第14話 氷の令嬢の「家臣教育」は、想定外の密室で加熱する

神代家による「佐藤誠・全方位監視網」が敷かれてから数日。僕の日常は、平穏とは程遠いものになっていた。

 休み時間になれば神代さんが僕の席を占拠し、放課後になれば黒塗りの高級車が校門で僕を待ち構える。クラスメイトたちはもはや僕を「神代さんの所有物」として認識し、遠巻きに生暖かく見守るという、ある種の宗教的沈黙すら漂い始めていた。


そんな中、神代さんから突如として「重要通達」が下された。


「……佐藤くん。貴方の自宅の学習環境を調査した結果、神代グループの基準からすると『劣悪なスラム街』と同等であるという結論に達したわ。よって、本日の放課後は我が屋敷の図書室にて、貴方の矯正教育(テスト対策)を行うわ。拒否権は万死に値すると知りなさい」


スラム街扱いは心外だが、彼女の言う「図書室」が気になり、僕は再びあの広大な屋敷へと足を運ぶことになった。

 だが、案内されたのはいつもの豪華な客間ではなく、屋敷の最上階にある、重厚なマホガニーの扉に閉ざされた一室だった。


「……ここは、神代家の歴代当主のみが入室を許される、特別禁書庫(プライベート・スタディ)よ。今日はセバスも神代重工の視察で不在。……つまり、この空間には、私と貴方以外、ネズミ一匹入り込む隙間はないということよ」


神代さんは、どこか緊張した面持ちで鍵をカチリと閉めた。部屋の中は、壁一面が本棚で埋め尽くされ、古い紙の香りと、彼女が纏う薔薇のアロマが混ざり合った、濃密な空気に満ちていた。


((((((((((((((((((((((((((((((((((キタアアアアアア!! 密室!! 完全なる二人きりのサンクチュアリ!! セバスには悪いけど、神代重工の工場に『不審なネジが一本落ちていた』というガセ情報を流した甲斐があったわ!! 佐藤くん、見て!! この薄暗い照明、柔らかなソファ、そして誰にも邪魔されない時間!! これはもはや勉強会ではなく、実質的な初夜(※概念)へのプロローグなのよおおお!!))))))))))))))))))))))))))))))))


ネジ一本のために執事を動かしたのか……。

 神代さんは、僕を大きなソファの隣に座らせると、自分もぴったりと、体温が伝わるほどの距離で腰を下ろした。


「……さあ、始めなさい。まずは数学の線形代数、行列の対角化からよ。……貴方が一問間違えるごとに、神代家特製の『お仕置き(ペナルティ)』を課してあげるわ」


「お仕置き……? どんな?」


「……フン、貴方の精神に深い刻印を残すような、峻烈(しゅんれつ)なものよ。……覚悟することね」


(((((((((((((((((((((((((((((((((((((((((((((((お仕置き(ご褒美)!! 間違えるたびに、私が貴方の耳元で愛の言葉(※罵倒に見せかけた告白)を囁いてあげるわ!! それとも、私の膝を枕にして暗記を強要しようかしら!? ああ、妄想が捗りすぎて、線形代数どころか私の心臓が指数関数的にオーバーフローしそうだわ!! 早く間違えて! 早く私の甘い処刑を受け入れなさい佐藤くん!!))))))))))))))))))))))))))))))))))))))))))))))))))


処刑の内容が甘すぎる。

 僕は彼女の強烈なプレッシャー(と脳内の絶叫)を感じながら、計算用紙にペンを走らせた。

 静かな部屋。聞こえるのは、時計の針の音と、彼女の少し早まった呼吸の音だけ。


「……神代さん、これ、解けたんだけど」


「……見せなさい。……あら、正解だわ。……つまらない男ね。……次よ、次は固有値の問題をやりなさい」


(((((((((((((((((((((((((((((((((((((((((((((((正解しちゃった!! さすが私の選んだ男、知能指数まで私との相性バツグンね!! でもダメよ、このままじゃ『お仕置き』が発動しないじゃない!! 佐藤くん、もっと隙を見せなさい! 私のこの、準備万端に整えた『慈愛に満ちた(歪んだ)独占欲』をぶつける隙間を与えてえええええ!!))))))))))))))))))))))))))))))))))))))))))))))))))


神代さんは、僕が次の問題に取り組む間、じっと僕の横顔を観察していた。

 その視線は、もはや勉強を教えている教師のそれではなく、獲物をじっくりと値踏みする所有者のそれだった。

 不意に、彼女の白い手が僕のノートの上に置かれた。


「……佐藤くん。貴方、さっきから集中力が散漫だわ。……この部屋の空気が、貴方の未熟な脳細胞を麻痺させているのかしら」


「え? いや、そんなことは……」


「……黙りなさい。……顔を、こちらに向けなさい」


彼女の指が、僕の顎に触れ、強引に彼女の方へと向けさせる。

 至近距離。

 薄暗い図書室の中で、神代凛花の瞳が、妖艶なまでに怪しく、そして深く沈んだ情熱を湛えて輝いていた。


(((((((((((((((((((((((((((((((((((((((((((((((((今よ!! 密室、二人きり、至近距離!! このまま彼の唇を私の管轄下に置いてしまえば、もう誰も彼を私の腕から奪うことはできない!! 佐藤くん、貴方の全てを私に明け渡しなさい。神代家の財産目録に、貴方の名前を筆頭に書き加えてあげるからあああああ!!))))))))))))))))))))))))))))))))))))))))))))))))))))


