第16話 氷の令嬢の「健康管理」は、昼休みの屋上で加熱する

学園祭と休日デートを経て、神代さんの僕に対する執着は、もはや「管理」という言葉では生ぬるい領域に達していた。彼女の愛(と脳内絶叫)は、ついに僕の生命活動の根幹、すなわち「食生活」にまでその触手を伸ばし始めたのである。


「……佐藤くん。今日の貴方の昼食を、神代グループの栄養解析チームが精密にスキャンした結果を報告するわ。……結果は、D判定よ。糖分と塩分が過多で、貴方の脳細胞に必要なDHAが壊滅的に不足しているわ。このままでは、貴方の知能は来週にはミジンコ並みに低下し、私のパートナーとしての適格性を失うことになるわ」


昼休み、僕が購買の焼きそばパンを口に運ぼうとした瞬間、神代さんが背後に立ち、絶対零度の冷徹な宣告を下した。


「……というわけで、今日から貴方の生命維持は、私が直接管理することに決定したわ。……来なさい、佐藤くん。神代家が誇る『食の聖域』へ」


半ば強制的に連行されたのは、屋上の隅にある、普段は施錠されているはずの特別観測室だった。そこにはセバスチャンさんが完璧な給仕の姿勢で待機しており、テーブルの上には、宝石箱のような重厚な三段重ねの漆塗りのお重が鎮座していた。


「……これは、神代家の専属シェフが貴方のDNA配列と本日の体調を考慮して調理した、特製健康管理弁当(メディカル・ランチ)よ。さあ、一粒残らずその細胞に取り込みなさい」


お重を開けると、そこには金箔が散らされた十六穀米、産地直送の最高級地鶏の幽庵焼き、そして色鮮やかな有機野菜が、もはや芸術作品のように並べられていた。


(((((((((((((((((((((((((((((((((((((((キタアアアアアア!! 手作り(※指示したのは私だから実質手作り)お弁当作戦!! これで彼の胃袋を神代グループの軍門に降らせれば、彼は一生、私の味付けなしでは生きていけない身体になるのよ!! 佐藤くん、見て!! この野菜の切り方一つ一つに、私の『貴方を独占したい』という殺意……いえ、愛が刻み込まれているのよ!! さあ、早く食べて! 食べて私の愛を内臓から吸収してえええええ!!))))))))))))))))))))))))))))))))))))))


殺意という不穏な言葉が聞こえた気がしたが、僕は恐る恐る箸を取った。一口食べると、驚くほど繊細で奥深い味が口いっぱいに広がる。


「……美味しい。これ、本当に僕のために……?」


「……ふん。勘違いしないで。貴方の健康を維持するのは、神代家の資産価値を保全するための当然のメンテナンスよ。貴方が病気で倒れて、私の隣の席が空席になるなんて、私の精神衛生上、許容できない損失(デッドロス)なのだから」


((((((((((((((((((((((((((((((((((((((((((((アアアアアア!! 美味しいって言った!! 私(の指示したシェフ)の愛が、彼の味蕾を攻略したわ!! これ、もう実質的に私が彼の体内に直接栄養を送り込んでいるのと同じよね!? 彼の血となり肉となるのは、私の用意した食事だけ!! 佐藤くんの細胞一つ一つを、神代凛花の刻印で埋め尽くしてあげるんだからああああ!!)))))))))))))))))))))))))))))))))))))))))


彼女の脳内理論によれば、僕は今、細胞レベルで神代さんの所有物になりつつあるらしい。

 神代さんは、僕が食事を進める間、一瞬たりとも目を離さずにその様子を観察し続けていた。その視線は、もはや「見守る」というよりは「監視」に近い。


「……佐藤くん。次は、そのブロッコリーを食べなさい。……ビタミンCは、私のストレスを緩和する貴方の笑顔を維持するために必須の栄養素よ」


「……あ、うん。わかったよ」


「……待ちなさい。……その、ブロッコリーの形状が、少し貴方の口には大きすぎるようだわ。……仕方ないわね。……あ、あ、あーん……しなさい」


神代さんは、真っ赤な顔をして、震える手でブロッコリーを箸で持ち上げた。

 彼女の指先は小刻みに震え、瞳は左右に激しく揺れている。


((((((((((((((((((((((((((((((((((((((((((((((((((((言っちゃった!! ついに禁断の奥義『あーん』を発動してしまったわ!! これ、もう全校生徒の前で公開接吻したのと同じ衝撃度よ!! 死ぬ! 私が恥ずかしさで爆発する前に、早く彼の口の中に私の愛を放り込ませて!! そしてそのまま、私の存在そのものを彼の胃袋に定着させるのよおおお!!))))))))))))))))))))))))))))))))))))))))))))))))


