【第九話.根の記憶】

 日が暮れた。


 校門から出ようと四苦八苦しているうちに、気が付いたら日が落ちていた。

 ちなみに、本当にその時間頑張っていたのか、この頃頻発する時間が『飛ぶ』現象なのかまでは分からない。


 ついに学校から出られないと悟った千紗はとぼとぼと教室に帰る。

 ちなみに、通用門や裏口、果てはフェンスによじ登ることも試したが駄目だった。


「もう、なんなのよ……」


 雨は日が落ちて止んだものの、十一月も後半。

 気温はぐんと下がって、ブレザー一枚だと寒くて仕方がないのだ。

 ちなみに、本当に寒気を感じているのか、うすら寒いのか、わからない。


 さっきまで強い雨の中何時間も外に出ていたのに、一滴も濡れておらず、乾いている。

 殺されたとき上履きだったからずっと上履きのままだけど、一ミリも染み込んでいないのも同じだ。


 便利だなあ、とは思う。


 でも、寒いという感覚は、、有無を言わさず浸透してくる。

 千紗にとっては、とんでもなく恐ろしいことのように感じた。


 ふと、明るさを感じて頭上を見上げると、綺麗な三日月が夜空に浮かぶ。


「綺麗だなあ」


 千紗は空がすきだ。

 夜空も、同じく。

 だから、他愛もない理由かもしれないけれど、もっと近くで見たいと思った。


 ――屋上、かな。


 旧校舎の屋上にはプールがある。

 上がって、みたくなった。



 生前は水着を着るのが嫌で嫌で仕方がなかった。

 体育の高橋先生は、よりによって中年太りした男の人。

 生徒たちからの嫌われ具合ときたら、それはそれは目も当てられないほど。


『目つきやーらしー』


 三浦由依みうらゆいがいつも耳打ちしてくる。


『まじキモイ』


 千紗も、わざと聞こえるようにクスクスと笑った。

 花音の次に仲の良い由依は、いつも同調してくれた。

 中学校も、クラスまで同じだった。


 千紗は、旧校舎の西側階段を四階まで上がって、そのさらに上の、夏場しか開放しない屋上のドアを潜った。


 水は抜かれて、プールは空っぽ。

 制服のままの幽霊は、プールサイドを歩いて、梯子をおりて、雨でびしょ濡れの底に寝そべった。


 人差し指と親指でLを作り、反対の手で作った同じ形と重ねて額縁みたいにして、覗く。


(お月さまって、こんなに綺麗だったんだ)



『言っちゃいなよ』

『なにを?』

『ばーか、言わなくても伝われよ、そこは』

『山口くんのこと?』

『早くした方がいいよ。もうすぐ卒業よ、うちら』



 あれから、何を間違えたのだろうか。

 どうすれば、こんなことにはならなかったのだろうか。


 細い三日月をその手に納めながら、千紗は考える。


 自分は幽霊になり、もう家にも帰れなさそうである。

 由依は、千紗が死んでいることすら知らない。


(山口くん、元気かな)


 どんなに想っても、最早確かめる術すらないのだ。


(月を見て物思いに耽るなんて、おばさんじゃあるまいし)


 ごぽっ……。


 ん?

 目の前の月が、不意に歪む。

 それに、何か、月の色がどす黒く染まっていく。


(何これ)


 と発話しようとして、口の中に澱んだ水が入った。


「――っ! むー!」


 プールの水の味じゃない、腐った水の味でもない。

 強烈な、薬液のようなものが、口から鼻から流れ込んでくる。


 二十五メートルプールを、『ナニカ』が満たそうとしているのだ。


「ん――!」


 あまりの水流の強さに、せいぜい胸位の深さのはずなのに、水面に顔を持ちあげることすら出来ない。


 目が痛い。

 喉が焼ける。


(苦しい、誰か、誰か助けて)


