祝祭の裏編
第40話 添い寝
夜の神殿は、静かだった。
祈りの時間が終わって、関係者が帰路につく時間帯だった。石畳の参道に、馬車の車輪が転がる音が続いていた。
その中の一台が、参道を外れた路地に差し掛かったとき——止まった。
止まったのではなく、止められた。
複数の人影が、路地の両側から現れた。白い装束だった。
長老が一人、馬車に乗っていた。
「何者だ!」長老は叫んだ。それが、最後の言葉だったという。
時間にして、三分もかからなかったと、後から聞いた。
エドヴァルトが言った。「王国が正式に、凡愚の祈り教会を国賊に認定した」
図書館の地下。いつもの席だった。でも今日は空気が違った。
「長老が死んだことで、王国が重い腰を上げた、ということね」
「そうだ。これまでは思想活動の範囲として見ていたが、殺人に踏み切った時点で話が変わった」エドヴァルトが文献を閉じた。「王国魔法軍が動く。神殿も警戒を強化する」
「リアンへの影響は」
「聖女候補への警護が厚くなる。でも——標的になる可能性も、同時に上がる」
わかっていた。
紅茶を一口飲んだ。温度を確かめるように、ゆっくりと。
テロリスト認定されたということは、組織が追い詰められるということだった。追い詰められた組織は、手段を選ばなくなる。警戒しなくてはならなかった。
「ケルベロスのことも」
「調べている」エドヴァルトが言った。「実習区域に自然発生する魔獣ではない。何者かが誘導した可能性が高い」
「教会かもしれない」
「可能性はある」
可能性、では済まないかもしれないとわたしは思っていた。リアンは聖女候補だ。合同実習で学院の外に出る機会は、これからも増える。
次に来るものが、ケルベロス一頭では済まないかもしれなかった。
リアンがまだ学院に戻っていない。神殿の用事があって、遅くなると言っていた。
ポケットの中で、恋人石を握った。冷たかった。
呼び出しを受けたのは、その日の夕方だった。
差出人は学院長だった。
学院長室は、学院の北棟の最上階にあった。窓が大きくて、学院の敷地全体が見渡せた。長年使い込まれた机と、背丈の高い本棚が並んでいた。
学院長は、齢六十を超えているであろう女性だった。光属性の高名な術者だったらしい。険しい目にその面影を残している。
「座りなさい」
座った。
「単刀直入に言う。あなたにリアン・ド・クロワールの護衛を依頼したい」
「護衛、というのは」
「正式な任命よ。学院として、神殿と連携した上での決定。あなたが最も適任だという結論になった」
「理由を聞いてもいいですか」
「闇属性の感知能力と、実戦における対応力。それから——リアンが、あなたを信頼している」学院長が言った。「護衛は技術だけでは務まらない。対象が護衛を信頼していることが大事。その点において、あなた以上の適任者はいないと、我々は判断した」
「……わかりました」
「できるだけ2人で行動をともにするように。食事、入浴、就寝——できる限り行動を共にしなさい。部屋も、二人用のものを用意した」
「二人用」
「ダブルベッドの部屋よ。文句がある?」
「ベッドを2つ用意してもらうわけには?」とわたしは言った。
「護衛なんだから、護衛対象と同衾するのが合理的だと思うけど」
わかるようで、わからない理論だった。「わかりました」わかってないけど、そう答えた。
「そう」学院長が少し笑った。「ならよかった。リアンには今夜話す。あなたから先に伝えてもいい」
「わたしから伝えます」
「そうしなさい」
リアンが帰ってきたのは、夕食の時間を少し過ぎたころだった。
新しい部屋に荷物を運んでいるところに、リアンが来た。扉を開けると、少し目を丸くした。
「ここが、お部屋ですか」
「今日から護衛任命を受けた。できるだけ行動を一緒にするように言われた」
「護衛」リアンが部屋の中を見た。ベッドが一つ、大きかった。「一緒に寝るということですか」
「そうなる」
リアンが少し間を置いた。「……わかりました」
「嫌なら——」
「嫌じゃないです」リアンが即座に言った。「全然」
「そう」
「全然、です」
「わかった」
リアンが荷物を置き始めた。手元が少しだけ、いつもより速かった。
夜、風呂に入った。
二人用の部屋には、それなりの広さの浴室がついていた。護衛任命を受けた以上、一人で入らせるわけにはいかないと判断した。
湯の温度は適切だった。
「怖い?」とわたしは聞いた。
「何がですか」
「今の状況。教会のことも含めて」
リアンが少し考えた。「怖くないわけではないです」とリアンが言った。「でも」
「でも」
「お姉様がいるから、怖くありません」
答えるのが早すぎた。考えてからではなく、思っていたことがそのまま出た、という速さだった。
「そういうものなの」
「そういうものです」
しばらく、他愛のない話をした。
合同実習の課題の話。ミエルがジュースを買いすぎていること。レヴが最近、わたしへの呼称を変えるかどうか悩んでいること。
それなりに続いた。
でも途中から、リアンの様子が少しおかしかった。
顔が赤かった。湯の温度のせいかもしれなかった。でも話の途中から赤くなっていた気がした。
視線が泳いでいた。こちらを見て、逸らして、また見て。
「どうかした?」
「いえ! なんでもありません」
答えが少し速かった。
「顔が赤い」
「湯が熱いんだと思います」
「さっきまで普通だった」
「……わたしは先に失礼します」
立ち上がった。振り返らなかった。扉が閉まった。
一人になった浴室で、少し考えた。
何でもない、ではないのはわかっていた。でも何があったのかは、考えないことにした。
部屋に戻ると、リアンがベッドの端に座っていた。
髪を乾かし終えていた。膝の上に手を置いて、何かを考えていた。
わたしが入ってくると顔を上げた。
「お姉様」
「なに」
「手を繋いでほしいです」
少し間を置いた。
「いいわよ」
ベッドに入った。リアンの隣に横になる。手を差し出して、リアンがそれを握った。
温かかった。
干渉実験で何度も触れた手だった。廃工場の廊下で、支えながら歩いた手だった。月見石の前で、先に重ねてきた手だった。
いつ触れても、同じ温かさがあった。
「眠れそう?」
「はい」リアンが言った。「お姉様の手を繋いでいると、眠れます」
「そう」
「お姉様は?」
「眠れると思う」
リアンが少し笑った気配がした。
手の温もりを確かめながら、眠りについた。
しかし――
鈍い衝撃で、目が覚めた。
何かが当たった。腹部のあたりに。
目が開いた。天井だと思ったそれは、固く冷たい床だった。
ベッドの下から、天井を見ていた。
リアンがいなかった。否、ベッドの上にはいる。布団の中で、完全に無防備な姿勢で眠っていて、足がこちら側に伸びていた。
蹴飛ばされた。
転生前の記憶を辿った。
ゲームの設定の中に、確かにあった。リアン・ド・クロワールの隠し設定——寝相が壊滅的に悪い。
読んだことがあったが、失念していた。
護衛任命を受けた初日の夜に、守る相手に蹴落とされた。
床は、冷たかった。
天井を見たまま、少し間を置く。
リアンがすやすやと寝息を立てていた。幸せそうな顔をしていた。全く知らない顔をしていた。
「……」
床で寝るか。毛布を一枚引っ張った。
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