第10話 氷の令嬢の「鉄壁」は、暗闇で崩壊する
学園祭の熱気は午後に向けてさらに加速していた。
僕と神代さんは、実行委員の「他クラスの視察」という名目で、喧騒の中を並んで歩いていた。
「……見てなさい、佐藤くん。他のクラスの低俗な出し物を反面教師にして、我がクラスのカフェをさらなる高みへと導くのよ。これは遊びではないわ。神代グループの市場調査と同じ、真剣勝負よ」
神代さんは背筋をピンと伸ばし、優雅に扇子を揺らしながら宣言する。しかし、僕の腕に触れるか触れないかの距離を「死守」しながら歩く彼女の脳内は、市場調査どころではなかった。
(((((((((((((((((((((((((デート! デートデートデート!! 神様ありがとう! 実行委員の特権万歳!! 視察という名の合法的な逢瀬(おうせ)!! 騒がしい一般生徒たちは背景のモブに過ぎないわ! 今、この学園でスポットライトを浴びているのは、佐藤くんと、その隣で可憐に微笑む(予定の)私だけなのよおおお!!)))))))))))))))))))))))
残念ながら、周囲の生徒たちは「氷の令嬢」の放つ威圧感にビビってモーゼの十戒のように道を開けているけれど、彼女はそれに気づいていないようだ。
「次は……あそこね。2年B組の『絶叫・廃病院』。心理的恐怖による顧客満足度の相関関係を調査する必要があるわ」
「え、お化け屋敷? 神代さん、ああいうの平気なの?」
「……フン。幽霊だの怪物だの、非科学的な存在に私が屈するとでも? 恐怖とは無知から来る感情よ。全てを論理的に解明している私には無縁の言葉ね」
(((((((((((((((((((((((((((((((((無理無理無理無理!! 死ぬ! 絶対に死ぬわ!! 私、実は暗いところも大きな音も、得体の知れない着ぐるみの人も大っ嫌いなのよ!! でも! ここで『怖いから佐藤くんの服の裾を掴んでもいい?』って言えたら……吊り橋効果で私たちの愛は成層圏までぶち上がるはず!! 怖さを利用して彼に密着する……これぞ神代流・恋愛戦略よ!! 行くわよ凛花、命を賭けて抱きつきにいくのよおおお!!))))))))))))))))))))))))))))))))
命を賭けるほどのことだろうか。
僕は彼女の「覚悟」に若干の不安を覚えながら、薄暗いカーテンの向こう側へと足を踏み入れた。
中は想像以上に本格的だった。冷房が効きすぎているのか、それとも演出なのか、肌寒い空気が漂っている。
「……ふん。チープな演出ね。この壁の血糊、神代グループの塗料部門ならもっとリアリティを……」
((((((((((((((((((((((((((ギャアアアアアアアアアアアア!! 出た! 今、角の隙間から誰か見てた! 見てたわよね!? 助けてセバス……じゃなくて佐藤くん!! 怖い! 怖すぎるわ!! 彼の腕はどこ!? どこにあるの!? 暗くて見えないけど、野生の勘で彼の体温を探し当てるのよ凛花!!))))))))))))))))))))))))))
神代さんの「氷の仮面」が、暗闇の中でガタガタと音を立てて震え始めた。
すると、突然。
「……ギ、ギギギ……」
という不気味な音と共に、天井から血まみれの包帯男(に扮したクラスメイト)が勢いよく降りてきた。
「……っ!!」
神代さんは声にならない悲鳴を上げ、隣にいた僕の腕に、しがみつくどころか「ラリアット」に近い勢いで飛び込んできた。
「……キャッ!?」
神代さんの華奢な体からは想像もできないほどの力が、僕の左腕にかかる。
彼女は僕の腕を両手で抱きしめ、顔を僕の肩に埋めて震えていた。
「……ちょ、ちょっと。足元が不安定だったから、支えにしただけよ。勘違いしないで。貴方の体温が、この部屋の異常な低温を中和するのに適していただけだわ」
(((((((((((((((((((((((((((((((アアアアアアアアアアアアアアアアアアア!! 掴んだ! 掴んだわ!! 佐藤くんの腕! 逞しい! 固い! 守られてる感が半端ないわ!! お化けありがとう! 包帯男ありがとう! 明日、貴方のクラスに神代グループから高級和牛一頭分差し入れるわ!! このまま……このまま一生、この暗闇から出たくない!!))))))))))))))))))))))))))))))
和牛一頭は流石に重すぎるお礼だが、彼女の心臓の鼓動が、腕を通じて僕にまで伝わってくる。ドクンドクンと、それは恐怖によるものか、それとも――。
「……大丈夫だよ、神代さん。出口まで僕がリードするから、目を閉じてていいよ」
「……べ、別に怖くないと言っているでしょう。でも、貴方がそこまで言うなら……特別にエスコートさせてあげるわ」
僕は彼女を引き寄せるようにして、ゆっくりと出口へと歩いた。
狭い通路。肩がぶつかり、彼女の髪から漂う甘い香りが鼻をくすぐる。
(((((((((((((((((((((((((((((((((((ヤバイ……。佐藤くんが優しい……。声が耳元で響いて、脳が溶けそう……。これ、もう実質的にハネムーンよね!? 暗闇の廃病院で愛を誓う二人……最高にロマンチックだわ!! 凛花、今よ! このどさくさに紛れて、彼の腕をさらに強く抱きしめて、『私を一人にしないで』って可愛く囁くのよ!!)))))))))))))))))))))))))))))))))
神代さんは、僕の腕を抱える力をさらに強め、消え入りそうな声で呟いた。
「……佐藤くん。……離さないでね」
「……ああ。離さないよ」
出口の光が見えてきた。
まばゆい太陽の下に出た瞬間、神代さんは弾かれたように僕から離れた。
「……ふん。時間の無駄だったわね。あんな演出で驚くのは、幼児か、貴方のような単純な人間だけよ」
彼女は乱れた髪をサッと整え、いつもの「氷の令嬢」に戻った。
けれど、その顔は夕日を待たずして真っ赤に染まっており、手首のミサンガを愛おしそうに何度も触れていた。
(((((((((((((((((((((((((((((((((((((アアアアアアアアアアアアアアア!! 幸せすぎて爆発する!! 『離さないよ』って言った! 彼、ハッキリと言ったわ!! これ、全校生徒の前で公開告白されたのと同義よね!? セバス! 今日のこの出来事を私の自叙伝の第10章『運命の密着』として、黄金の文字で刻みなさい!!))))))))))))))))))))))))))))))))))))
自叙伝の執筆が止まらないようだが、彼女は不意に立ち止まり、僕をじっと見つめた。
「……佐藤くん。学園祭も、もうすぐ終わりね。……後夜祭のキャンプファイヤー。……貴方、私と一緒に来ることを許可してあげるわ」
「……光栄だよ、お嬢様」
「……ふん、当然よ」
彼女は足早に歩き出したが、その足取りはダンスでも踊っているかのように軽やかだった。
学園祭、最後の大舞台。
キャンプファイヤーの炎の前で、彼女の「心の声」は、一体どんな爆音を奏でるのだろうか。
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