第19話 氷の令嬢の「終着駅」は、夕暮れの密室で暴走する

ゲームセンターでの「ゾンビ撃退(という名の強制密着事件)」を経てからというもの、神代さんの僕に対する距離感は、いよいよ物理法則を無視し始めていた。

 これまでは「神代家の資産保全」だの「業務妨害の排除」だのといった、一応はそれらしい(?)建前を並べ立てていた彼女だったが、最近では僕の姿を見かけるや否や、挨拶代わりに僕の左腕を自身の胸元へとホールドすることが日常茶飯事となっていた。


クラスメイトたちも、今や2人が並んで歩く姿を見ても驚きすらしなくなっている。それどころか、神代さんが僕を睨むように(内心では悶絶しながら)見つめていると、「今日も佐藤くんは神代家直轄の領土だな」と言わんばかりの、生暖かい視線を送ってくる始末だった。


そんなある日の放課後。

 いつものように黒塗りのリムジンで連行されたのは、神代家の広大な敷地内ではなく、街を見下ろす高台に建つ、神代グループが経営する超高級タワーホテルの最上階だった。


「……佐藤くん。本日、貴方をこの場所に招集したのは他でもないわ。……我が神代グループが、総力を挙げて開発した『次世代型・人生設計シミュレーター』の最終デバッグを貴方に命じるためよ。……拒否権はないと知りなさい」


通されたのは、東京の街並みが180度パノラマで見渡せる、全面ガラス張りの最高級ロイヤルスイートルームだった。部屋の中央には、何故かリビングスペースを占拠するように、神代重工の技術が結集されたとおぼしき巨大な高解像度モニターと、お互いの距離が実質マイナスになるレベルで設計された二人掛けの特注高級ソファが鎮座している。


「シミュレーターって……神代さん、これ普通のラグジュアリーな部屋にしか見えないんだけど」


「……黙りなさい。外面に惑わされるのは凡俗の証拠よ。この部屋の空気、照明、そしてこれから画面に映し出されるデータは、全て貴方と私の『合理的未来』を算出するための計算式の一部なのだから」


神代さんはツカツカとソファへ歩み寄ると、まるで女王のように優雅に腰掛け、空いている隣のスペースを扇子でトントンと叩いた。


「……さあ、ここに座りなさい。……私のパーソナルスペースをこれ以上空虚のまま放置することは、神代家のブランドイメージに対する重大な損失よ」


((((((((((((((((((((((((((((((((((アアアアアアアアアアアアアアアアアアア!! ついに! ついにこの日が来たわ!! ホテルの最上階、夕暮れの完全密室!! 今日私が用意した『人生設計シミュレーター』とは、神代グループのスーパーコンピュータを三日三晩フル稼働させて作らせた、私と佐藤くんの『未来の新婚生活(※確定事項)』の仮想現実(VR)映像よおおおお!! 赤ちゃんの名前から、老後に二人で移住するスイスの別荘の設計図まで、全て完璧にプログラミング済みなのよおおお!!)))))))))))))))))))))))))))))))))


スーパーコンピュータを新婚生活の妄想に使うのは、国家的な損失ではないだろうか。

 僕は彼女の暴走する脳内仕様に眩暈を覚えつつも、指定されたソファへと腰を下ろした。ドサリ、と極上の本革が沈み込み、自然と神代さんの肩と僕の肩がぴったりと触れ合う。

 カーテンが自動で閉まり、部屋が夕暮れの薄暗い琥珀色に染まる。それと同時に、巨大なモニターに鮮明な映像が映し出された。


「……始めるわよ、佐藤くん。……これは、今後の私たちの『契約履行計画(ライフプラン)』よ」


画面に映し出されたのは、あまりにもリアルな3Dグラフィックだった。

 そこには、どこからどう見ても僕と神代さんにそっくりなキャラクターが、高級住宅街の庭で、満面の笑みを浮かべながら白い犬(おそらく神代重工が遺伝子レベルで厳選した犬種)と戯れている姿が描写されていた。


「……まずは第一段階(ファーストステップ)。大学卒業と同時に、神代家が所有する大聖堂にて、親族およびグループ幹部三千人を招いた『調印式(結婚式)』を執行するわ。衣装はフランスの王室御用達のデザイナーが……」


