最終話 神殺し

 朝食を食べた。


 リアンが向かいに座っていた。いつもの景色だった。


 でも今日は、いつもと違った。


「お姉様、今日は何をするんですか」とリアンが聞いた。

「神殿に行く」

「神殿に? 用事があるんですか」

「ある」

「わたしも一緒に」

「来ないでいい」とわたしは言った。「今日は、あなたには来てほしくない」


 リアンの目が、わずかに揺れる。


「……何かあるんですね」

「……ええ」

「危ないことですか」

「そうかもしれない」とわたしは言った。「でも、やらなければならないことよ」

「お姉様」

「なに」

「帰ってきますよね。約束ですよ」

「約束よ」


 リアンが頷いた。それ以上止めなかった。


 信頼している、という顔。それを見て、わたしは席を立った。



 エドヴァルトに連絡を入れた。


「星環神を殺す」

「本気で言っているのか?」

「ええ」

「王国の信仰対象だ。神殿騎士団は死ぬ気で守ってくるだろう」

「それでも、リアンを犠牲にしないで済む方法は他にない」

「……わかった」とエドヴァルトが言った。「みんなを集める」

 

 短い沈黙の後、エドヴァルトは覚悟を決めた様子で言った。


「お願い」


 


 神殿の参道に、全員が集まった。

 エドヴァルト、シリル、レヴ、ミエル。


「今日の目的を確認する」とわたしは言った。「星環神を消滅させる。生贄を求める仕組みごと、消す」

「方法は」とエドヴァルトが聞いた。

「擬似ブラックホールで包む。光と闇の共鳴は使わない。今日はわたし一人でやる」

「一人で大丈夫か?」

「大丈夫よ」とわたしは言った。「神殿全体を覆う規模まで拡大したことがある。今日の目標は星環神一体よ。やれる」

「反動の恐れは?」

「限界まで使う」とわたしは言った。「でも意識は保つ。倒れたら、その時はよろしく」


 エドヴァルトが頷いた。


「神殿の騎士団は」とシリルが言った。「昨日より増えています。星環神への接触を警戒しているはずです」

「わかっている。突破する」

「ボクが索敵を全開で維持する」とレヴが言った。「全員の位置を把握し続ける」

「頼む」

「ジュースは持ってきましたよ」とミエルが言った。「終わった後で飲みましょう」

「終わってから」

「はい。クールに待っています」


 全員が頷いた。


 

 突入する。


 正門を干渉域で制圧した。エドヴァルトが光魔法で制圧型術式を展開し、騎士団を次々に無力化した。シリルが側面を抑えた。レヴが「左から四人、右から三人」と索敵の情報を流し続けた。ミエルが負傷者の対応に回った。


 廊下を走った。


 騎士団が再配置してきた。


 でも止まらなかった。


 干渉域を展開しながら、術式の起点を崩し続けた。銃を使った。倒れた。また来た。また崩した。


 奥に進むほど、廊下が古くなり、壁の紋様が増える。


 星環神の気配が、近い。大きい。果てしなく膨大だった。


 でも、怖くない。


 十年間、この日のために研究してきた。


「前方に大きな気配」とレヴが言った。「祭壇の手前、扉の前に——人が一人いる。かなり大きい」


 大きな扉が見えてきた。その前に、一人立っていた。


 重厚な鎧を纏った、1人の男。

 

