第23話 氷の令嬢の「お見舞い」は、看病という名の監禁へ至る

神代さんとの「図書館密室の手繋ぎ勉強会」という名の心臓破壊デスマッチを乗り越え、僕たちはなんとか期末試験を無事に(神代さんのスパルタ指導のおかげで最高評価連発で)終えることができた。

 しかし、張り詰めていた緊張の糸が切れたせいか、あるいは連日の「神代凛花・脳内爆音絶叫」による精神的疲労が蓄積していたせいか、試験明けの最初の週末、僕は見事に風邪をこじらせて寝込んでしまった。


ゴホゴホと咳き込みながら、神代さんから贈られた最高級エジプト綿のシーツにくるまり、ぼんやりと天井を見つめる。

 ――大学を休む旨の連絡を、神代さんに送ったのは今朝の価値だった。


ピンポーン。パンポーン。ピンポンピンポンピンポンピンポーン!!!


突然、我が家の安アパートのインターホンが、まるで非常事態を告げる空襲警報のような猛烈な連打音を響かせた。

 僕は重い身体を引きずるようにして玄関へ向かい、ドアのロックを解除した。その瞬間、バァン!! と凄まじい勢いで扉が開き、そこには――白衣姿のセバスチャンさんを引き連れ、手回し用の超高級救急箱を抱えた神代さんが、青ざめた顔で立っていた。


「……遅いわよ、佐藤くん!! 貴方がラインの返信を『三分十四秒』も遅延させた時点で、私は神代重工の私設医療ヘリをこのアパートの屋上に緊急着陸させる手配を完了していたわ! さあ、迅速にベッドへ戻りなさい! 貴方の体内に侵入した不浄なウイルスどもを、神代グループの全財産(と医療技術)をもって一匹残らず殲滅してあげるから!」


「神代さん……!? なんで、そんな重病人を迎えるみたいな格好で……」


「黙りなさい! 貴方の免疫システムが低下しているということは、我が神代家の最高管理資産に重大な脆弱性(バグ)が発生したということよ! セバス、直ちにこの部屋の滅菌消毒を開始しなさい!」


「御意にございます、お嬢様」


セバスチャンさんが流れるような手つきで室内に業務用レベルの除菌スプレーを噴霧し始める。僕はなす術もなく、彼女に背中を押されるようにしてベッドへと送り返された。

 神代さんはドサリとベッドの脇に腰掛けると、持っていた救急箱から冷えピタを取り出し、僕の額にペタリと貼り付けた。その指先は、僕の熱のせいか、それとも彼女自身の緊張のせいか、驚くほど熱く震えていた。


((((((((((((((((((((((((((((((((((キタアアアアアアアアアアアアアアアアアアア!! 看病イベント!!! 男子の部屋に合法的に引き籠もり、寝込んで抵抗できない彼を、私の思うがままに蹂躙(※看病)できる生涯最大のボーナスタイムよ!! 見て凛花、この熱で潤んだ彼の瞳、少し荒い呼吸、そして私の看病を全面的に頼らざるを得ないこの従順な姿……!! ああああ、可哀想に!! でも同時に、愛おしすぎて私の心臓が不整脈を起こして今すぐ隣に添い寝(強制隔離)したいくらいよおおおおお!!)))))))))))))))))))))))))))))))))


不整脈を起こしているのは僕の風邪のせいか、それとも彼女の爆音のせいか分からなくなってきた。

 神代さんは真っ赤な顔のまま、今度は特製圧力鍋の蓋を開け、中から湯気の立つお粥(おそらく最高級の魚沼産コシヒカリとツバメの巣か何かが入っている)を器に盛り付けた。


「……さあ、佐藤くん。……貴方のその、ウイルスの侵略を受けている哀れな消化器官に、私が直々に栄養素を『強制注入』してあげるわ。……ほら、口を開けなさい。『あーん』よ。拒否すれば、神代家の医療独占禁止法違反で強制執行に移るわ」


「神代さん、自分で食べられるよ……」


「却下よ! 貴方がスプーンを持つという微々たる運動エネルギーすら、今の貴方の細胞にとっては致命的な浪費よ! 私の、この……献身的な『投与』を黙って受け入れなさい!」


(((((((((((((((((((((((((((((((((((言えない!! 『弱っている貴方に私の手から直接ご飯を食べさせて、胃袋から私の依存症(ジャンキー)にしてしまいたい』なんて死んでも言えないわ!! ほら、早くその可愛い唇を開けて、私の愛(おかゆ)をすべてその身に宿しなさいよおおおおお!!!)))))))))))))))))))))))))))))))))))))


依存症という不穏な単語を脳内で連発しつつも、彼女が差し出したスプーンからは、出汁の本当にいい香りが漂っていた。

 僕は覚悟を決め、彼女の熱い視線を受け止めながら、ゆっくりと口を開けた。


差し出された銀のスプーンから、ふわりと優しい出汁の香りが鼻腔をくすぐる。僕は意を決して、至近距離で見つめてくる神代さんの瞳から目を逸らさないまま、ゆっくりと口を開いた。


「……あ、あん」


神代さんの手元が、その瞬間ピクリと細かく震えた。けれど、彼女は持ち前の圧倒的な令嬢プライドでその動揺をねじ伏せ、お粥をそっと僕の口元へと運び入れた。


「……ふぐ、っ。……お、お味はどうかしら、佐藤くん。神代グループの管理栄養士が、貴方の現在の免疫活性数値を最大化するために、コンマ一グラム単位で塩分を調整させた究極の滋養食(おかゆ)よ」


