第15話 氷の令嬢の「領域展開」は、休日の街角で暴走する

神代凛花という「絶対君主」に私生活の全てを掌握され始めてから、僕の休日という概念は、文字通り神代グループに買い取られることとなった。

 今日は、彼女が指定した「市場調査(という名のデート)」の日。

 待ち合わせ場所に現れた神代さんは、いつもの制服姿ではなく、白のレースがあしらわれたシックなネイビーのワンピースに、つばの広い麦わら帽子という、令嬢の品格をこれでもかと凝縮したような私服姿だった。


「……遅いわよ、佐藤くん。予定時刻より三分と十二秒も遅延するなんて。神代重工のロケット発射なら、今頃成層圏で爆発しているところよ」


「ごめん、神代さん……。バスが少し遅れちゃって。でも、その服……すごく似合ってるね。綺麗だよ」


僕が正直な感想を口にすると、神代さんの言葉が「……っ!?」と喉で詰まった。

 彼女は慌てて帽子のつばを下げて顔を隠したが、隠しきれない首筋までが瞬時にバラ色に染まっていく。


(((((((((((((((((((((((((((((((((((((((アアアアアアアアアアアアアアアアアアア!! 褒められた!! 綺麗って言った! 彼、私のことを『綺麗』って定義したわ!! このワンピース、神代グループが提携するパリのオートクチュールで、彼の視覚神経を最短ルートで麻痺させるために三昼夜かけて新調させた甲斐があったわ!! 今すぐこの瞬間の彼の表情を、超高解像度ホログラムで保存して、私の寝室の天井に二十四時間投影し続けたいわあああああ!!))))))))))))))))))))))))))))))))))))))


寝室の天井に僕を投影するのは本気でやめてほしい。

 神代さんは咳払いを一つすると、手袋をはめた手で僕のシャツの袖を、まるで迷子にならないようにする子供のようにぎゅっと掴んだ。


「……勘違いしないで。今日はあくまで『一般市民の休日の消費動向』を視察するための業務よ。貴方の腕を掴んでいるのは、群衆という名の無秩序なノイズから、私のパーソナルスペースを保護するため。……よって、貴方に離れる権利はないわ」


「わかったよ。じゃあ、まずはあそこのショッピングモールに行ってみる?」


「……許可するわ。……ただし、私の視界から一歩でも外れるような真似をしたら、この街の全信号機を赤に変えて、貴方を物理的に孤立させるから覚悟しなさい」


(((((((((((((((((((((((((((((((((((((((((いよいよよ!! 休日デートという名の、佐藤くん完全拘束作戦!! 今日の私は、彼の網膜に映る唯一のヒロインでなければならないの!! 他の女! 広告のモデル! ショーウィンドウのマネキンですら、彼の視線を奪うなら排除対象よ!! 佐藤くん、私のこの、服越しに伝わる体温のメッセージ(※重すぎる愛)を、全身の細胞で受信しなさいよおおお!!)))))))))))))))))))))))))))))))))))))))))


マネキンにまで嫉妬するのは流石に過剰防衛だと思うけれど、彼女の掴む力は、その決意を反映するようにどんどん強くなっていく。

 モールの中は休日ということもあり、大勢の家族連れやカップルで賑わっていた。

 ふと、通りかかったアクセサリーショップのディスプレイが目に留まる。


「あ、これ。神代さんが作ってくれたミサンガに、少し似てるかも」


僕が指差したのは、青い天然石をあしらったペアのブレスレットだった。

 すると、神代さんはディスプレイを凝視し、その場で雷に打たれたように硬直した。


(((((((((((((((((((((((((((((((((((((((((((((((ペア……!! ペアの装飾品……!! 彼、自分から私との『対(つい)』を求めたの!? これって実質的に、私への婚約指輪の催促よね!? そうなのよね!? ああ、どうしましょう、私はまだ神代家の宝物庫から、国宝級のダイヤを持ち出す手続きを済ませていないわ!! 佐藤くん、待ってて! 今すぐセバスに連絡して、南アフリカの鉱山を一つ買い占めさせるからああああ!!))))))))))))))))))))))))))))))))))))))))))))))


鉱山を買う前に、まずは僕の話を聞いてほしい。

 神代さんは震える手でスマートフォンを取り出そうとしたが、僕は慌ててその手を制した。


「神代さん、落ち着いて。……ただ、これをつけてたら、もっと『一緒』って感じがするかなって思っただけだよ」


「…………っ!!」


神代さんは、今度は顔だけでなく耳から火が出るのではないかというほどの勢いで赤くなり、そのまま「う、うう……」と小さく呻いて、僕の胸元に顔を埋めた。


((((((((((((((((((((((((((((((((((((((((((((((((((((死ぬ……!! 幸せすぎて、私の心肺機能が神代グループの全サーバーと共にダウンするわ!! 『一緒』……『一緒がいい』って言ったわよね!? これ、もう全人類に向けて私たちの婚姻を宣誓したも同然じゃない!! 佐藤くん、貴方は毒よ!! 私の冷徹な理性という名の防壁を、跡形もなく溶かし尽くす猛毒なのよおおお!!))))))))))))))))))))))))))))))))))))))))))))))))))


