第28話 氷の令嬢の「進路調査」は、未来の設計図を赤く染める

秋の新学期。我が二年A組の教室の「僕の席の周囲半径5メートル」を、最高級絨毯と形状記憶本革ソファによって完全な新婚部屋へとリフォーム(改ざん)するという暴挙を経て、僕と神代凛花さんの関係は、もはや学園公認――というより、神代家の圧倒的な財力と権力によって、誰も口を挟めない聖域(絶対領域)へと強制移行していた。


夏休みの軽井沢の別荘で、彼女の口から初めて僕のファーストネームである「誠くん」という言葉が紡がれて以来、凛花さんの精神防衛システム(セキュリティ)は、僕の前でだけ完全にバグを起こしていた。

外面こそ、他者を一切寄せ付けない「学園の絶対君主」たる冷徹な鉄面皮を維持しているものの、僕と視線がほんの数秒でも交錯するだけで、白い耳の裏から首筋までを瞬時にチェリーピンクへと染め上げ、ガタガタと全身を小さく震わせるようになってしまったのだ。そのギャップが、最近の僕にとっては愛おしくて仕方がなかった。


そんなある日の放課後。夕暮れ時の柔らかな琥珀色の光が、窓際のリフォームされた特等席を優しく照らす中、担任の先生から配られた一枚のプリントが、僕たちの前に静かに横たわっていた。


プリントの最上部に印字された文字は、――「進路希望調査票」。


高校2年生の秋という、誰もが自分の将来や大学進学について現実的に考え始めなければならない、避けては通れない日本の高校生活の関門だ。多くのクラスメイトたちが「どこの大学に行く?」「まだ決まってないよ」などと騒ぎながら教室を後にする中、僕の隣に座る凛花さんだけは、まるで国家の最高機密文書、あるいは「生涯の宣誓書」を前にしたかのような、異様なほど厳粛で、かつ尋常ではない熱量を孕んだオーラを全身から放っていた。


凛花さんは、お揃いの青いサファイアのブレスレットが夕日にきらめく右手をゆっくりと伸ばし、自身のプリントを僕のデスクの上へと滑らせてきた。その指先は、秋の涼しい風が吹き込む教室内であるにもかかわらず、まるで真夏の太陽を浴びた時のように熱く、小刻みに震えている。


「……誠くん。本日、我が学園の後期課程における最初の重要治安維持案件として、この進路希望調査という名の『未来の契約書』を、貴方に提示(エスコート)してあげるわ。……ふん、勘違いしないで頂戴。貴方が私の管理領域(テリトリー)から一歩でも外れて、別の大学という名の無秩序な無法地帯へ逃亡するような不条理な選択肢(ルート)を、この私が記述することを許可するわけがないでしょう」


凛花さんはいつもの高級な扇子をパタパタとエレガントに仰ぎながら、冷徹極まる聲音で僕を睨みつけてきた。

だが、差し出された彼女のプリントの「第一志望欄」に目を落とした瞬間、僕は思わず持っていたシャープペンシルを落としそうになった。そこには、彼女の凛とした、息を呑むほど美しい達筆な文字で、こう明確に刻まれていたのだ。


【第一志望:佐藤誠と同じ大学・同じ学部・同じ研究室、および将来的な同居(結婚)】


「り、凛花さん……!? これ、進路希望のレベルを完全に超越して、ただの人生の監禁計画書、いや、公的な婚姻届のフライング提出になってるよ! 大学のその先どころか、生涯の定住地まで全部埋まってるじゃないか!」


「……不遜な反論ね、誠くん。これは監禁などという不当な拘束ではなく、神代グループの長期経営戦略、および私の精神安全保障上、最も合理的かつ必然的な『生涯愛玩宣誓(ポートフォリオ)』よ。貴方が私の知らないキャンパスで、私の検閲を通っていない野良の雌(女子大生)に声をかけられ、その純潔な肢体や笑顔を汚されるリスクを、この私が一分一秒でも許容すると思っているのかしら? 貴方の未来(ルート)は、すでに私の愛という名の檻の中に完全移住(チェックイン)しているのよ」