「……すごく、美味しい。喉に優しくて、なんだか体の中がじんわり温かくなってきたよ。神代さん、ありがとう」


熱のせいで少し掠れてしまった声で僕が微笑むと、神代さんは持っていたスプーンを器の中に落としそうになるほど激しく動揺した。


「――――――――――ッッッ!!!!?????」


デスクライトの薄暗い光に照らされた彼女の白い頬が、一瞬にして、耳の裏から首筋、エプロンの隙間から覗くデコルテラインに至るまで、鮮やかな深紅へと染まり上がっていく。


(((((((((((((((((((((((((((((((((((((((((ト、ト、ト、ト、トカシタアアアアアアアアアアアアアアア!!! 『美味しい』って言ったわ!! 私の(※管理栄養士の)お粥を、そんな潤んだ瞳と、掠れた色っぽい声で、慈しむように咀嚼したわよおおおおお!!! 違うの佐藤くん! 私は貴方を管理(コントロール)するためにここへ赴いたのに、どうして貴方のその一挙手一投足が、私の全精神防衛システムを内側からハッキングして木っ端微塵に粉砕していくのよおおお!!! あああ、もう看病なんて生ぬるいフェーズはスキップして、今すぐこのベッドに潜り込んで貴方のウイルスごと私の熱量で完全隔離(抱擁)してやりたいわあああああ!!!))))))))))))))))))))))))))))))))))))))))))


隔離という名の添い寝を脳内で絶叫する彼女だったが、その手は再びお粥を掬い、今度は耳まで真っ赤にしたまま、フーフーと自分の唇で丁寧に冷まし始めた。その少し尖らせた唇の無防備さが、熱で朦朧としている僕の目には、暴力的なまでに愛らしく映った。


「ほら、次よ。迅速に摂取しなさい。……貴方が一秒でも早く健常な肉体を取り戻さなければ、私の『佐藤誠・観測スケジュール』に重大な遅延(※ただの寂しさ)が発生するのだから」


「うん。……でも神代さん、僕の風邪がうつっちゃうから、そんなに顔を近づけたら危ないよ?」


「……フン、不合理な心配ね。神代家の遺伝子は、この程度の有象無象のウイルスなど、自己免疫機能だけで瞬時に駆逐するように設計されているわ。……それよりも、貴方が私から距離を置こうとすることの方が、私にとっては国家非常事態に相当する重大な規約違反よ」


(((((((((((((((((((((((((((((((((((((((((うつるわけないでしょうがあああああ!!! むしろ好都合よ!! 貴方の風邪が私にうつれば、今度は貴方が私の看病をしに神代家の本邸(私の部屋)に不法侵入(家庭訪問)せざるを得なくなるじゃないのよおおお!! これぞ完璧なる『看病の無限ループ(永久機関)』の完成よ!! 佐藤くん、貴方のウイルスも、貴方の細胞も、貴方の吐息も、全部私の中に移して、私と貴方の境界線を完全に融解させてしまいなさいよおおおおお!!!)))))))))))))))))))))))))))))))))))))))))


永久機関の規模が狂気的すぎて眩暈がしてきたが、彼女が必死にスプーンを口元へ運んでくれる健気さに、胸の奥がどうしようもない甘さで満たされていく。


やがて、器が空になると、神代さんはハンカチを取り出して、僕の口元をそっと拭ってくれた。彼女の手首できらめく、僕とお揃いの青いサファイアのブレスレットが、安アパートの蛍光灯の下で静かに光を反射している。


「……よし、栄養補給は完了よ。佐藤くん、貴方はこれより『完全就寝モード』へ移行しなさい。私がこの部屋の湿度と貴方の心拍数を二十四時間体制で監視し続けてあげるから」


「神代さん、ずっとここにいたら疲れちゃうよ。もう遅いし、帰って休んで?」


「……却下よ。資産の回復を見届けるまで、管理者が現場を離れるわけがないでしょう」


彼女はツンとそっぽを向いたが、机の下で、彼女の左手が僕の布団の端をぎゅっと掴んでいた。その指先は相変わらず震えていて、本当は僕が心配でたまらないのだという本音が、言葉以上に饒舌に物語っていた。


「……じゃあ、神代さん。……僕が眠るまで、手を握っててくれない?」


「――――――――――ッッッ!!!!」


僕が布団から右手を伸ばし、彼女の小さな手をそっと包み込む。

 神代さんはビクンと身体を跳ね上げたが、今度は拒絶の言葉すら紡げないほどに沸騰し、そのまま僕の手を、壊れ物を扱うような、けれど絶対に離さないという強い力で握り返してきた。


「……しょ、承諾してあげるわ。……貴方の精神的安定(バイタル)を維持するための、これは『医療行為』なのだから……」


(((((((((((((((((((((((((((((((((((((((((((((((大好き……大好きよ、佐藤くん。早く良くなって、また私の隣で笑ってちょうだい……。貴方が弱っている姿を見るのは胸が締め付けられるほど苦しいけれど、こうして私の手を求めてくれる貴方が、愛おしくてたまらないの。……もう、私の愛の檻からは一生出られないんだからね……))))))))))))))))))))))))))))))))))))))))))


脳内の絶叫が、最後は掠れるような、本当に優しい愛の囁きへと変わっていくのを聴きながら、僕はゆっくりと目を閉じた。

 繋がれた手首のサファイアが、カチリと微かな音を立てて触れ合う。

 風邪の熱さとは違う、彼女のどこまでも一途で、どこまでも重い体温に包まれながら、僕は深い眠りへと落ちていった。

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