【第十二話.飢え】
『そのうちあなたも食べるようになる』
灯里は、何故だか悲しげだった。
背中だったから、顔までは見られなかったけれど。
◇
現代文の授業が終わって、がたがたと二年一組から出ていくクラスメイト達。
『このクラスのカーストを支配しているのは、『何』なの?』
『それを見つけるのが、千紗ちゃんの使命』
次の授業は体育。
みんな、旧校舎の二階にある更衣室に向かうのだ。
もともと二クラス制であった時に、一年二組だった教室を、今は女子更衣室として使いまわしている。
千紗は普段、二年一組の自身の席に着いたまま、授業を聞く。
そうやって、意識していないと、あっという間に時間が過ぎてしまうのだ。
このままでは、気が付いたら周りは新二年生だなんてことにもなりかねない。
しっかり授業を聞いて、しっかり勉強する。
ただそれをしているだけなのに、頭のいい子になった気分になるものだ。
体育は、見ているだけの参加。
更衣室で着替える必要もなければ、一緒にバレーボールやバスケットボールを追いかけたり、持久走をしたりしなくてもよい――というか出来ない。
だから、みんなが出ていって、校庭や体育館に出る頃合いになるまで、まったりと過ごしている。
まったりすごしているから、考える。
考えてしまう。
昨日、灯里に言われたことが、否が応にも頭をよぎる。
――役目って?
たべるって?
そういえば。
(お母さんが最後に作ってくれたお弁当、なんだったっけ)
たしか――。
だめだ、思い出せない。
美味しかったはずなのに。
そうだ。
依央が隣の席になって、それが嫌で不貞腐れていて。
何を食べたのか、思い出すことができないのだ。
(なんて、なんて馬鹿だったんだろう)
もちろん、依央を虐めていたことは、悪いことだ。
千紗は反省しているし、出来ることなら謝りたい。
可能かどうかは別として。
馬鹿だったのは、それだけでない。
(死刑になる人って、最後に食べるご飯を選べるんだっけ)
自分の犯した罪に向き合い、受け入れ、来るべく死の前に、最後のご飯を食べる。
そうやって死んでいった人がたくさんいる。
行き先が天国か地獄かは別として。
それに比べて、自分はどうだろうか。
朝倉先生によると、いじめをしていた千紗は死刑に値するそうだ。
それなのに、千紗と来たら。
執行前の最後のご飯すら、粗末に残していた――。
などと自戒に暮れていたら、お腹が減ってきた。
変だなあ、『死んで』からは空腹を感じたことは一度もなかったのに。
ぐうと、お腹まで鳴り出す。
でも、何を食べればいいんだろう。
(そうか、あの時のお弁当、まだ食べられるかな)
と、教室後ろのロッカーに学生カバンを取りに行くが……。
誰かに処分されたのか――おそらく朝倉先生だろう――、ロッカーの中は空っぽだった。
ぐうぅ。
強烈な空腹感と、眩暈。
明らかに、異常であると言えた。
「う……お腹が……」
お腹を抱える。
まるで、これは、そう。
『謝ればなんでも済む、と。鳴海さんはそう考えている』
なんでか、こんな時に限って、いちばん思い出したくない記憶が、フラッシュバックする。
『しかし。許されないこともある。違いますか』
お腹が痛い。
お腹が苦しい。
『先生はね、鳴海さん。怒っています』
窓の外には、クラスメイトたちの、談笑する明るい声。
自分は、真っ暗な部屋で、苦しんでいる。
何故さっきまで晴れて綺麗だった空が、今は暗いのか。
そもそも、暗いのは自分の視界か、世界か。
自分に何が起きているのか。
『悪いことをしたら。人を傷つけることをしたら。どうすればいいと思いますか?』
何もわからない。
ただ、お腹が。
お腹が減って。
誰か。
誰か助けて。
◇
がらっ。
扉が開く音と共に、暗闇に包まれた視界が明るくなる。
白石依央が、教室の扉を開けたのだ。
そして、まっすぐ千紗の席の隣にやってきた。
「なにしてんの?」
依央が、千紗に問う。
「あ……いや……お腹が」
気がつくと、あれだけ苦しかった飢餓感がなくなっている。
「……えと、なんだっけ」
依央の問いに千紗は曖昧に返事をすると。
ふうん。
依央は興味もなさげに机の脇に掛かった体育着を取ると、足早に教室から駆けだした。
――教室に体育着でも忘れてきたのかな。
おっちょこちょいなんだから。
ん?
「「あれ?」」
ふたりで同時に声を上げた。
がらっ。
再び依央は扉を開ける。
思わず、自分の席の後ろに隠れる千紗。
だがもちろんのこと、依央の目に彼女は映らない。
「んー?」
無人の教室を見て、首を傾げる依央。
そんな彼女から隠れて、口をふさぐ千紗。
お腹をさする。
さっきまでのアレは……。
アレ?
(なんだっけ、なんか嫌なことが有ったような気がする)
しかしやはり、どんなに考えてもわからない。
「遅いよー」
梓が、遠くの校庭で依央を呼んでいる。
ごめーん。
依央は走ってみんなの輪に入っていった。
――いいなあ。
生きていたら。
死んでいなかったら。
あそこで手を振りながら走っているのは、依央ではなくて自分だったかもしれないのに。
「よく我慢できたね」
この優しくて落ち着いたアルトの声は、灯里のもの。
振り返らずとも、その場にあらかじめ居てくれるのだから便利なことこの上ない。
彼女の突然の出現にも、随分と慣れてきた頃だ。
「我慢って、なに?」
「覚えてないの?」
覚えてないの、と聞かれても、わからないモノはわからないのだから、そう聞かれても、困る。
「そっかあ。まだ見えてないんだねえ」
「悪い?」
「まあまあ」
むっとした千紗を、灯里がなだめる。
「きゃあ」
小さな悲鳴が聞こえて、二人の幽霊は校庭を見た。
誰かが転んでいる。
依央――に見える。
「依央りん、大丈夫?」
「顔色悪いよ」
「保健室行こう」
まるでカースト上位のお嬢様みたいな扱いを受けているのが、少し面白くないが、どうやら具合が悪いようだ。
「あの子の、おかげかもね」
「あの子って、依央のこと?」
「うん。苦しかったでしょう。それが治った」
忘れてしまっている千紗にはわからない。
見えない千紗にはわからない。
けれどともかく今日。
千紗は自分を殺したともだちに、助けられた。
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