(((((((((((((((((((((((((((((((((((ギエエエエエアルアアアアアアア!!! 『人生の監禁計画書』!? 違うの誠くん、これは監禁なんて生ぬるいものじゃないわ、私の『永久完全独占宣言』よおおかおおお!!! 同じ大学のキャンパスの桜並木を歩いて、同じ講義を隣同士の特等席で受けて、放課後は神代家の防弾リムジンで一緒に私たちの愛の巣(新婚の別荘)へ帰るのよ!! 貴方が私の視界の届かない暗闇で、他の女と一言でも言葉を交わすなんて想像しただけで、私の脳細胞が神代重工が開発した新型の超大型熱核タービン並みの熱量で大爆発を起こしそうだわあああああ!!!))))))))))))))))))))))))))))))))))


熱核タービンが爆発したら学園どころか都内一帯が吹き飛びそうだが、彼女の脳内システムは、すでに高校の教室を完全に置き去りにして、数年後の新婚生活の幻覚を猛烈な勢いで網膜に焼き付けていた。

凛花さんは真っ赤になった顔を扇子で必死に覆い隠しながら、ツンとそっぽを向いて、今にも消え入りそうな、けれど強硬な声を絞り出す。


「……というわけよ。さあ、誠くん。貴方のその『進路希望調査票』の第一志望欄に、私と寸分違わぬ文字列、および私の隣に永久就職するという宣誓を、迅速に記述(エディット)しなさい。拒否権は神代家の最高裁判所がすべて終身刑、および私の腕の中での永久禁錮(ロック)として棄却したわ。遅延は即座に、神代家の私設憲兵隊による書類の強制書き換えの対象になるから覚悟しておきなさい」


机の下で、彼女の制服の裾がガタガタと激しく揺れている。僕を支配しようと言葉では強がりつつも、その本質は「誠くんがもし、私と違う未来を選んだらどうしよう」という、壊れそうなほどの不安と健気な執着に満ち満ちていた。

お揃いの青いサファイアのブレスレットが、夕暮れ時の窓辺でカチリと触れ合い、僕たちの境界線を甘く融解させていく。僕はそのプリントを見つめたまま、ペンを強く握り直したのだった――。


凛花さんが突きつけてきた「進路希望調査票」という名の生涯独占計画書。そこに並ぶ【結婚】や【同居】というあまりにも重く、けれど最高に甘い文字列を見つめながら、僕は自分の胸の奥が、夕日の熱さ以上に激しく火照っていくのを感じていた。


彼女の言葉はいつも、僕を完全に自らの支配下(檻)に監禁しようとする強硬な命令の形をとる。けれど、机の下で僕の制服の裾をぎゅっと掴んでいる彼女の白い指先は、さっきから壊れやすい硝子細工のようにガタガタと小刻みに震えっぱなしだ。

「もし誠くんが、私のいない未来を選んでしまったら――」そんな言葉にならない不安が、彼女の冷徹な鉄面皮の裏側から、ひしひしと伝わってくる。


これほどまでに僕を必要とし、僕の未来を欲しがってくれる世界で唯一無二の女の子を、不安にさせたままにしておくわけにはいかない。


僕は愛おしさを噛み締めながら、机の上のシャープペンシルを再び手に取った。そして、自分の「進路希望調査票」の第一志望欄へ向けて、迷うことなくサラサラと、けれど一文字ずつに決意を込めるようにして文字を書き込んでいった。


「……よし。書けたよ、凛花さん」


僕が書き終えたプリントを彼女の前に差し出すと、凛花さんは「ふん、当然の結果だわ」とでも言いたげに、ツンとすました態度で視線を僕の手元へと転向させた。

――しかし、僕が記述したその内容をその網膜が捉えた瞬間、彼女は息を呑んだまま、まるで時間が完全に停止したかのように全身をカチリと硬直(フリーズ)させてしまった。


僕が書き込んだ第一志望の欄。そこには、彼女が指定した大学の学部名と並んで、こう明确に記述されていた。


【第一志望:神代凛花と同じ大学。彼女の隣に立ち、生涯にわたって支えられるだけの力をつけるため】


「さ、誠くん……貴方、これ、一体……何かしら、この不敬極まる……いえ、私の全精神防衛システム(セキュリティ)を根こそぎハッキングして、跡形もなく消滅させるような規格外の文言は……っ!」


