@Kuonji0930


私には色が見えない。映っている景色が白黒というわけでは無い。ほんとに何も見えないのだ。

故に、わたしには視力がない。眼科には用がない。何故なら、視力がないからだ。

開いていない、と言うか無い。眼球がない。

私が認識できるのは触感と音と匂い。触感と音と匂いさえあればなんとかなる。目が見えない分敏感になるという仮説は、実は正しかったのだ。

ある土曜日、わたしは買い物にいった。買い物をする理由といえば、二つある。

一つ目は、その行為がなければ死んでしまうからだ。食べ物がなければ餓死。飲み物がなければ水分不足による衰弱死。わたしの境遇はとても珍しく一般的に不幸なため、国から補助が降りる。そのため、生活には困っていないのだ。

二つ目は、モノが無ければ寂しいからだ。

不幸であるわたしにパートナーはいない。故に、モノをパートナーとして妥協する。モノを触り、舐め、噛み、時には破壊する。

それが唯一の暇潰しになる。


わたしにとって、色とは何か。

その答えは「分からない」だ。

なぜなら「知らない」からだ。正確に言えば色というモノを知らないということである。

私の視界は真っ黒という表現が正しいらしいが、私には真っ黒というモノがわからない。

人々は、見えていて当然のものだと色を認識する。知識として私が色を知っていても、何であるかはわからない。つまり、わたしに色を説明することは不可能である。

ならば、私が色を知りたくなった場合どうすればいいのか。

その答えは、私の感じることのできる触感と音と匂いで限りなく表すしかないということだ。

例えば、青。海というものは青いらしい。海に触れることは、青に触れることではないか。海は冷たく、手が濡れる。それは、清涼感を表すのにうってつけなのかもしれない。もちろん、本当の意味での青ではないかもしれない。しかし、これしか方法がない。

実際に海にやってきて触れてみた。その感想はおそらくさっきと一緒だ。

海というものは、しょっぱいらしい。けれど、青にしょっぱいという言葉が一般的には合わない

実際に舐めてみた。たしかにしょっぱい。

触れてみた感想と、舐めてみた感想。どちらの感想は、相反するものであるように感じる。

どちらが正しいのか。おそらく、触れてみた感想が世間では共通認識だ。

ある一つの疑問が浮かんだ。

青には、実はしょっぱいなんてイメージが隠れていたんじゃなかろうか。

ただし、確認するすべはない。



何故なら私は、色が見えないからだ。

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