第8話 氷の令嬢の「秘密」を、僕だけは知っている
学園祭の前日。学校内は設営作業の最終確認でごった返していた。
クラスのカフェ『スノウ・ホワイト』もほぼ完成し、あとは明日の本番を待つばかり。
「佐藤くん。このメニュー表のフォント、神代グループのブランド規定からすると0.2ポイント小さいわ。刷り直しなさい」
神代さんは腕を組み、完成した看板を鋭い目で見つめていた。相変わらずの完璧主義だ。だが、今日に限って、彼女の脳内はいつもの爆音ではなく、少しだけ「ノイズ」が混じっている。
(((((((((((((((((((((どうしよう……。落とした……。どこで? いつ? あれがないと、私は明日、佐藤くんの隣に胸を張って立てないわ……。昨日の夜、寝る前まではあったはずなのに。ああ、神様、もし私の大切なアレを返してくれるなら、全財産を寄付してもいい、だからお願い……!!))))))))))))))))))))
……様子がおかしい。
いつもなら「佐藤くん、今日も世界一かっこいい!」といった絶叫が響くはずなのに、今日の彼女の心は、明らかに何かの紛失に対する焦燥感で支配されていた。
「神代さん。……何か、探し物?」
僕が声をかけると、彼女は肩をビクッと揺らし、一瞬で「冷徹な仮面」を被り直した。
「……な、何のことかしら。私が何かを失くすなんて、あり得ないわ。貴方のその薄汚れた想像力を私に向けないで」
((((((((((((((((((((((((((バレた!? 嘘でしょ、私、完璧なポーカーフェイスを維持しているはずなのに! さすが佐藤くん、私の些細な変化にも気づいてくれるなんて……。でも言えないわ、彼に「ミサンガを失くした」なんて、口が裂けても言えるわけないじゃない!!)))))))))))))))))))))))))
ミサンガ……。
それは、第1話で彼女が僕にくれたものと同じ、彼女が「指を絆創膏だらけにして編んだ」というあの手作りミサンガのことだ。
(((((((((((((((((((((((((((((((佐藤くんとお揃いでつけて、明日の学園祭を回るのが私の密かな、でも最大の野望だったのに! 私のバカ! 自分の分を失くすなんて、彼への愛が足りない証拠だわ! 今すぐ校庭を100周して自分を罰したい……いや、それより探しに行かなきゃ!!))))))))))))))))))))))))))))))
神代さんは「用事を思い出したわ」とだけ言い残し、優雅な足取りで――内心では全力疾走の勢いで――教室を飛び出していった。
僕は一人、看板の前に残された。
彼女の「心の声」を辿れば、場所は特定できるかもしれない。
彼女が今日、立ち寄った場所。そして、ミサンガを落としそうな場所……。
「……セバスさん」
僕は、物陰に潜んでいたSP(セバスチャン不在のため代理の者)に声をかけた。
「お嬢様が今日、立ち寄った場所を全部教えてください」
SPは一瞬戸惑ったが、僕の真剣な表情に押されたのか、「……一箇所、非常に気になっている場所がございます。ゴミ集積所の近くで、お嬢様が何かを気にされる素振りを見せておられました」と教えてくれた。
ゴミ集積所。
もしそこに落ちていたとしたら、もうすぐ回収車が来てしまう。
(((((((((((((((((((((((((((((((((ない……ないわ……。私の愛がゴミとして処理されてしまうなんて……。もういい、私は一生このゴミ箱の中で暮らすわ……。佐藤くんに合わせる顔がない……さよなら、私の初恋……!!))))))))))))))))))))))))))))))))
遠くから聞こえてくる彼女の悲痛な絶叫。
僕は、迷わず走り出した。
学園の裏手、ゴミ集積所。
そこには、いつも完璧に整えられた黒髪を少し乱し、必死に地面を這うようにして何かを探している神代さんの姿があった。
「……ない。どこにもないわ……。私の……私の半年分の想いが……」
彼女の指先は、ゴミ袋や段ボールをかき分けたせいで少し汚れている。
それでも彼女は、通りかかる生徒たちの視線も気にせず、ただ一点を見つめていた。
((((((((((((((((((((((ああああああ!! もうすぐ回収車が来ちゃう! 捨てられちゃう! 私と佐藤くんを繋ぐ、唯一の『対(つい)』の証が!! どうして……昨日の夜、お風呂に入る時に外して、そのまま制服のポケットに入れたはずなのに! 私の不注意のせいで、私たちの未来までゴミ箱行きなんて、そんなの耐えられない……!!))))))))))))))))))))