「だって、凛花さんの隣にずっといるなら、僕ももっとしっかりしないといけないからね。神代グループの令嬢として、そして僕の特別な人としての凛花さんにふさわしい男になれるように、同じ大学で一生懸命勉強するよ。檻の中に閉じ込められるんじゃなくて、僕の意志で、凛花さんの隣を選びたいんだ」


「――――――――――ッッッ!!!!」


本日一番、いや、これまでの付き合いの中でも最大級の風速を記録する特大の感情の直撃。

凛花さんの白い肌が、耳の裏から首筋、そしてセーラー服の襟元から覗く鎖骨のあたりに至るまで、一瞬にして沸騰したように鮮やかな大輪の真紅へと染まり上がっていく。彼女の瞳は潤み、激しい動揺でパチパチと瞬きを繰り返しながら、完全にキャパシティをオーバーしていた。


(((((((((((((((((((((((((((((((((((((((ト、ト、ト、ト、トカシタアアアアアアアアアアアアア!!! 直撃!! 完全に私の心臓がダイレクトにホールドされたわ!!! 『彼女の隣に立ち、生涯にわたって支えられるだけの力をつけるため』!? これ、全宇宙の恋愛最高裁判所が満場一致で『合法的なプロポーズ(生涯の愛の誓い)』と採択する、歴史的宣誓じゃないのよおおおおお!!! 違うの誠くん! 私は貴方を私の檻に閉じ込める側の主権者だったはずなのに、どうして貴方のその真っ直ぐな、一点の曇りもない言葉が、私の愛の檻ごと私を貴方の腕の中に監禁(メルトダウン)させてしまうのよおおお!!! 好き! 大好き!! もう今すぐ進路指導室じゃなくて区役所の夜間窓口に防弾リムジンを全速力で突撃させて、このプリントを婚姻届として強制受理させなさいよおおおおお!!!)))))))))))))))))))))))))))))))))))))))))


区役所の夜間窓口に突撃したら流石に高校生としては大騒ぎになるし、先生への提出物としては完全に規格外だが、彼女の脳内絶叫は、放課後の誰もいない静まり返った教室内を、どこまでも甘く、濃厚に支配していた。


凛花さんは真っ赤になった顔を制服の広い袖で覆い隠すようにして、僕の胸元へとバタリと頭を預けてきた。

長い黒髪から、秋の涼しい空気の中でいっそう濃厚に弾けた薔薇のアロマが立ち上り、僕の鼻腔を心地よく麻痺させていく。彼女の身体は、恥ずかしさとあまりの幸福感でふにゃふにゃに溶け崩れており、僕の制服にしがみつく手だけが必死に力を込めていた。


「……不条理よ、誠くん。……そんな、私を生涯依存症(ジャンキー)にするような言葉を平然と口にするなんて……。……でも、もう絶対に遅いわ。貴方が自ら私の未来(ルート)を、私の隣を選んだのだから、もう世界のどんな法律が動こうと、貴方を私の腕の中から一ミリたりとも解放してあげないんだから……」


「うん。逃げたりしないよ、凛花さん」


彼女はそう呟きながら、机の下で、お揃いの青いサファイアのブレスレットがついた左手で、僕の右手を壊れ物を扱うように、けれど絶対に離さないという強固な力でぎゅっと握りしめてきた。


窓の外、夕日に染まる学園の校庭を二人で見つめながら、僕たちの手首のサファイアが、カチリと小さな音を立てて触れ合う。

未来の設計図を二人の愛の色で真っ赤に染め上げながら、氷の令嬢の包囲網は、僕たちの終わらない未来へ向かって、どこまでも深く、強固に完成していくのだった。

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