第4話 氷の令嬢は、僕の隣を死守したい
中間テストまであと一週間。
放課後の教室には、テスト勉強に励む者と、来月に控えた『学園祭』の準備に浮き足立つ者の二種類が混在していた。
「えー、それじゃあ。今年の学園祭、二組の出し物は『コンセプト・カフェ』に決まったわけだけど……実行委員を男女一名ずつ決めたいと思う。誰か立候補はいないか?」
担任の言葉に、教室内がざわつく。実行委員は準備で忙しくなり、勉強時間が削られる。誰もが目を逸らす中、僕も「どうか当たりませんように」と祈りながらノートの隅を眺めていた。
その時だ。
「……先生。私がやってもいいわよ」
凛とした声が響き渡った。
神代凛花が、その白い手を優雅に挙げている。クラス中が「えっ、神代さんが!?」と驚愕に包まれた。
((((((((((((((((((((((((((当然よ!! 実行委員になれば、放課後の時間を合法的に占拠できる! カフェの準備という名目で、佐藤くんの制服姿を……いえ、執事服やウェイター姿を拝める可能性が120%!! これを逃す手はないわ!! さあ先生、早くもう一人を選びなさい! 男子の方は、運命の赤い糸で結ばれたあの人しかいないわよね!?)))))))))))))))))))))))
嫌な予感がした。
神代さんは、僕の方を一度も見ることなく、氷のような冷たさで付け加えた。
「ただし。パートナーは……そうね。隣の席の彼がいいわ。佐藤くん。彼、いつも暇そうにしているから、ちょうどいい役立たずでしょう?」
「え、僕!?」
突然の指名に、僕は椅子から転げ落ちそうになった。
周囲からは「佐藤、お疲れ……」「神代さんにまた『調教』されるんだな」と同情の視線が集まる。
(((((((((((((((((((((((((((((やったあああああああああああああああ!!!!!! 指名しちゃった! 職権乱用! 権力最高!! 佐藤くん、驚いてる顔もキュートね! 役立たずだなんて嘘よ、貴方は私の人生における「主役(メインキャスト)」なんだから! 二人きりの買い出し、二人きりの看板作り……ああ、妄想が捗りすぎて鼻血が出そう!!)))))))))))))))))))))))))))))
鼻血が出る前に、僕に拒否権は残されていなかった。
結局、押し切られる形で僕と神代さんは学園祭実行委員に任命されてしまった。
「……神代さん、本当に僕で良かったの? 他にももっとテキパキ動ける人がいたと思うけど」
放課後、誰もいなくなった教室で、学園祭の資料を整理しながら僕は尋ねた。
神代さんは窓の外を見つめながら、冷淡に答える。
「勘違いしないで。貴方みたいな、何を考えているか分からない人間を放置しておくと、クラスの士気が下がるのよ。私の管理下に置いておいた方が、マシだと思っただけ」
(((((((((((((((((((((((((((((嘘よ!! 貴方以外に私の隣に立っていい男なんてこの世に存在しないわ!! そもそも他の女子とペアを組むなんて、想像しただけでその女子を北極の氷山へ強制送還したくなるレベルで嫌なのよ!! 独占欲? ええ、そうよ、私は佐藤くんを独占したいの!! 狂おしいほどにね!!)))))))))))))))))))))))))))))
北極送りは怖すぎる。
僕は苦笑いしながら、手元の資料を広げた。
「わかったよ。それじゃ、カフェの衣装についてなんだけど……女子はメイド服、男子はベストにタイっていうのが案に出てるね」
「……ふん。凡庸な発想ね。でも、まあ、いいわ。貴方も少しは『見られる格好』になるでしょうし」
(((((((((((((((((((((((((((((メイド服!? 私が!? 佐藤くんの前で!? ああああああ!! 短いスカート、フリル、白ニーソ!! 死ぬ! 恥ずかしすぎて私が先に北極へ飛んでいきたい! でも、佐藤くんがそれを見て『似合ってる』なんて言おうものなら……私はその場で彼の専属メイドとして永久契約を結んでしまうわ!!)))))))))))))))))))))))))))))
神代さんは扇子で口元を隠しているが、耳たぶがみるみるうちに赤くなっていく。
その時、僕の指が資料の端で紙を切ってしまった。
「あ、いって……」
微かな呟きだったが、神代さんの反応は光よりも速かった。
「……また!? 貴方、学習能力というものがないのかしら。見せなさい、今すぐ!」
彼女は僕の手を強引に引き寄せた。
(((((((((((((((((((((((((((((((((アアアアアアアアアアア!! 大変!! また佐藤くんの尊い表皮が!! でもチャンス!! またお揃いの絆創膏を貼るチャンスよ凛花!! セバス、予備の絆創膏をドローンで今すぐここに投下しなさい!!))))))))))))))))))))))))))))))))