彼女の吐息が、僕の頬にかかる。

 その瞬間、図書室の重厚な沈黙が、熱を帯びた何かに塗り替えられていった。


鼻先が触れそうなほどの至近距離。神代さんの瞳には、計算尽くされた令嬢の余裕など微塵もなく、ただただ僕を飲み込まんとするほど濃密な「独占欲」が渦巻いていた。

 指先から伝わる彼女の熱は、エアコンの効いた図書室の空気を一気に沸騰させる。


「……佐藤くん。貴方、今……何を考えているのかしら。私の許可なく、脳内で他の不純な雑念を反芻しているのではないでしょうね」


「……考えてるのは、今の神代さんのことだけだよ。こんなに近くにいたら、勉強どころじゃないし……」


「……っ! 貴方、自分が何を口走っているのか分かっているの!? その発言、神代家に対する『不敬罪』に相当するわ。……謝罪の代わりに、貴方のその……不謹慎な視線を、私に固定し続けなさい」


(((((((((((((((((((((((((((((((((((((((((((((((((((ア、ア、ア、アアア……!! 直接言われた!! 『君のことしか考えてない』って直接脳内に(※耳元です)叩き込まれたわ!! これってもう、実質的に魂の婚姻届に判を押されたのと同じよね!? 佐藤くん、貴方って人は、どうしてそんなに無自覚に私を狂わせるの!? 今すぐその唇を神代グループの重要文化財に指定して、私の専属管理下に置きたい……今すぐ!!)))))))))))))))))))))))))))))))))))))))))))))))))))))))


神代さんの脳内絶叫はもはや共鳴し、僕の頭蓋骨を直接揺らすほどの振動となっていた。彼女の顔は熟したリンゴのように赤らみ、呼吸はさらに浅く、熱くなっていく。


その時。


「お嬢様、急ぎの御報告がございます。神代重工のネジの件ですが、解析の結果、ただの製造過程のバリであることが判明いたしました」


ガチャリ、と扉の向こう側からセバスチャンさんの冷静沈黙な声が響いた。

 同時に、閉めていたはずの鍵が「合鍵」によって虚しくも解錠される音がした。


「……ッ!? セ、セバス!? 貴方、帰ってくるのが早すぎるわよ! 視察は一晩かけて、徹底的に行うように命じたはずでしょう!?」


神代さんは弾かれたように僕から飛び退き、ソファの端で必死に乱れた服を整えた。その動きは、先ほどまでの「捕食者」の面影を完全に消し去るほど狼狽していた。


「左様でございますか。しかし、お嬢様が佐藤様と『図書室の換気機能』について熱心に議論されているご様子でしたので、冷たいお飲み物を用意いたしました」


セバスチャンさんは、僕たちがどれほど密着していたかを完全に把握しているような、含みのある微笑みを浮かべながらワゴンを押してきた。


(((((((((((((((((((((((((((((((((((((((((((((((((((((((セバアアアス!! 貴方、今すぐ解雇よ!! 明日の朝には神代グループの関連会社が所有する北極の観測基地へ左遷してやるわ!! あと一秒、あと一秒あれば、私は佐藤くんの人生を私の色で塗り潰すことに成功していたのに!! この一生に一度の好機(※妄想)を台無しにするなんて、万死に値するわああああ!!))))))))))))))))))))))))))))))))))))))))))))))))))))))))))


脳内で執事を北極に送っている間、神代さんは真っ赤な顔でココアの入ったカップをひったくった。


「……ふん。丁度喉が渇いていたところよ。佐藤くん、今日の『お仕置き』は……セバスの無能な介入によって、次回に持ち越しにしてあげるわ」


「……あ、うん。助かったよ(色んな意味で)」


「……勘違いしないで。次は逃さないから。……次回のテスト対策は、神代グループが保有する豪華客船の『脱出不可能(ロックダウン)スイートルーム』で行うわ。……今度こそ、貴方の全てを徹底的に教育(調教)してあげるわよ」


((((((((((((((((((((((((((((((((((((((((((((((((((((((((絶対に諦めない!! 今回の失敗を糧にして、次回の密室は防音完備、ジャミング機能付き、そして外部からの物理的な侵入を完全遮断する要塞に改築してやるわ!! 待っていなさい佐藤くん、貴方の未来は私の掌の上で踊るためにあるのよ! 大好き! 好きすぎて、今すぐ貴方の指紋を我が家の家紋に採用したいわあああ!!)))))))))))))))))))))))))))))))))))))))))))))))))))))))))))


新しく登場した「要塞」という単語に戦慄を覚えつつも、僕は彼女が不器用に差し出した、震える手のひらのココアを受け取った。

 密室の熱は、セバスチャンさんの登場によって一度は引いたものの、彼女の瞳の奥にある「独占欲の残り火」は、さらに激しく燃え上がっていた。


「……佐藤くん。ミサンガ、緩んでないわね? ……私の呪縛から解かれたいなら、今のうちに言いなさい。……もっとも、言ったところで私の私設軍隊が貴方を拘束するだけだけれど」


「……緩んでないよ。ずっとつけてるから、大丈夫だよ、お嬢様」


「……ふん。ならよろしい」


神代さんは満足げに鼻を鳴らしたが、その視線は既に「次の監禁計画」を練るように、僕の全身をなめるように見回していた。

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