 年齢は五十前後。目が鋭い。剣を持っていないけれど、魔力が、整っていた。その魔力は、まるで大山のような、そんな魔力だった。


「神殿騎士団団長、ケルン」とエドヴァルトが言った。小声で言った。「王国最強の騎士の一人だ。厄介だぞ」


 感知で読んだだけでわかった。


 並の相手ではない。わたしは背筋に嫌な汗が走る。


 ケルンがわたしたちを見た。


「止まれ」とケルンが言った。「これ以上は通さない。星環神への冒涜は、神殿騎士団が阻止する」

「退いてほしい」とわたしは言った。

「退かない。ここを通りたければ、わたしを倒してから行け」


 干渉域を展開しようとした。


 そのとき。


 背後で、気配がした。


 振り向く。


 廊下の奥に、人が立っていた。


 白い仮面を持っていた。持っているだけで、つけていなかった。


 白に近い金色の髪に、翠色の目。


「ヴェスペラ」とわたしは言った。

「来るとわかっていた」とヴェスペラが言った。「あなたが来る日が、いつか来ると思っていた」

「なぜここに」

「同じ目的よ」ヴェスペラが言った。「星環神を消す。あれが存在する限り、制度は続く。生贄は続く。ルミエールのような死が、また起きる」

「……」

「凡愚の祈り教会の首謀者か」とケルンが言った。「ここで二人まとめて止める」

「そうはいかない」


 ヴェスペラがわたしを見た。


「ここは任せろ」とヴェスペラが言った。

「……」

「行け、ルネ・ド・クロワール」ヴェスペラが続けた。「その魔法が悲しみで凍てつく前に」


 ケルンが動いた。

 ヴェスペラが前に出て、二人の間に入る。


「行け」とヴェスペラが言った。後ろを向いたまま言った。「あなたの目的を果たせ。わたしの目的と同じなんだから」


 エドヴァルトがわたしを見た。


「行くか」

「……行く」

「わかった。ヴェスペラ殿、よろしく頼む」

「任せろ」とヴェスペラが言った。


 扉に向かった。


 後ろで、ケルンとヴェスペラの魔力がぶつかった。


 振り向かなかった。


 扉に手をかけた。


 中は広かった。


 天井が高く、壁に星の紋様。


 中央に、祭壇があった。


 祭壇の上に、星環神がいた。


 形なき、圧倒的な金色の光の塊。でも意識があって、存在していた。長い間、ここにいた存在の気配があった。


「……」


 感知を向けた。


 大きかった。


 でも構造が読めた。十年間、研究してきた構造だった。


 中心に、収束している点──核だ。


「見えた」とわたしは言った。


 右手を上げた。


 擬似ブラックホールを展開し始めた。


 コイン一枚サイズから始めて、広げた。


 反動が、来た。第一段階——感知が鋭くなる。


 星環神の構造が、より細かく見えた。核の周囲に、術式の層があった。何重にも重なっていた。でも中心は一つだった。


 広げ続けた。


 第二段階が来た。


 思考が平坦になり始めた。感情が薄れ始めた。


「……」


 リアンの顔を思った。


 今朝の顔を思った。


「帰ってきますよね」と言った顔を。

「約束ですよ」と言った声を。


 感情が戻ってきた。

 平坦にならなかった。


「そうね」とわたしは言った。「必ず、帰る」


 擬似ブラックホールが、部屋全体を覆う規模になった。


 神殿全体を覆う規模になった。


 星環神が反応した。


 光が揺れた。


「……」


 絞った。


 広げた規模を、一点に絞った。核に向けた。


 空間が収束した。


 核に触れた。


「崩れなさい」


 干渉域を、核の中心に叩き込んだ。


 核が揺れた。


 外側の術式の層が、連鎖して崩れ始めた。


 一層、二層、三層。


 全部が崩れていった。


 星環神が——静かになった。


 金色の光が、収束していった。


 広がっていた光が、一点に集まって。


 消失。静かになった。


 広間から、気配が消えた。


 祭壇が、空になった。


「……終わった」


 声が、少し震えていた。

 

 突如視界が揺れ、膝をついた。


 床に手をついた。


 頭の奥が重かった。でも、意識があった。

倒れなかった。


「……」


 立ち上がった。

 扉に向かった。



 廊下に出た。


 ヴェスペラとケルンが、向かい合っていた。


 ケルンが膝をついていた。


 戦意がなかった。


 ヴェスペラが立っていた。消耗していた。でも倒れていなかった。


「終わったか」とヴェスペラが言った。

「終わった」

「……そうか」ヴェスペラが少し息を吐いた。「ルミエール。終わったぞ」


 誰かに向けて言った。

 誰もいない廊下に向けて言った。


「……」


 ケルンが顔を上げた。


「星環神が」とケルンが言った。「気配が、消えた」

「消えた」とわたしは言った。「生贄を求める仕組みごと、消した」


 ケルンが黙っていた。

 長い間、黙っていた。


「……騎士団として、阻止しなければならなかった」とケルンが言った。「でも」

「でも」

「これでよかったのかもしれない」ケルンが言った。「わたしは、制度を守ることを使命にしてきた。でも、その制度の代償を、誰かが払い続けていたとすれば——」

「そうよ」とわたしは言った。「あなたが守っていたものは、正しくなかった」

「……わかっていた」とケルンが言った。「薄々、わかっていた。でも使命だから、目を向けなかった」


 誰も何も言わなかった。

 エドヴァルトが来た。シリルが来た。レヴとミエルも来た。


「終わったか」とエドヴァルトが言った。

「終わった」

「星環神は」

「消えた」


 エドヴァルトが少し目を閉じた。

 ヴェスペラがわたしを見た。


「ヴェスペラ」

「なに」

「ありがとう」

「礼は要らない」とヴェスペラが言った。「わたしの目的のためにやったことだ。あなたのためではない」

「わかっている」とわたしは言った。「それでも、礼を言う」


 ヴェスペラが少し間を置いた。


「……達者でな」とヴェスペラが言った。


 踵を返した。

 廊下の奥に歩いていった。

 白に近い金色の髪が、遠ざかっていった。


「ミエル」とわたしは言った。

「はい」

「ジュースをもらえる」

「もちろんです」とミエルが言った。「クールに用意してあります」


 受け取って、飲んだ。甘かった。


「帰る」とわたしは言った。

「そうだな」とエドヴァルトが言った。「帰ろう」


 神殿の外に出た。

 

 朝の光が差し込んでいた。


 星環神がいなくなった世界の、最初の朝だった。


「お姉様!」


 リアンが参道の前で待っていた。


「来るなと言った」

「待っていました」リアンが言った。「来てはいないですよ。参道の前で待っていただけです」

「同じでしょう」

「違います」

「……好きにしなさい」


 リアンが走ってきた

 抱きついてくる。お互いの体温が、混ざり合う。


「約束、守ってくれました」とリアンが言った。

「守った」

「よかったです」

「あなたという、帰る場所があるから。だから、帰れた」とわたしは言った。

「どういう意味ですか」

「そういう意味よ」


 リアンが少し笑った。


「……難しいお姉様ですね」

「そうね」


 祝福するような朝日が、わたしたちの頭上をどこまでも明るく照らしていた。

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