ドローンを呼ばなくても、彼女は自前のポーチから、昨日よりさらに進化した『高級キラキラ猫柄絆創膏』を素早く取り出していた。
「……はい、終わり。もう二度と私の前で負傷しないでくれるかしら。手間がかかって仕方ないわ」
神代さんは、僕の指に(昨日よりさらにラメが増量された)猫柄の絆創膏を貼り終えると、パッと手を離した。その一瞬の寂しさを埋めるように、彼女の脳内は再び爆音のオーケストラを奏で始める。
((((((((((((((((((触れた……! 二日連続で、私は佐藤くんの体温をこの掌に感じたわ! この絆創膏、剥がれたら私が回収して真空パックで保存……いえ、そんな変態的なことはしないわ凛花、落ち着きなさい! でも、彼の指が私の手に触れた瞬間のあの微かな震え……あれは、彼も私を意識している証拠ではないかしら!? そうよね!? 早く誰か「YES」と言いなさい!!))))))))))))))))))
残念ながら、それは単に消毒液が染みてビクッとしただけなんだけど……。
僕はその勘違いを訂正する勇気もなく、「ありがとう」とだけ伝えて資料に目を戻した。
「次は、カフェで出すメニューの予算案だね。神代グループの令嬢に、こんな庶民的な計算をさせるのは心苦しいけど……」
「フン。経済の基本は、一円の無駄を削ることからよ。貴方のその大雑把な金銭感覚を、私が徹底的に矯正してあげるわ」
僕たちは図書室の隅の席で、電卓を叩き始めた。
外では夕日が沈み始め、オレンジ色の光が彼女の黒髪を黄金色に縁取っている。そのあまりの美しさに、僕は一瞬、計算の手を止めて見惚れてしまった。
「……何よ。私の顔に、何か付いているかしら」
「あ、いや……夕日が綺麗だなと思って。神代さんによく似合ってるよ」
神代さんは一瞬、鳩が豆鉄砲を食ったような顔をした。
そして次の瞬間――。
(((((((((((((((((((((((((((((((((((アアアアアアアアアアアアアアアアアアアア(最大音量)!!!!!! 褒められた! 似合ってる!? 夕日より私の方が綺麗ってこと!? いえ、夕日に照らされた私が最高にフォトジェニックだってことよね!? 佐藤くん、貴方のその感性、ノーベル平和賞ものよ! 今すぐ私をその瞳のシャッターで切り取って、心のアルバムに永久保存してえええええええ!!)))))))))))))))))))))))))))))))))
鼓膜が物理的に震えるほどの衝撃波。
神代さんは真っ赤な顔をして、電卓を猛烈な勢いで叩き始めた。その速度はもはやプロの会計士も裸足で逃げ出すレベルだ。
「……バカバカしい。そんな甘ったるい台詞、他の女子に言いなさい。私には一切通用しないわ。ほら、計算が終わったわよ。合計で二万八千四百円。一円の誤差もないわ」
「は、早いね……」
「当然よ。……佐藤くん。貴方、学園祭の日は……その、他のクラスの出し物とか、見に行くつもりなの?」
彼女が、ノートの端をいじりながら上目遣いに聞いてきた。
外面は「興味ないけど一応聞いておく」という風を装っているが、内心は――。
((((((((((((((((((((((((((聞きたい……! 彼が誰と回るつもりなのか、生きた心地がしないわ! もし他の女子とクレープなんて食べているところを見かけたら、私はその場で氷河期を呼び起こして学園祭ごと凍結させてしまうかもしれない! 私を……私を誘いなさい! 「一緒に行こう」って、その聖なる口唇で宣告してえええええええ!!)))))))))))))))))))))))))))))))
氷河期を呼ばれては困る。
僕は、彼女の切実な(脳内の)訴えに、精一杯の勇気を出して答えた。
「まだ決まってないけど……もし神代さんが良ければ、準備の合間に、一緒に回らない? 実行委員同士の視察、っていう名目でさ」
ピタリ、と神代さんの動きが止まった。
彼女はゆっくりと立ち上がり、僕の目を見据えた。その瞳は、夕日のせいだけではない熱を帯びている。
「……視察、ね。まあ、委員としての責務を果たすというのなら、付き合ってあげなくもないわ。……感謝しなさい、私の時間を貴方に分けてあげるのだから」
(((((((((((((((((((((((((((((((((((((キタアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアア(勝利のファンファーレ)!!!!! デート! これ実質的に初デートの予約よね!? 視察!? そんなのどうでもいいわ! 二人で! 並んで! 歩く! 宇宙の法則が乱れるほどの幸福感!! セバス! 明日から私の歩き方のレッスンを二十時間体制で行いなさい! 佐藤くんの隣を歩くのに相応しい、世界一の美少女として君臨するために!!))))))))))))))))))))))))))))))))))
神代さんは「失礼するわ」とだけ言い残し、風のような速さで図書室を飛び出していった。
廊下からは、「お嬢様! 廊下を走ってはいけません!」というセバスチャンさんの慌てた声と、それにかき消されるような彼女の小さな(でも僕にははっきり聞こえる)歓喜の叫びが聞こえてきた。
僕は一人、静かになった図書室で、彼女が計算した正確すぎる予算案を見つめた。
学園祭まで、あと少し。
僕の脳内は、これからますます騒がしくなりそうだ。
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