「神代さん、これ、シミュレーションじゃなくてただの結婚式のプランニングだよね!?」


「……静かにしなさい! これは合理的な経営戦略の一環よ! 貴方という優秀な(※私の心臓を支配する)人材を永久に囲い込むためには、これほどの強固なセキュリティ(婚姻届)が必要不可欠なのよ!」


(((((((((((((((((((((((((((((((((((((言えない!! 『貴方と今すぐ結婚して、世界中の人間から佐藤誠の所有権が神代凛花にあることを証明したい』なんて、恥ずかしくて口が裂けても言えないわ!! だからこの超高精度映像で、彼の脳内に直接『私と結婚する以外の未来は存在しない』という既成事実を刷り込んでやるんだからあああああ!! 見て! 画面の中の私たち、信じられないくらいお似合いじゃないのよおおおおお!!))))))))))))))))))))))))))))))))))))))


画面の中の僕たちは確かに幸せそうだったが、現実の神代さんの顔は、その映像以上に真っ赤に沸騰していた。

 彼女は自分の手首にある、僕とお揃いの青いサファイアのブレスレットをぎゅっと握りしめ、上目遣いで僕を強く睨みつけてきた。その瞳は、不安と、それを覆い隠すほどの圧倒的な「所有欲」で激しく潤んでいた。


「……佐藤くん。貴方、この計画に何か異論でもあるのかしら。……もし別の未来を望むというなら、その『別の未来』を構築しているセクターごと、私が力ずくで買収して、跡形もなく消去してあげるけれど」


至近距離。

 薄暗いロイヤルスイートルームの中で、氷の令嬢の最後の、そして最も重すぎる「領域展開(プロポーズ)」が、僕の目の前で火花を散らしていた。


画面の中で満面の笑みを浮かべる、僕たちに酷似した3Dモデルの夫婦。そして、目の前で本物のサファイアをきらめかせながら、今にも僕を物理的に捕獲しそうな勢いで睨みつけてくる、現実の神代凛花。

 夕暮れの琥珀色の光が、ガラス張りの大空間を満たしていく中、彼女の放つ圧倒的な熱量に、ホテルの最高級エアコンも完全に機能を喪失しているようだった。


「……どうしたのかしら、佐藤くん。沈黙は肯定のサインとみなすけれど、貴方のその、何かを諦めたような、あるいは全てを察したような眼差しは、神代家の最高機密に対する侮辱に相当するわよ」


「いや、諦めてないし侮辱もしてないよ。ただ……神代さんが僕との未来を、ここまで本気で、それこそスーパーコンピュータを動かすレベルで考えてくれていたのが、ちょっと衝撃的だっただけだよ」


「……っ! 当たり前でしょう! 神代家の人間が、行き当たりばったりの人生を送るわけがないわ! 貴方を私の生涯の『専属管理対象』として登記するためには、これほどの緻密なシミュレーションが必要不可欠なのよ!」


(((((((((((((((((((((((((((((((((((アアアアアアアアアアアアアアアアア!! バレてる!! 『ただの結婚のプランニング』だってことが完全に露呈しているわ!! 恥ずかしい! 恥ずかしすぎて今すぐこのタワーホテルの最上階からバンジージャンプ(※命綱なし)で飛び降りたいくらいよ!! でも、でもね、佐藤くん……! 私は貴方と出会ってから、貴方以外の男がすべて背景のドット絵にしか見えなくなってしまったのよ!! 貴方との未来以外、私の人生の選択肢には存在しないの!! だから、お願い、その口から『僕も君と同じ未来がいい』って言ってちょうだいよおおおおお!!))))))))))))))))))))))))))))))))))))


彼女の脳内の絶叫は、羞恥心と、それを遥かに凌駕する切実なまでの「恋心」で完全に飽和していた。

 神代さんは、僕のシャツの袖を掴む手にさらに力を込める。高級な生地がみしみしと音を立てるほどの強固なホールド。彼女の震える指先からは、どれほど言葉で強がろうとも隠しきれない、僕を失うことへの根源的な「恐怖」が伝わってきた。


この「氷の令嬢」は、僕を独占しようと必死になるあまり、自分自身が僕という存在に完全に囚われていることに気づいていない。


僕は、画面の中で犬と笑い合う僕たちの映像から視線を外し、隣にいる本物の彼女の、潤んだ瞳を真っ直ぐに見つめ返した。そして、掴まれたままの僕の左手を裏返し、今度はこちらから、彼女の白く細い手をそっと包み込むように握りしめた。


