第45話 収束

 神殿の門をくぐった。


 内部に入った瞬間、術式の気配が全身を震わせる。


 外から感知していたときより、密度が濃かった。設置されてから時間が経っている。魔力が空気に馴染んでいた。建物の構造に溶け込むように、術式が根を張っている。


 廊下を走りながら、内部の構造を感知で把握した。


 下層三点、中層二点、上層一点。六点の起点が、互いに魔力の糸で繋がっていた。糸が光っていた——感知の中だけで見える光だった。一つを崩せば、残りが補完する。補完が間に合わなければ、代わりに暴発する。どちらに転んでも、結果は変わらなかった。


 廊下を走っている神官たちとすれ違った。「外に出てください」という声が飛ぶ。誰かがすでに避難誘導を始めていた。


 礼拝堂に向かった。


 途中、中層の起点の真上を通った。


 床の下から、術式の圧力が上がってきた。


 足元を感知した。


 起点の構造を確認した。光属性と闇属性と、さらに別の属性が組み合わされていた。光と闇を組み合わせた術式は珍しかった。どちらか一方の干渉では、もう一方が術式を維持し続ける構造だった。


 干渉域を展開し、床に向け、術式の起点に触れる。


 内側に入り込もうとした。


 しかし、入れなかった。


 光属性の層が、闇属性の干渉を弾いた。光の層を突破しようとすれば、闇の層が補完する。二属性が互いを守り合っていた。一属性の干渉では崩せない構造だった。


「解除できるか」


 後ろからエドヴァルトの声がした。追いついてきた。


 「この術式は」とわたしは言った。「光と闇が組み合わされている。どちらか一方の干渉では崩せない。光で触れれば闇が守る。闇で触れれば光が守る」

「共鳴を使えばどうだ」

「リアンが必要になる。でも、共鳴は設置済みの術式を一時止めることはできても、なかったことにはできない。共鳴を発動している間、わたしは術式の解除ができない。そして闇魔法の部分の術式の解除ができる人間は、おそらくわたししかいない」


「つまり、共鳴では意味がないということか」

「ない」


 エドヴァルトが少し黙った。「では」


「擬似ブラックホールを使う」


 静かになった。


 廊下の奥で、誰かが走っている音がする。避難が続いていた。


「それは」とエドヴァルトが言った。「そんなことが可能なのか?」

「理論上はできる」わたしは返した。「擬似ブラックホールを使って術式を物理的、魔術的に飲み込む」

「コイン一枚サイズのものを、どこまで拡大できる」

「わからない」と正直に言った。「でも原理上は、規模の上限はわたしの魔力の上限に一致する」

「原理上は、というのは実践していないということだ」

「そうね。でも今夜やる」

「勝算は」

「やるしかないから」


 エドヴァルトが少し間を置いた。わたしを見ていた。判断している顔だった。


「……わかった」とエドヴァルトが言った。「シリル、レヴ、神殿内部の人間を全員外に出せ。ルネが展開する前に、誰も残っていない状態を作れ」


 後ろで「はい」という声がした。二人が動いた。


「わたしは外の状況を管理する」エドヴァルトが言った。「余計な介入が来ないようにする」

「ありがとう」

「礼はいい。さっさと行け」


 走り出した。



 礼拝堂の扉には、封印術式が刻まれていた。それを手早く解除する。


 リアンがいた。


 部屋の中央に立っていた。扉の方を向いていた——待っていた。


「お姉様」

「無事ね」

「はい。でも外に出られなくて。廊下に出ようとしたら、閉じ込められてて」

「わかっている。今、解除した。あなたは外に」

「一緒に——」

「外に出なさい」とわたしは言った。


 リアンが止まった。わたしの顔を見た。何かを読もうとしている顔だった。


「お姉様は?」

「後から出る」

「本当に?」

「本当よ」

「……後から、というのはどのくらい後ですか」

「術式が消えたら、すぐ出る」

「術式を解除するのはお姉様一人ですか」

「そうね」


 リアンがまた間を置いた。「どういう方法で」


「擬似ブラックホールよ」


 リアンが黙った。


 しばらく黙っていた。


「……危ない方法ですか」とリアンが聞いた。

「わからない。やったことがないから」

「正直に言わなくていいです」

「いつも正直に言っている」

「……」リアンが少し息を吐いた。「わかりました」

動き始めた。でも扉の前で止まった。振り返った。

「絶対に出てきてください」

「出る」

「約束です」

「約束よ」

「お姉様は約束を守る人だから」リアンが言った。「信じています」

扉が閉まった。

足音が廊下を遠ざかっていった。

一人になった。



 神殿の中央に立った。


 礼拝堂は広かった。天井が高かった。正面に星環神を祀る祭壇があった。祭壇の上に、星の形を模した光が灯されていた。祭りのための飾りだった。


 今夜は祭りだった。


 街ではまだ祭りが続いているかもしれなかった。


 感知を全方位に展開した。


 六点の起点を確認した。全部、まだ連動していた。


 起動の気配を探した。


 まだだった。でも、時間の問題だった。術式が設置されてから時間が経つほど、魔力の圧力が増していた。器に水が溜まり続けるような状態だった。いつか溢れる。


 右手を上げた。


 闇魔力を収束させ始めた。


 コイン一枚のサイズから始まった。デートでリアンに見せたときの感覚だった。手のひらの中で、空間が小さく歪んでいる感覚。


 今日は止めなかった。


 広げる。


 コイン一枚から、握り拳ひとつ分。


 握り拳から、頭ひとつ分。


 反動の第一段階が来た。


 感知が鋭くなった。


 六点の起点が、より鮮明に見えた。糸の一本一本が見えた。どの糸がどの起点と繋がっているか、全部の構造が見えた。


 続けた。


 頭ひとつ分から、人ひとり分。


 ここで、痛みが来た。


 いつもの反動ではなかった。別の痛みだった。擬似ブラックホールの規模を、自分の体内の魔力量が追いついていない感覚だった。生成しているブラックホールに、自分の魔力が引き込まれていく感覚があった。


 術者が消耗するのではなく、術者の魔力ごと、そして、術者自身までも吸い込まれる可能性があった。


 止めるべきかどうかを、一瞬考えた。


 でも六点の起点が見えていた。糸が見えていた。このまま押し込めば、六点全てを飲み込める。


 続けた。


 反動の第二段階が来た。


 思考が平坦になり始めた。感情が薄れ始めた。


 でも、リアンの声が残っていた。


「絶対に出てきてください」という声が。

「お姉様は約束を守る人だから」という声が。


 その声だけを手がかりに続けた。


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