【第三章.千紗と二年一組の呪縛】
【第十一話.灯里】
「もう、鳴海さんってば、毒舌ー」
赤いリボンのよく似合うその子は、月明かりの下でにっこりと笑った。
「やっと見えた。やっと会えた」
千紗は、まるで十年来の親友に会ったかのように、ほっと息を吐く。
「あたしにはずっと、見えてたけどね」
「あなた……なんて言うの。その……」
なまえ?
ようやく認識できたその子は、目を伏せて頭を下げた。
「
「灯里……」
いい名前だと思う。
暗い暗いこの世界で、たったひとつ、千紗が手にすることが出来た、あかり。
仲間に相応しい名前だと思った。
すっと、灯里が手を差し出す。
「?」
「あくしゅ。なかよしになる為のおまじない」
「? うん?」
千紗は灯里の手を取った。
「ふふ。あったかいでしょ」
「……うん」
お互い幽霊だというのに、こんなにも温もりを感じられるだなんて。
「よっぽど人肌に飢えてたんだねえ、鳴海さんは」
「え?」
灯里はもう片方の人差し指を、ちっちっち、と三回口の前で振る。
「あたしも幽霊。鳴海さんと同じ」
「千紗でいいよ」
「そう……千紗って言うの。……で、千紗ちゃんと同じ幽霊だから、体温なんてない」
ひやっ。
温かかったその手は、お豆腐みたいに冷たかった。
「またまた、見ようとしてなかったね」
「……えーと」
つまりはね。
灯里は手を離すと、黒板の前に立つ。
そして、チョークを『握って』、絵を描き始めた。
「これ、千紗ちゃん」
そう言って棒人間を描いた。
ポニーテールが再現されている。
棒人間が何かを見ている。
……花だ。
幼稚園児でもわかるようなチューリップを、黄色のチョークで咲かせた。
「千紗ちゃんはお花を見ています。これ、何に見える?」
「チューリップでしょ?」
「ぶっぶー。正解はひまわりでした」
「ひまわり?」
いや、どう見ても、とんがりが三つある、チューリップにしか。
――と、瞬きすると。
「あっ」
描かれていたのは黄色いチョークでひまわりだった。
「何色だと思う?」
「きいろ……」
「それも、不正解でーす」
また瞬きすると、青いチョークで書かれた、青いひまわりに変わる。
「千紗ちゃんはね、素直すぎるんだよ。自分が信じているものは、何一つ間違っていない。そんな前提でモノを見ている。だから?」
「……見ようと……していない?」
「ぴんぽんぴんぽん! 今度は大正解だね」
うーんと。
彼女は千紗の横を通って、窓から空を覗いた。
「ね、お月さま。またいっしょに見に行かない?」
「またって」
そう言いかけて、千紗はハッとなる。
「見てたの? あの時も」
「ふふ。まあ、いっしょに行こうよ」
ぱしっと千紗の手を繋ぐと、灯里は走り出した。
不意に黒板に目をやる。
黒板は綺麗に掃除をされていて、青いひまわりは初めから咲いていない。
◇
あはははは。
灯里が笑う。
どうして笑うの。
千紗が聞く。
あはははは。
ねえ。
千紗ちゃん。
楽しいね。
◇
旧校舎屋上のプールに着いた。
水は抜かれて、綺麗に掃除されていて、青い月明かりがプールサイドを白く浮きだたせている。
ほんのり、塩素の臭いが鼻を突く。
「千紗ちゃん、どこでお月さま見てたっけ」
「え、そこのプールの真ん中だけど」
「じゃあ、行ってみようか!」
「?」
ふたりは、プールに降りる梯子の前に立った。
「レディーファーストで」
赤いリボンの他校生は千紗に降りるように促す。
「レディーって、灯里もじゃん」
などと口にしつつも、灯里の方を見ながら一段降りると。
――ぱしゃっ。
「え?」
足にあるはずのない水の感覚がして、振り返る。
ところが、プールはがらんどうのままである。
千紗は灯里の方を向き直り、訴える。
「なんかいま、足が濡れたんだけど」
「本当に何も見えていない? よく見てみて」
幽霊の親友は顔を近づけて、そして視線でプールを見るように促す。
「よく……見る……」
また瞳を閉じて、再び開くと。
「……ええっ?」
プールは濁った水で満たされ、藻みたいな臭いまでした。
「いやーびっくりしたよ。あの時は」
あははは。
また灯里は笑う。
「こんな汚い水の中に入っていくんだもん、入水自殺かと思っちゃったよ」
「つまり」
千紗は水につけた片足を引き上げて、プールサイドに戻った。
上履きはびしゃびしゃ、不快なことこの上ない。
「あの日溺れたのは、自分で沈んでいった所為なわけね」
「それも違う」
はあ、と、この日何度目かのため息をする。
「違う違うって、いったい何が」
「例えばさ、その足、本当に濡れているかな?」
……千紗は、だんだんからくりが分かってきた。
「濡れてない」
でしょ?
そう言って灯里はドヤ顔をした。
「でもおかしいな。確かにあの時、変な薬みたいな中で、溺れたんだけど」
すると、灯里の顔から笑みが消えた。
「それは、二年一組の呪縛に、深く関わってることなんだよ」
「呪縛?」
「実はね」
灯里は、千紗に背を向け、そして数歩歩いてから、振り返った。
「あたしも殺されたの。――朝倉恒一先生に」
◇
「え?」
気が付くと目の前は二年一組の教室だ。
化学基礎の授業なのか、教壇に立つのは朝倉先生。
日付を見ると、プールに立っていた日から一週間ほど経過している。
『千紗ちゃんは二年一組のカーストの呪縛を見つけた。それは偉いと思う』
気付くと隣に灯里が居らず、声だけがヘッドフォンから聴くように頭の中に入ってくる。
「うん、見つけた。その根の先も」
『根の先……誰だったかな』
「朝倉……先生」
本当に?
頭の中の声は、問いかける。
『本当に、朝倉先生だった?』
「そうだよ? ちゃんと伝って……」
と言って、根に沿って歩いて行くと。
――生えていた。
真っ黒だけど。
先生にも、根が生えている――。
「え、じゃあ、根の中心は誰なの? このクラスのカーストを支配しているのは、『何』なの?」
『それを見つけるのが、千紗ちゃんの使命』
ふと、依央が目に入る。
せっせとノートを取って、授業について行っている。
『あたしもね、依央ちゃんみたいな子だった。朝倉先生に愛されて、肉体関係まで持って。そして――殺された』
「え、じゃあ」
『そう。その『じゃあ』だよ。間もなく彼女は殺される。いい?』
すうっと息を吸う音がして、そして灯里は言った。
『この学校、周期的に死ぬよ』
「そんなの……」
授業中だったが、千紗は叫んだ。
「そんなのだめだよ! 私、そんなの嫌だよ!」
◇
また、夜のプールサイドに戻ってきた。
「止めたい?」
灯里は試すように聞く。
千紗は頷いた。
「そう。でももう、何もかも遅いのかもしれない」
「どうして?」
「薬の味、したんでしょう」
「う、うん」
千紗は溺れた夜のことを思い出す。
「なんで、薬の味がしたんだろうね?」
「なんでって。そんなのわかるわけ」
「わかり始めているんだよ」
千紗は、灯里の言っていることが、まだ半分も理解できない。
そんな彼女に、灯里は背中を向け、悲しげに告げた。
「そのうちあなたも食べるようになる」
そう言うと彼女は、すうっと消えた。
自分から消えたのか、自分が見ようとしなかったから消えたのか。
そして、彼女の発言の真意も。
千紗は、まだ半分も理解できない。
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