【第十四話.いいこと】

 千紗は、クラスを縛る根に干渉を続けた。


 依央以外には、大抵、いい反応が起きる。


 カースト最底辺の小坂玲奈こさかれな牧村梓まきむらあずさの足元に息を吹きかけると。

 光る根っこはするりとほどけて、変わるのは彼女たちの顔色。


「ねえ、早乙女さん!」

「これ見て、真琴!」


 彼女たちには不釣り合いな、上位クラスの女子生徒たちに、積極的に声をかけるようになったのだ。


 声をかけられた上位の女子たちも、物珍しさに応じてくれ、カースト下位と上位たちの交流がここ数日目立つようになった。


「なんか、雰囲気変わったよね」


 下位でもなく上位でもなく、そんな声が上がり始める。


 クラスは、良い感じだ。

 ふふん。

 見えない千紗は、ドヤ顔で自慢げだ。


「意識改革だよん」


 しかし。


 依央にはそれが通じない。

 もう一度息を吹きかけてみたが、以前と結果は同じ。

 顔色が悪くなったり、気持ち悪そうにして、すぐに保健室に直行してしまう。


 何が違うんだろう。

 彼女は考える。



 授業は古典。

 文系の教室は二年一組だが、理系の依央は今、化学の授業で理科室だろう。


 古文の先生は、冬休みに入るタイミングで産休に入る予定の、今野菜々こんのなな先生(29)。

 おっとりしてて優しくて胸が大きくて、大きなお腹で一生懸命に授業する姿が、女子たちに大人気の先生だ。


 上二段活用とか、下二段活用とか、理系の千紗にはさっぱりだが、おっとりと優しく説明するので、ちょっとだけ歴女になった気持ちになれる。


 時間は四時間目。

 みんな、給食前でお腹が減っていた。

 後ろの席の芹沢環せりざわたまきなんて、こっそり早弁してたりもする。


 今野先生は優しいから、そんな環の授業態度にも目をつぶってくれる。


 後ろで早弁を食べられてる千紗も、お腹がペコペコだ。

 早く、何かでお腹を満たしたい。


 今野先生は優しいから。


 柔らかい雰囲気も、柔らかい香りも、大きなお腹も、とても。


 美味しそうで美味しそうでたまらない。



 四時間目も終わり、時刻はお昼休みの時間。

 カーストの上下も、理系も文系も関係なく、自由にご飯を食べる時間だ。


 千紗の意識改革は順調で、みんな笑顔でご飯を食べる。


(うんうん、たんとお食べ。喜んで、二年一組のみんな)


 千紗がひとり、悦に入っていると。


「ちょっとちょっと!」


 噂話が何よりも大好きな、宮下莉子みやしたりこが血相を変えて駆け込んできた。


「ふぇっ?」


 千紗はお腹がいっぱいでぼんやりしていたから、寝耳に水みたいになってしまった。


「ナナちゃんせんせー、倒れたみたい!」


 ナナちゃんせんせーとは、あの優しい今野先生のことだ。


「……ええっ!」


 にわかに騒ぎ始める、クラスメイトたち。

 旧校舎三階の二年一組から出て、西側の階段の近くで、蹲っているようだ。

 何人か、先生が――その中には朝倉先生もいた――囲んでいる。


「救急車、救急車呼んで!」


 体育の高橋先生が叫ぶ。

 当のナナちゃんせんせーは、顔面蒼白だ。

 お腹を押さえて、何か必死に訴えている。


 野次馬の生徒たちは、先生たちによって引き離され、千紗だけは近づくことが出来た。


「どうしたの、ナナちゃん」


 千紗は、その口に耳を近づけた瞬間、ついにパニックに陥ったのか、大声で叫び始めた。


「わたしの、わたしの赤ちゃんが、赤ちゃんが!」


 落ち着いてください、深呼吸してください。

 そんな先生の言葉も耳には入らなくなってしまった。


「赤ちゃんが、いなくなっちゃったのぉお!」


 ふっくら、柔らかい、優しい今野先生。

 そのお腹は、すっきりとくびれて、マタニティ服がずり落ちていた。



 千紗は、唖然と廊下に立ちつくしていた。

 ナナちゃんせんせーは、すぐに来た救急車に乗せられて、緊急搬送された。


 ストレッチャーの上でも、ひたすら、赤ちゃんが、赤ちゃんが、と叫んでいたらしい。


 赤ちゃんが居なくなった。


 そういえば。

 昨日も似たことがなかっただろうか。


 あれは、だれだったか。


 赤ちゃんが出来て、とまどいながらも事実を受け入れていた、そんなひとが居なかっただろうか。


 ああ、だめだ。

 お腹がいっぱいで、頭がぼんやりとして考えられない。


 そうこうしているうちに、夕方になってしまっていた。


(いけない、時間が『飛ん』じゃった)


 千紗は、ゆっくりと歩いて、渡り廊下を南に進み、新校舎の同じ階にある音楽室に顔を出した。


 合唱部が、課題曲を歌っている。

 千紗も所属していたその部は、系列校との合同部。

 今日は、常盤聖女主催らしく、他校の子も混じっている。


 千紗は、みんなの前に体育座りして、特等席でいきものがかりを聞く。


(うんうん)


 やはり、麗華の声は一段も二段も上をいっている。

 合唱部なのに、まるで麗華のために用意されているかのよう。


 一時間程練習を繰り返し、短く反省会をして、この日の合同部活動は終了となった。


「えっ、そうなの?」

「うん、やっぱりさー」


 合唱部のもう一人の二年生、カースト下位の遠山雛乃とおやまひなのが、麗華の言葉に驚く。


 ――なになに、聞いてあげよっかな。


 すっかりクラスの相談役にでもなったかのような千紗は、ドヤっと、二人に近づく。


「やっぱりさー、変だよ」

「そ、そかな。私は、良い感じだと思うけど」


 合唱のことかな。

 そう思って聞いていると。


「最近の、二年一組。変じゃない? 私は、変だと思う」


 え。


 麗華の口から飛び出た意外なひと言に、固まる千紗。


 そう言ったきり、窓の外の夕日を遠く眺めて、麗華は固まってしまった。


(なにかだめなこと、してたっけなあ)


 みんな喜んでいる。

 カースト上下も関係なく。


 麗華は好きだけど、そんなふうに言われるのは心外だ。


「おつかれさまー」


 思案を巡らせていたら、当の本人たちはとっとと帰ってしまった。


「ああっ、麗華、雛乃ー!」


 もう、なんだよ。

 いいこと、したじゃんか。


 みんな笑顔になったじゃないか。


「私、いいことしたじゃんー!」

「そう思うん?」


 音楽室に灯里が現れて、言う。


「うん。まあ、あれよ。私なりの罪滅ぼしってやつ?」


「それ、ほんとにいいこと?」


 ……。


「えと。いいこと……だと思う」


 答えを言い切る前に、灯里はまた見えなくなった。


「もー、なんだよー!」


 幽霊の叫び声は、しかし、誰にも届かずに消えた。

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