僕は、彼女の背後にそっと歩み寄った。
そして、ゴミ箱の陰、排水溝の縁に引っかかっていた「青い紐」を見つけた。
「……神代さん。これじゃない?」
僕の声に、神代さんは弾かれたように肩を震わせた。
ゆっくりと振り返った彼女の瞳には、うっすらと涙が溜まっている。
「……さ、佐藤くん!? な、なぜ貴方がここに……。私はただ、この学園の美化状況を抜き打ちで検査していただけで……」
「……これ、探してたんだろ?」
僕の手のひらに乗った、不格好なミサンガ。
彼女の瞳が大きく見開かれる。
((((((((((((((((((((((((((アアアアアアアアアアア!! あった!! 見つかった!! しかも、しかも佐藤くんが、私のために見つけてくれたの!? 奇跡!? これ神様が『貴方たちは結ばれる運命ですよ』って言ってるのよね!? そうよね!? 佐藤くん、貴方は私の王子様なの!? 今すぐその泥だらけの手を、私が一生かけて磨き上げて差し上げたい!!)))))))))))))))))))))))))
神代さんは震える手でミサンガを受け取ろうとした。
だが、自分の手が汚れていることに気づき、慌てて背中に隠した。
「……フン、それよ。私の私物がこんな汚い場所に落ちているなんて、学園の管理体制を疑うわ。……返しなさい、さっさと消毒して処分するから」
「嘘だ。……さっき、『半年分の想い』って言ってたじゃないか(心の声で)」
「……えっ!? そ、そんなこと、口に出してなんて……っ!」
神代さんは真っ赤な顔をして絶句した。もちろん、彼女は口に出していない。けれど、今の僕には彼女の「嘘」が痛いほどわかる。
僕は彼女の手を優しく取り、その掌にミサンガを置いた。
「これ、明日一緒につけよう。……神代さんが一生懸命作ってくれた僕のミサンガ、僕もすごく大切にしてるんだ」
僕は制服の袖をまくり、自分の方のミサンガを見せた。
神代さんの瞳から、ついに一筋の涙がこぼれ落ちた。
(((((((((((((((((((((((((((((((((((((((((あああああああああああああああああああああ(無音の号泣)!!!!! 言ってくれた! 大切にしてるって! 明日一緒につけようって!! 私、死ぬの!? 今、天国に召される直前なの!? 佐藤くん、大好き……! 大好きすぎて、私のこの胸の鼓動を全世界に中継したい!! 貴方の隣にいられるなら、私、令嬢なんて肩書き、今すぐゴミ箱に捨ててもいいわあああ!!))))))))))))))))))))))))))))))))))))))))
令嬢を捨てられては困るけれど。
彼女は涙を拭い、いつもの不遜な笑みを無理やり作った。けれど、その頬はこれまでにないほど柔らかく緩んでいる。
「……許可してあげるわ。明日だけよ。……さあ、戻りなさい。汚れがうつるわ」
「うん。……あ、神代さん。鼻の頭に、汚れついてるよ」
「えっ……!?」
僕が指でそっと彼女の鼻先をなぞると、神代さんはその場で「キャアッ!」と短い悲鳴を上げて、そのまま垂直に飛び上がった。
((((((((((((((((((((((((((((((((((((((((((((アアアアアアアアアアアアアアアアアアアアア(音割れ限界突破)!!!!! 触った!! 鼻に!! 指が!! 甘美!! 尊い!! 私はもう一生顔を洗わない!! 鼻の頭に佐藤くんの指紋を刺青として彫り込むわああああああ!!))))))))))))))))))))))))))))))))))))))))))
……流石に洗顔はしてほしい。
神代さんは真っ赤な顔をして、SPたちの待つリムジンへと全力で駆け出していった。
夕日に照らされたゴミ集積所。
遠ざかっていく彼女の、割れんばかりの「愛の絶叫」を聴きながら、僕は確信した。
明日の学園祭。
僕たちの関係は、きっと大きな一歩を踏み出すことになる。
——不器用な令嬢と、彼女の本音を知る僕。
二人の物語は、ここから加速していく。
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