 ごぼっ、ごぼぼっ。


 そして、意識は黒い水の底に落ちていった。



「苦しい、誰か、誰か助けて」

「助けてほしいの?」


 聞き覚えのある声だ。

 そう、この声は確か。


「鳴海……さん。助けてほしいの?」


 そうだ、青陵高の赤リボンの子だ。


 それにしても、不思議だと千紗は思う。

 真っ黒な水の中に居るのに。


 口が利ける。


「なんで名前……知ってるの」

「だって、そこ、書いてあるもん」


 真っ暗なのに、上履きのことを指さしているのが伝わる。


「助けてほしい?」


 なんで、何度も同じことを聞くのだろう。


「見ようとしていないからだよ」

「そう、そうだよ、それ。私、何を見ようとしていないの?」

「それは」


 自分の目で確かめなきゃ。


 彼女がそう言うと、目の前がぱあっと、明るくなった。



 気がつくと、立っているのは明るい教室。

 目の前には、二十一人のクラスメイトたち。


 でもここは、二年一組じゃなさそう。

 ここは――そう、理科室だ。


「化学反応はね、目には見えない変化の積み重ねです」


 聞こえる声は、朝倉先生の声。

 千紗が立っているのは、一番前、窓際、黒板の横。


 と、いうことは、この後ろは『あの』理科準備室の扉だ。

 そうっと、触れてみる。


 こん。


 やはり、この扉を通ることはできないようだ。


「篠原さん。電子を失う反応を何と言いましたか?」


 試験管を持ち上げた朝倉が篠原柚葉しのはらゆずはに質問を投げる。


「……酸化、です」

「そう。失うことで変化が始まる」


 黒板を見ると、日付が一日進んでいる。


 千紗は歩いて、クラスメイト達にぶつからないようにしながら、間を抜けてゆく。


『自分の目で確かめなきゃ』


 ふと、頭の中で青陵高のあの子の声が響く。


(自分の目で……確かめる)


 千紗は一度瞼を閉じ、願う。


(私が、本当のことが見えますように)


 念じながら、ゆっくりと目を開ける。


 すぐに、うっ、と顔をしかめる。

 眩しさに、すぐに目が慣れないのだ。


 そして、周囲の景色が見え始めたとき。


「あっ!」


 千紗は思わず叫んだ。

 誰にも聞こえはしなかったが。


 教室が、色とりどりの光にあふれている。

 皆が光っているのかと思ったら、違う。


 二十一人全員の足元を、のだ。


「なに……これ」


 千紗は、近くにいた白いリボンが可愛い花音に声をかける。


「花音、ねえ、花音。あんた平気なの? ……ねえ!」


 だがもちろんのように、返事はない。


『そっか、息だ! 息なら、この世界の物に、干渉できる!』


 そうだ、思い出した。

 息なら、この根っこ(?)も反応するかもしれない。


 彼女はそっと、親友の足元に息を吹きかけた。

 すると。


 ――千紗、今日も休んでるけど、何かあったのかなぁ。

 まあ、でも、千紗が居ないと楽だなんだよねぇ。

 一緒になって、依央りんのこと悪く言うのも疲れるんだから――。


 花音は、机に向かってノートを取っている。

 彼女が千紗に何か言ったわけではない。


(なに今の……。花音の、ホンネ?)


 今度は隣の、ウェーブの長髪、性悪の真鍋優花まなべゆうかの『根』に息を吹きかける。


 ――今日は誰に冷たく当たろかな。

 昨日は紗奈やったし。

 やっぱ依央りんかなー。

 ごめんなー、次はうちになってまうから――。


 これは。

 千紗は理解する。


(クラスを縛り付ける、カーストの根だ……!)


 花音も優花も、カーストでは真ん中より下だ。

 千紗も、そうだったから、わかる。


 ふと、彼女らの根っこには『先』があることを見つけた。


(どこに繋がっているんだろう)


 根は、床に着くとまるで毛細血管やタコ足配線のように複雑に絡み合っている。

 細かい一本一本を辿るのは不可能に近い。

 けれども、席の前に行くほど、根は太くなり、少なくなっていく。


 そして根が一本になるまで前に進んだ先には……。


 朝倉先生が、居た。


(朝倉先生が、クラスのカーストを作っているの?)


「はい、では白石さん、この反応式では――」


 千紗は、指された依央の元へ行き、根に息を吹きかけ、そして彼女の記憶を覗いた。


 ――こんこん。

 はい、どうぞ。

 ……依央じゃないか。どしたの?


 ――先生。

 私もう限界です。


 ――鳴海さんのこと?


 ――はい。


 ――どうしてほしい?


 ――誰にも気付かれないように。

 ひとりでにどこかに行ってしまったかのように。


 ――殺して、欲しいです。

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