第86話 神鼠は ソイリ家の跡継ぎを 残す必要がある
(自筆イラスト)
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「…はい、そのとおりです。
リヒト様を、ヤブサメ家の養女…ツムギ様の妹君としてお迎えすることをご提案しております。」
とステファニーが話を締めくくる。
執務室から見える午後の空は、すっきりしない灰色雲を広げている。
シリウスは黙ってリヒトを見る。
リヒトの方は、昼の図書館の作業中、目の周りに怪我をして、顔面を包帯で巻かれ、
それを気にして、大きなフードをかぶっている珍妙な姿だが、
こちらは困惑してうつむいている。
「名家だからいいとか、そういう話ではありません。
ただの手段なのです。
大王の結婚となると…」
『けッ…!?』
「話は簡単じゃありません。
家格に拘る人は、概して強硬派です。
昔は、婚約争いで、家格が低い候補が毒殺されたこともあるんですよ!」
リヒトが驚いたように顔を上げる。
「お二人はただでさえ、たくさんの困難を抱えてらっしゃる。
家格程度、我々十二支が何とでもできます。
リヒトさんをお守りするためにも、この点くらいは、解決しておきませんか?」
そのとき、執務室の外が騒がしくなった。
と思うと、急に一人の老婦人が杖をついて部屋に入ってきた。
「お久しぶりだね。」
「…お久しぶりです。おばあ様。」
シリウスは静かに、しかし、立ち上がらずに言う。
「今は、執務中です。
急にお入りになるのはおやめください。…ヤン!」
「申し訳ございません。お止めしたのですが…」
「聞こえなかったよ。
耳が遠くてね。」
杖で殴られたのか、ヤンの額から血がにじんでいる。
老婆は、勧められていないのにソファによっこらしょと座る。
「すぐに終わるから。
尊属を無下にするんじゃない。
…おや、ステファニー様、ごきげん麗しゅう。」
「麗しゅうございませんね。
今、私、神亥の王ステファニーが、
大王様と打合せをしていたのですが。」
「私は、この国最高の名門ソイリ家当主、シリウス大王の祖母ですがねぇ?」
神亥など格下と言わんばかり。
シリウスの祖母ヘラは、ここでようやく、
官吏服のリヒトに気付いたが、
「そこのお化けみたいな役人さん、少し外出てくれるかい?」
と、杖でシッシッとする。
「貴女には、彼女を部屋から出す権限はない。」
シリウスはきっぱり言い切る。
「大王様は変わらないねぇ。
小さいときから無感情で、老人に対する敬意もない。」
何か言いかけたリヒトを、ステファニーがグッと引き留める。
「まあ、少しで済むから、辛抱おし。
ほら、ティア!入っておいで!!!」
すると、艶々と輝く亜麻色の巻き毛を颯爽となびかせた女性が入ってきた。
桃色のドレスがふわりと舞う。
リヒトは壁際に寄って、小さく小さくなっている。
「この子はヘスティア・ソイリ。
ソイリ家の分家の子だよ。
18歳で、大王様よりも年上だね?
頭もよくてねぇ、高等学院も出ているんだよ。」
「ヘスティアと申します。お見知りおきを。」
美しく、華やかなカーテシーで挨拶をする。
健康美に溢れる女性だ。
「この子は、大王様の結婚相手だ。
今日から大神殿に預けていくからね。」
「なっ!?!?!?」
ステファニーが声を上げる。
「そんな話は、これまで聞いていない。
お断りする。
お二人で、今すぐ、お帰りください。」
シリウスは、キッパリと断言して、チラリとリヒトを見る。
「ヤン!ダンテスとエデを呼べ。」
「お前はもう16歳だろう?
しかも、ソイリの本家、私の直系だ。」
「大王様とお呼びください!」
ステファニーが苛々して遮る。
しかし、老人特有の聞かない技術で、話を勝手に進める。
「生まれる子供が神鼠を継承しなかったとしても、
お前はソイリ家の跡取りを作る必要がある。」
「僕の妻は、僕が決める。」
「誰かいるのかい?
前、晩餐会で、なんだっけね、ああ、
ヤブサメ家の誰かと踊って、気に入った風だったと聞いたが。
それはどうなったんだい?」
「答える必要はありません。」
「調べさせてもらったんだよ…
ヤブサメ家にはそういう娘はいないらしいじゃないか。
それなのに、今、大神殿にいるんだろう?
ツヴェルフェト大学に通うとかなんとか言って…」
「…」
「大方、そこのステファニー様とツムギ様が、
なにか企んだんでしょうが。
大王様と縁戚関係を持ちたいでしょうよ、誰だって。」
「神亥と神馬を愚弄しますか?」
「ステファニー様、神通力とやらを使って、殺してもいいよ?
力のない、弱い老婆をねぇ?」
「ご希望であれば、殺さずに黙らせることもできましてよ?」
ヘラとステファニーは憎々しそうに睨み合う。
「名門ソイリ家は出自も分からない娘をコソコソ差し出す真似しない。
堂々と、この名家のティア…ヘスティア・ソイリをこちらに置いていくよ。
大王様の結婚相手として、
もうソイリ家中に発表しているからね。」
「僕は一切関与していない。
ソイリ家に発表していようと何だろうと、
僕は、認めない。」
「ツヴェルフェト大学に通うような、
頭でっかちの、嫁に不向きな女が気に入ったのかい?」
シリウスが何かを言いかけたが、
ステファニーがシリウスに視線を送る。
もし、リヒトのことが判明すれば、
この老婆なら、毒殺でもなんでもしかねない。
「ダンテス!エデ!
丁重にお送りしろ!」
ダンテスとエデは、老婆を抱えるようにして連れ出す。
「ティアはそこにいときなさい!
もう、荷物は届いているからね。」
老婆は遠ざかっていく。
しかし、シリウスは静かに言う。
「ヘスティア嬢、貴女もお帰りください。」
「恐れ入ります。
おばあ様が、これからはここで過ごすからと、馬車も返してしまいました。
荷物も多くございます。
シリウス様のご希望のとおり、帰らせていただきますが、
今、父母は遠くゴテスベルクの近くに住んでおります。
今夜だけでも泊めていただけないでしょうか。」
ここで、リヒトの方を向く。
「そこの官吏の方…お名前は?」
「リヒトと申します…」
「リヒトさん、女性であれば、この時間から遠方に動くのは不安だとお分かりでしょう?
一緒に大王様にお願いしていただけませんか?」
「ヘスティア嬢、貴女に、この者に何かをいう権限は…」
「大王様…」
フードと包帯から表情は見えないが、静かな声でリヒトが言う。
「官吏として、一平民として、
お姫様のお願いを無下に断ることはできません。
ヘスティア様を、今夜、お泊めになったらいかがでしょう。」
スルスルと壁際を伝い、扉に行くと、官吏らしい挨拶をした。
「シリウス大王様、これにて失礼いたします。」
「とりあえず!」
急にステファニーが大きな声を上げる。
「この後の対応は、私が、大王付きと共に考えますので、
ヘスティア様は私と一緒に参りましょう。
大王様、ごきげんよう。」
ステファニーは、目だけで、必死に、リヒトを追いかけろとシリウスに訴えながら、
ヘスティアを促して退室した。
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