの肩に手を当てて、麗華はこう言った。
「だいじょうぶ? 雛乃」
クラスメイトが一気にざわつく。
視線が一点に集まる。
「れいかぁ、私、私……」
あーん。あーん。
雛乃は声を上げてすすり泣いた。
そんな彼女を、カーストトップが優しく抱擁する。
「まじ?」
「麗華が雛乃を?」
驚愕とも驚嘆ともとれる声を各々にあげる二年一組の生徒たち。
(はて? 私は一体何を見ているんだろう)
クラスに走る衝撃。
揺れる秩序。
千紗もまた、何が起こったのかわかっていない一人である。
◇
夜。
皆が帰り、教職員も居なくなった月明かりだけになった屋上プールサイドで。
「いらっしゃい、私のプライベートビーチに」
休憩用のベンチでゴロンと横になる千紗を、青陵高の制服を着た灯里が覗きこむ。
「お隣いいですか」
「いーよー」
千紗は膝を曲げてスペースを作ってあげると、その横にちょこんと灯里が座った。
お月さまは満月。
寒空のプールサイドに佇む幽霊二人を優しく照らす。
「月が綺麗ですね」
見上げた灯里が聞いてくる。
「あ、それ、知ってる、愛してますって意味なんだよね!」
千紗は体を起こし、たった一人になってしまった友達を見た。
「ぱんつ」
「へ?」
「もう、隠しなよー」
灯里が笑う。
千紗も笑った。
「千紗ちゃん」
灯里の声には、温度も温もりもないけれど、聞いているとなんでか落ち着くのだ。
「なあに?」
「千紗ちゃん、あんたさ。変えてるよ」
変えてる?
何を変えてるんだろうと思う。
「意識改革。順調そうじゃんか」
「ああ、そのことね。うん! 順調順調、順風満帆よー!」
千紗は制服の袖をめくり、腕を折り曲げて力こぶの仕草をして見せた。
「クラスの改革にお困りなら、この鳴海千紗にお任せくださいませっ」
にかっと歯を見せて笑って見せる。
ぷ。
灯里が噴き出した。
「お任せって……ぷにぷにじゃん」
そう言って、千紗の二の腕を摘まんだ。
「いーの、私ぁ生まれてこの方、文科系なんだから!」
「よわそー」
あっはははは。
千紗は開いたままの足をやっと閉じて、スカートの裾を直すと、赤リボンの青陵高の子に聞いた。
「ねえ、灯里は、どんな高校生だったの?」
「どんな?」
笑い転げていた灯里は、涙をぬぐって千紗を見た。
「ん-、部活とか! 委員会とか!」
「部活は、理科部だったよ」
「げえ、理科部ー?」
あのカースト最底辺三人組の面子の顔が頭に浮かぶ。
「あれ、だめだった?」
「だめじゃないけど。どうせマンガ読んでるだけでしょ」
「あら失礼な。あたしは描くほうでした」
「漫研入れよー」
お腹を抱えて爆笑する千紗。
「漫研、無かったんだ。あたしの高校」
「ええっ、青陵高、結構大きいのにね?」
「さあね? でも、あたしのマンガ、人気だったよ? 持ち込んで、担当さんまで付いたんだから」
「担当さん? ってなに?」
それからも、二人は話し、笑い、肩を叩き合った。
「はあ、おもしろ」
「あら、千紗ちゃんも中々だよん」
そして、濁った水を湛えたプールを見ながら、こう続けた。
「千紗ちゃん。あなたさ、人を変えてるよ」
「? さっきも聞いたけど?」
「うん、まあ、そうなんだけど」
そして、少しの間を開けて、千紗の方へ向き直った。
「いい意味だけじゃなくてね」
どういうことだろうと思うと、途端に灯里は見えなくなった。
「あー、またそうやって逃げるんだからー!」
月明かりの下。
白く照らされたプールサイドで。
幽霊は一人、憤慨した。
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