【第十二話.飢え】

『そのうちあなたも食べるようになる』


 灯里は、何故だか悲しげだった。

 背中だったから、顔までは見られなかったけれど。



 現代文の授業が終わって、がたがたと二年一組から出ていくクラスメイト達。


『このクラスのカーストを支配しているのは、『何』なの?』

『それを見つけるのが、千紗ちゃんの使命』


 次の授業は体育。

 みんな、旧校舎の二階にある更衣室に向かうのだ。

 もともと二クラス制であった時に、一年二組だった教室を、今は女子更衣室として使いまわしている。


 千紗は普段、二年一組の自身の席に着いたまま、授業を聞く。

 そうやって、意識していないと、あっという間に時間が過ぎてしまうのだ。

 このままでは、気が付いたら周りは新二年生だなんてことにもなりかねない。

 しっかり授業を聞いて、しっかり勉強する。

 ただそれをしているだけなのに、頭のいい子になった気分になるものだ。


 体育は、見ているだけの参加。

 更衣室で着替える必要もなければ、一緒にバレーボールやバスケットボールを追いかけたり、持久走をしたりしなくてもよい――というか出来ない。


 だから、みんなが出ていって、校庭や体育館に出る頃合いになるまで、まったりと過ごしている。

 まったりすごしているから、考える。

 考えてしまう。


 昨日、灯里に言われたことが、否が応にも頭をよぎる。


 ――役目って?

 たべるって?


 そういえば。


(お母さんが最後に作ってくれたお弁当、なんだったっけ)


 たしか――。


 だめだ、思い出せない。

 美味しかったはずなのに。


 そうだ。

 依央が隣の席になって、それが嫌で不貞腐れていて。


 何を食べたのか、思い出すことができないのだ。


(なんて、なんて馬鹿だったんだろう)


 もちろん、依央を虐めていたことは、悪いことだ。

 千紗は反省しているし、出来ることなら謝りたい。

 可能かどうかは別として。


 馬鹿だったのは、それだけでない。


(死刑になる人って、最後に食べるご飯を選べるんだっけ)


 自分の犯した罪に向き合い、受け入れ、来るべく死の前に、最後のご飯を食べる。

 そうやって死んでいった人がたくさんいる。

 行き先が天国か地獄かは別として。


 それに比べて、自分はどうだろうか。


 朝倉先生によると、いじめをしていた千紗は死刑に値するそうだ。

 それなのに、千紗と来たら。


 執行前の最後のご飯すら、粗末に残していた――。


 などと自戒に暮れていたら、お腹が減ってきた。

 変だなあ、『死んで』からは空腹を感じたことは一度もなかったのに。

 ぐうと、お腹まで鳴り出す。


 でも、何を食べればいいんだろう。


(そうか、あの時のお弁当、まだ食べられるかな)


 と、教室後ろのロッカーに学生カバンを取りに行くが……。

 誰かに処分されたのか――おそらく朝倉先生だろう――、ロッカーの中は空っぽだった。


 ぐうぅ。


 強烈な空腹感と、眩暈。

 明らかに、異常であると言えた。


「う……お腹が……」


 お腹を抱える。

 まるで、これは、そう。


『謝ればなんでも済む、と。鳴海さんはそう考えている』


 なんでか、こんな時に限って、いちばん思い出したくない記憶が、フラッシュバックする。


『しかし。許されないこともある。違いますか』


 お腹が痛い。

 お腹が苦しい。


『先生はね、鳴海さん。怒っています』


 窓の外には、クラスメイトたちの、談笑する明るい声。

 自分は、真っ暗な部屋で、苦しんでいる。


 何故さっきまで晴れて綺麗だった空が、今は暗いのか。

 そもそも、暗いのは自分の視界か、世界か。


 自分に何が起きているのか。


『悪いことをしたら。人を傷つけることをしたら。どうすればいいと思いますか?』


 何もわからない。

 ただ、お腹が。


 お腹が減って。


 誰か。


 誰か助けて。



 がらっ。


 扉が開く音と共に、暗闇に包まれた視界が明るくなる。

 白石依央が、教室の扉を開けたのだ。

 そして、まっすぐ千紗の席の隣にやってきた。


「なにしてんの?」


 依央が、千紗に問う。


「あ……いや……お腹が」


 気がつくと、あれだけ苦しかった飢餓感がなくなっている。


「……えと、なんだっけ」


 依央の問いに千紗は曖昧に返事をすると。

 ふうん。

 依央は興味もなさげに机の脇に掛かった体育着を取ると、足早に教室から駆けだした。


 ――教室に体育着でも忘れてきたのかな。

 おっちょこちょいなんだから。


 ん?


「「あれ?」」


 ふたりで同時に声を上げた。


 がらっ。


 再び依央は扉を開ける。

 思わず、自分の席の後ろに隠れる千紗。

 だがもちろんのこと、依央の目に彼女は映らない。


「んー?」


 無人の教室を見て、首を傾げる依央。

 そんな彼女から隠れて、口をふさぐ千紗。


 お腹をさする。

 さっきまでのアレは……。


 アレ?


(なんだっけ、なんか嫌なことが有ったような気がする)


 しかしやはり、どんなに考えてもわからない。


「遅いよー」


 梓が、遠くの校庭で依央を呼んでいる。

 ごめーん。

 依央は走ってみんなの輪に入っていった。


 ――いいなあ。


 生きていたら。

 死んでいなかったら。


 あそこで手を振りながら走っているのは、依央ではなくて自分だったかもしれないのに。


「よく我慢できたね」


 この優しくて落ち着いたアルトの声は、灯里のもの。

 振り返らずとも、その場にのだから便利なことこの上ない。

 彼女の突然の出現にも、随分と慣れてきた頃だ。


「我慢って、なに?」

「覚えてないの?」


 覚えてないの、と聞かれても、わからないモノはわからないのだから、そう聞かれても、困る。


「そっかあ。まだ見えてないんだねえ」

「悪い?」

「まあまあ」


 むっとした千紗を、灯里がなだめる。


「きゃあ」


 小さな悲鳴が聞こえて、二人の幽霊は校庭を見た。

 誰かが転んでいる。

 依央――に見える。


「依央りん、大丈夫?」

「顔色悪いよ」

「保健室行こう」


 まるでカースト上位のお嬢様みたいな扱いを受けているのが、少し面白くないが、どうやら具合が悪いようだ。


「あの子の、おかげかもね」

「あの子って、依央のこと?」


「うん。苦しかったでしょう。それが治った」


 忘れてしまっている千紗にはわからない。

 見えない千紗にはわからない。


 けれどともかく今日。

 千紗は自分を殺したともだちに、助けられた。

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