「……佐藤、くん……っ? 貴方、何をするのかしら。私の許可なく肉体的接触(ホールド)を試みるなんて、神代グループに対する実力行使――」


「神代さん。……僕ね、このシミュレーション、すごく良いと思うよ」


「…………え?」


神代さんの言葉が、完全に凍りついた。

 彼女は目を見開き、自分が僕の手によって「握られている」という事実を、脳のシステムが処理しきれていないかのように凝視している。


「僕みたいな普通の学生が、神代さんみたいな綺麗な人と、こんな風に笑い合える未来があるなら……それは、僕にとっても最高の人生設計(ライフプラン)だよ。だから……買収して消去なんてしなくていい。僕の未来は、もう神代さんの隣ってことで、予約しておいてよ」


「――――――――――ッッッ!!!!?????」


その瞬間、神代凛花の脳内で、おそらく神代グループが保有するすべてのメインサーバーが同時に過負荷で大爆発を起こしたような、凄まじい「衝撃波」が走ったのを、僕は肌で感じた。


(((((((((((((((((((((((((((((((((((((((ギ、ギ、ギ、ギ……ギブアップよおおお!!! 予約!? 今、彼、私の隣を『予約する』って言ったわよね!? これ、全宇宙の法律を適用しても、完全なる『婚約成立』の文言じゃないのよおおおおお!!! 佐藤くん、貴方、自分が今、神代家の正妻の座に事実上の permanent(永久保持)のサインを入れたことを理解しているの!? ああああ、彼の、彼の手が温かい……! 骨が軋むくらい強く握られている(※優しく握っています)……っ! 幸せすぎて、私の心肺機能が時空の歪みに飲み込まれて消滅しそうだわああああああ!!!))))))))))))))))))))))))))))))))))))))))


脳内絶叫の音量は、もはや過去最高数値を更新し、部屋全体の空気を微振動させているかのようだった。

 神代さんは顔だけでなく、耳の裏、首筋、そしてワンピースから覗く鎖骨のあたりまでを瞬時に深紅に染め上げ、ガタガタと全身を激しく震わせ始めた。


「う、うう……貴方、貴方って人は……本当に、どこまで無自覚に私を……っ!」


彼女はついに耐えきれなくなったのか、僕に握られたままの手を引き寄せ、そのまま僕の胸元に思い切り頭を押し付けてきた。つばの広い麦わら帽子がソファの床に落ちるのも気にせず、彼女は僕のシャツを両手でぎゅっと 掴み、顔を隠すようにして小さく呻いている。


「……当然よ。……予約なんて、生ぬるい言葉で満足すると思わないことね。貴方の未来は、今この瞬間から私の『絶対不可侵領域』として確定したわ。……もう、世界のどこを探しても、貴方の逃げ場なんて存在しないんだから……」


(((((((((((((((((((((((((((((((((((((((((離さない、絶対に離さないわよ佐藤くん……! 貴方がそんな優しい顔で私の未来を受け入れてくれるなら、私はもう、世界中のすべてを敵に回してでも貴方を守り抜くわ!! 貴方の毎日を、貴方の呼吸を、貴方の生涯を、私の愛という名の檻の中に永遠に閉じ込めてあげるんだから!! 大好き! 大好き大好き大好き!! 今すぐこの部屋の鍵を溶かして、一生ここから出られないようにしてやりたいわあああああ!!!))))))))))))))))))))))))))))))))))))))))))


彼女の抱擁は、文字通り僕の身体を骨ごと軋ませるほどの執念と、それ以上の純粋な愛に満ちていた。

 全面ガラス張りの向こう側、東京の街が本格的な夜の帳(とばり)に包まれ、無数の光の粒がきらめき始める。


大画面に映し出された理想の未来予想図。

 けれど、僕にとっては、今この腕の中で、不器用に、しかし全力で僕を独占しようと熱を発している彼女の体温こそが、何よりも確かな「僕たちの未来」の証明だった。


「……うん。逃げないよ、神代さん」


僕は彼女の背中に、そっと右手を回した。お揃いの青いブレスレットが、夕闇の中で静かに、しかし決して離れない絆のように、寄り添って輝き続けていた。

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