屋上の静寂の中で、神代さんの「あーん」という、消え入りそうな、けれど鉄の意志を感じさせる声が響いた。

 「氷の令嬢」による、かつてないほど「重すぎる」健康管理の時間が、今まさに最高潮を迎えようとしていた。


神代さんの手が小刻みに、しかし力強く震えている。箸の先に挟まれたブロッコリーは、まるで彼女の張り詰めすぎた理性の象徴のように見えた。

 屋上の突き抜けるような青空の下、セバスチャンさんが完璧な無表情で、背後からこの歴史的瞬間を(おそらく網膜に焼き付けて)見守っている。


「……早くしなさい。私の、この……献身的な『投与』を拒絶するということは、神代家に対する明らかな反逆行為だと見なすわ」


「……わかったよ。いただきます」


僕は覚悟を決め、彼女が差し出した一口を迎え入れた。

 噛みしめるたびに広がる絶妙な出汁の味。しかし、それ以上に僕の意識を占めていたのは、至近距離で僕の口元を凝視する彼女の、燃えるような熱視線だった。


((((((((((((((((((((((((((((((((((((((((((((((((((((((((タ、タ、タベタアアアアアアア!! 私の箸から直接!! これ、もう間接的な粘膜接触(※ただの食事です)を越えた、魂の融合(フュージョン)と言っても過言ではないわ!! 佐藤くんが私の差し出したものを、何の疑いもなくその身に受け入れた……。ああ、なんて従順で、なんて愛らしいのかしら!! 今日から貴方の味覚、消化器官、そして全ての細胞の代謝は、私の支配下にあることを思い知りなさいよおおお!!)))))))))))))))))))))))))))))))))))))))))))))))))))))


彼女の脳内絶叫はもはや屋上のフェンスを突き破り、学園全体に響き渡らんばかりの勢いだった。

 神代さんは真っ赤な顔のまま、今度は卵焼きを手に取り、無意識のうちに僕の口元へと運び続ける。


「……次。……これは、貴方の血液をサラサラにする効果があるわ。……さあ、拒まずに、私の愛……じゃなくて栄養を全て摂取しなさい」


「……神代さん、自分でも食べないと、午後の授業で力が出ないよ?」


「……フン、貴方の健康が保たれているという事実こそが、私の最大のエネルギー源なのよ。……それに、私は……その……」


(((((((((((((((((((((((((((((((((((((((((((((((((((((((((言えない!! 貴方が幸せそうに咀嚼しているその横顔を見ているだけで、私の胸はいっぱいで、空腹中枢が『佐藤くん大好き』という電気信号で完全にショートしているなんて死んでも言えないわ!! 貴方を養っているというこの全能感……! お金で買えない幸せが、今ここ、屋上の特別観測室に凝縮されているのよおおお!!))))))))))))))))))))))))))))))))))))))))))))))))))))))))


ショートしているのは空腹中枢だけではない気がするが、彼女の甲斐甲斐しい「給餌」は、お重が空になるまで続いた。

 食後、セバスチャンさんが差し出した温かいお茶を飲みながら、僕は一息ついた。


「ごちそうさま。……本当に、今まで食べたお弁当の中で一番美味しかったよ、神代さん」


「…………っ!!」


神代さんは、お重の蓋を閉める手が止まり、幽霊でも見たかのように僕を凝視した。

 やがて、彼女は俯き、自分の胸元をぎゅっと掴んで、消え入りそうな声で呟いた。


「……当然よ。……私の、執念……ではなく、計算の結晶だもの。……明日からも、貴方の昼食は私が完全に統制するわ。……購買のパンなんて、私の許可なく触れることすら禁じます」


((((((((((((((((((((((((((((((((((((((((((((((((((((((((((一番……!! 過去全ての女、そして母親の味さえも、私の権力(と愛情)で塗り替えてやったわ!! これで佐藤くんの胃袋は神代グループの完全子会社!! 貴方の舌が、私の用意した味以外を『不浄』だと感じるようになるまで、毎日毎日、極上の独占料理を叩き込んであげるんだからあああああ!!)))))))))))))))))))))))))))))))))))))))))))))))))))))))))


胃袋の子会社化という概念に眩暈を覚えつつも、彼女の瞳に宿る、不安と歓喜が混ざり合ったような複雑な光は、何よりも温かく僕を射抜いていた。

 神代さんは僕の手首のブレスレットを一度だけ強く握ると、いつもの「氷の令嬢」の仮面を被り直して立ち上がった。


「……さあ、行くわよ。午後の講義中、貴方が眠気で集中力を欠くようなら、今度は『特製エナジードリンク(※私の手作り)』を強制注入してあげるから」


「……それは、普通の休憩でお願いしたいかな」


「……却下よ」


彼女は翻るスカートと共に、凛とした足取りで屋上を去っていった。

 その後ろ姿から漏れ出る「佐藤くん大好き」というドップラー効果のような絶叫を聴きながら、僕は自分の胃袋に刻まれた、あまりにも重くて甘い「独占」の記憶を噛み締めていた。

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