【第七話.見ようとしていない】

 秋晴れ。

 午前十時の街路にて。


 幽霊になった千紗は歩いて学校を目指す。

 いつもは自転車で十分かかるか、かからないか位の道のり。


 徒歩でも二十数分あれば着いてしまう。

 霊体になった今、徒歩と呼ぶのが適格かはわからないが。


 金色に染まるイチョウたち。

 生垣を彩るサザンカの可憐な色どり。

 千紗の家みたいに丁寧に剪定された秋バラ。


 街の道を歩くだけで、心が洗われるように心地がよい。

 千紗は一月生まれ――冬生まれなわけだが、秋生まれの人は羨ましいと昔から感じていた。

 ――こんなに真っ青な青空の下、生まれてこれるなんて。


 千紗は青色がいちばん好きな色なわけだが、それは空に憧れているから、という側面が大きい。


「きーもちいーなー!」


 吸い込まれそうな空を見上げながら歩くと、まるで『そこ』に還っていけるような気持になる。


 おっと。


 こちらに向かって歩いてくるおばあさんとぶつかりそうになって、半身でよける。

 昨日のように、頭の中をかき乱されてはたまらない。


「んーんーんー」


 大好きなルミナリアの『硝子の天国』のメロディーを口ずさむ。

 今なら誰に聞かれることもない。


「見えない傷を、抱いたままでー、わたしたちは、歌っているー」


 だんだん乗ってきて、スキップしながら主旋律を歌った。

 それも特大な声で


「あーあー!」


 くるくる、バレリーナにでもなったつもりで、つま先立ちで一回転。


「あなたは今ぁ、どこに立っているのー」


 くるくる、くるくる。

 嬉しくなって、止まれない。


「それ、ルミナリア?」


 ぴたり。


 学校も近づいてきた、街のシンボルの桜並木の、ある地点で。

 立っている、女子高生と。


 、急ブレーキで止まって、そして。


 ――目が、合った。


「上手だね」

「――」

「さすが、常盤聖女の合唱部」

「……え?」


 千紗はくるくる回ったままの格好で静止して、思考が停まる。


「うそ」


 まるで滑稽なピエロのようにわけだが、追い付かない。


「聞こえてるの……なんで」


「そんなに大きな声で歌うんだもの、聞こえるよ。……聞こえてるし、見えてます」


「なんで、だって、だって私」


 ふと、彼女の胸元に目が行く。


 紺のブレザーを身に纏う千紗と違う、グレーのブレザー。

 校章の『青』のエンブレム。


 成城青陵高の制服だ。

 あと、リボンのついた赤いヘアバンドが可愛い。


 間違いない。

 常盤聖女学院と成城青陵高等学校は、合同で合唱部を運営している。

 だけでなく、同じ学校法人が経営する系列校だ。


 千紗も青陵高には何度も訪れている。

 グレーの制服が可愛い、と麗華も言っていた。

 たしか、朝倉先生も、青陵高から転勤してきたはずだ。


「なんで、青陵高の人が……ううん、なんで私のことが見えるの?」


 ああ。

 そっか。


 たしか、そんなことを言っていたような気がする。

 気が付いたら、赤いリボンの青陵高の子は目の前から居なくなっていたからだ。


 いや、元からその場に居なかった、という方が近いかもしれない。


「それ、見ようとしていないからだよ」

「見ようと?」


 その子は、確かに言った。

 かき消したのだ、耳元をかすめる雨音が。


 どうして雨が降っているのか、わからない。

 さっきの女の子がなんなのかも、わからない。


 気が付くと、強い雨が降っている。

 色づく桜並木の道で、千紗はひとり、立ち尽くしている。



 二時間目後の十分休み。


「雨、止まないね」


 二年一組の窓から空を眺める、巻き毛の茶髪が見目麗しい麗華が言う。


「ほんと、朝から嫌になっちゃうね」


 咲良が、ロングの黒髪をいじりながら隣で合わせる。

 クラスのツートップが、話している。

 それだけで絵になるなあ、と千紗は後ろから見て思う。


 殺されて、その翌日。

 千紗は二年一組に帰ってきた。


「そういえばさ、千紗ちゃん見なかった?」

「千紗?」

「もう、鳴海さんだよ」


 ああ。

 麗華に問われた彼女は、興味もなさげに答える。


「知らない。……来てないの?」

「そうなんだよ。あの子理系なんだけど、一時間目、体育で合同だったじゃん? 休んでるっぽいんだよねえ」

「――うちらには関係ないでしょ」

「冷たいこと言わないのー。部活同じだから気になるんだよ」


 関係ないでしょ。

 まあ、そう来るとは思っていたけれど。

 改めて言葉に出されると傷つく。


 それに比べて、優しいのは麗華だ。

 やっぱりカーストトップになると余裕も違うのかな、などと考える。


 気の所為か、後光が差しているようにも見える。


 視線を外して、自分の机まで歩く。


 誰もいない、千紗の席。

 もう二度と座ることの叶わない椅子。

 青いキャラクターのシールが貼ってある。


(お気に入りだったんだけどなあ)


 優しく、ぷっくりとしたシールをなぞる。

 もちろんのように、手はすり抜けてしまうが。


 あははは。

 だよねえ。


 楽しそうな声がする。

 そう、自分のからだ


 だれのせい?

 それは、あんたの所為。

 千紗はゆっくり振り返った。


 と、その時。


 がたん。


 椅子が倒れ、そのクラスメイトは立ち上がった。

 休み時間の教室も、ほんの一瞬、静まり返る。


「なんで……なんで、だってあんた……」


 が、音の正体がカースト底辺の依央だと知ると、皆とたんに興味を失った。


「どったの、依央りん」


 同じく下層の遠山雛乃とおやまひなのが親友に声をかける。


「いや……なんでもない」


 依央は平静を装ったが、千紗は気が付いてしまった。

 すぐに逸らしたが、一瞬だけ、目が合ったことに。

 つまり。


 ――依央には、自分が見えているかもしれないということだ。


 きーんこーんかーんこーん。


 休み時間が終わる。

 確か、三時間目は、文系と合同で化学基礎だったはずだ。


「はい皆さん、席に着いて」


 聞き覚えのある声が。

 忘れられるはずのない声が。


 扉を開けて入ってきた。


 千紗を殺した張本人。


 朝倉恒一が白衣を着て、教壇に立った。



 授業が始まった。


 朝倉先生の講義はハイペースだ。

 基礎とはいえ、文系の子が追いつくのはハードだろう。


 そんな時、千紗はいつも挙手して、授業を止める。


「先生、私、死んでるんですけど」


「……」


 化学の先生はチョークを止めて、振り返る。


「あー」


 朝倉は人差し指を眉間に当て、そして依央を指した。


「白石さん。あなたは、正しい変化がどういうものか、もう知っていますよね?」

「……え。あ、はい」

「人は、安定な状態から不安定な状態へは自然には進まない。外からエネルギーが必要だ。この反応に必要なエネルギーを、何と言いましたか? ……大丈夫。あなたなら答えられますよ」

「活性化エネルギー……です」


 お見事。

 そう言うと、赤のチョークに持ち替え、黒板に記す。


「ここ。期末にでます」


 朝倉が告げると、全員のノートに書き込まれるシャーペンの音が静かに鳴り響いた。


「先生! 私、死んでるんですけど!」


 千紗は何度も授業を止めようとした。

 必死で、みんなに気付いてほしくて。


 ――ただ一つ空いた、窓際一番前の席で。

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