彼女の脳内絶叫は、ついに周囲の喧騒をかき消すほどの音量(※僕の脳内限定)で鳴り響き始めた。

 「氷の令嬢」の仮面は、休日の人混みの中で、もはや修復不可能なほどに崩壊しようとしていた。


僕の胸元に顔を埋めたまま、神代さんは小刻みに震えていた。周囲を通る人々が「お熱いわね」と言わんばかりの視線を向けてくるが、今の彼女にはそんな外的なノイズを遮断する余裕など微塵もないようだった。

 やがて、彼女は意を決したように顔を上げると、潤んだ瞳で僕を真っ直ぐに見つめ、震える声で告げた。


「……佐藤くん。貴方のその……『一緒がいい』という非論理的かつ感情的な要望、神代グループの最高意思決定機関(私)が、特例中の特例として承認してあげるわ。……ただし、中途半端な既製品で妥協することは許されない。今すぐ、この店舗の全在庫を私が検品し、貴方の細胞質に最も適合する素材を選別するわ」


「えっ、全在庫!? いや、神代さん、そこまでしなくても……」


「黙りなさい。これは我が家の『資産価値』を維持するための保守作業よ。貴方の手首に、私以外の不純物が触れることを一秒たりとも許容できないわ」


((((((((((((((((((((((((((((((((((((((((((((((((((((アアアアアアアアアアアアア!! ついに! ついに既製品の壁を越えて、彼との『物理的な結合(ペア)』が成立するのね!! 嬉しい! 嬉しすぎて、今すぐこのモールの中心で愛を叫ぶ代わりに、神代グループの時報を全て私の心拍数と同期させたいわ!! 佐藤くん、見て!! 私の選ぶこのブレスレットは、貴方を未来永劫、私という重力から逃がさないための『愛の首輪』……いえ、聖なる福音なのよおおお!!)))))))))))))))))))))))))))))))))))))))))))))))))))


時報を同期させるのは社会的な混乱を招くので勘弁してほしい。

 神代さんは店員を呼びつけ、震える指先でディスプレイの奥にある、最も高価で希少な一点物のペアブレスレットを指定した。


「……これを用意なさい。支払いは神代グループのブラックカードで。あ、領収書は不要よ。これは私個人の『生活必需品』としての計上なのだから」


店員が恐縮しながら用意したブレスレット。深い青色のサファイアが埋め込まれたそれは、確かに僕たちのミサンガと同じ色をしていた。

 神代さんは、僕の手首を恭しく取ると、まるで主君が騎士に叙勲を授けるかのような、あるいは呪術師が契約の印を刻むかのような、厳かな手つきでそれを装着した。


「……これでよし。佐藤くん、貴方の左手は、今この瞬間から完全に神代凛花の私有地として登記されたわ。不法侵入(他の女の接触)は、私設軍隊による即時排除の対象となるから、そのつもりでいなさい」


「……わかったよ。大切にするね、神代さん」


僕が微笑んでそう言うと、彼女は自分の右手に装着されたお揃いのブレスレットを愛おしそうに撫で、今にも泣き出しそうな、けれどこの上なく幸福そうな表情を浮かべた。


((((((((((((((((((((((((((((((((((((((((((((((((((((((((最高……。今日という日を、国際祝日に制定させなさい。神代グループの総力を挙げて、国連に圧力をかけるのよ!! 私の右腕と、彼の左腕。この二つの宝石が共鳴し合うたび、私たちの魂は次元を超えて融合し、永遠の愛という名の不可解な数式を完成させる……。ああ、佐藤くん、大好き!! 好きすぎて、貴方の歩いた後のタイルを全て剥がして、私のコレクションルームに永久保存したいわあああああ!!)))))))))))))))))))))))))))))))))))))))))))))))))))))))))


タイルの剥奪は公共物破壊になるから、脳内だけにしてほしい。

 ブレスレットを購入した後、僕たちはモールの屋上庭園へと向かった。

 沈み始めた夕日が、街全体をオレンジ色に染めていく。

 神代さんは、僕の隣で、そっと僕の手首……ブレスレットが光る場所に、自分の手を重ねた。


「……佐藤くん。今日の調査結果を報告しなさい。……貴方は、私とのこの『無駄な休日』に、どれほどの価値を見出したのかしら」


「……無駄なんてこと、一度も思わなかったよ。……神代さんと一緒にいられて、すごく楽しかった。価値なんてつけられないくらい、僕にとっては大切な時間だよ」


「………………ッ!!」


神代さんは、そのまま僕の腕に自分の額を預け、静かに、しかし力強く、僕を抱きしめるように身を寄せた。


(((((((((((((((((((((((((((((((((((((((((((((((((((((((((((ア、アア…………。佐藤くん、貴方はどうして、そんなに簡単に私の防壁を無効化するの……? 『大切』だなんて、そんなこと言われたら、私はもう二度と、貴方をこの世界に返したくなくなってしまうじゃない。……覚悟しておきなさい。次の休日は、このモールごと買い占めて、二十四時間、一秒の隙もなく私だけを愛でるための『監禁プログラム』を執行してあげるんだからあああああ!!)))))))))))))))))))))))))))))))))))))))))))))))))))))))))))))))


彼女の抱擁は、夕日の熱よりも熱く、そして何よりも重い「独占」の誓いに満ちていた。

 僕はその重みを心地よく感じながら、お揃いの青い宝石が夕光に反射して輝くのを、いつまでも眺めていた。

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