第23話 決着

 地下を通り過ぎた先に、もう一つ扉があった。鉄製で重いが、鍵はかかっていない。開けると、古い机と椅子が並んだ広い部屋——かつての事務室らしい。中年の男が一人、椅子に座ってこちらを見ていた。焦りはなく、想定していた、という顔だ。


「来たか。噂通り、肝が座っている」

「あなたが首謀者?」

「そうだ」立ち上がる。「私はアレン・イグナイト。会いたかったぞ、ルネ・ド・クロワール嬢」


 イグナイトという家名が、頭の中で反響する。


「……マレット」

「知っているだろう。リアン嬢の友人のマレット。あれは私の娘だよ」薄く笑う。「娘がお世話になった。情報もよく集めてくれた。リアン嬢の行動スケジュール、魔力干渉実験の内容、あなたとリアン嬢の関係性。毎月報告を受けていた。おかげで今夜の計画が立てられた」


 リアンの友人だったマレットが、内通者だった。素直には受け止められず、手に汗が滲む。


「マレットは知っていたのかしら。今夜のことを」

「さあ。情報を集めるよう言っただけだ。今夜のことまでは話していない。知らなかったかもしれないな」

「最低ね」

「最低で結構。ただの事実だ」机の端に手をかける。「それで、何のためにリアンを誘拐したか——聖女候補と闇属性の術者が組めば、どんな魔法も無力化できる。それを手に入れたかった。今夜は失敗したが、次の機会を作ればいい」


 次の機会。その言葉に、腹の底が冷たく固くなった。


「作らせるわけないでしょう」


 右手を上げ、干渉域を展開する。アレンが、初めて面白そうな目をした。


「ほう。魔法の腕なら王国貴族で一、二を争う、この私とやり合うつもりか」

「殺しはしない。でも次の機会を作れない状態にする」


 アレンの右手が動き、光魔力が扇状に拡散してくる。範囲が広い。干渉域を前面へ集中させ、術式の起点に入り込んで崩すと、光が霧散した。


「噂通りの魔力制御だ」感心したように言う。「では、これはどうかな」


 人差し指がこちらを向く。感知を最大にすると——魔力の練り上げがない。術式構築の工程がほとんど省かれている。速い。


「——っ」


 干渉が間に合わず跳ぶが、光の弾丸が肩をかすめる。燃えるような熱さ、裂けた皮膚、滲む血。術式構築を限界まで省いた即時発動。理論上は可能でも、実践できる人間はほとんどいない。魔力の精密な制御と術式の完全な暗記が同時に要る。これが王国随一の術師の真髄だった。


「かすったか。惜しい。でも次は当てる」


黒霧ヘイズ


 霧で視界を奪い、感知で位置を取って一人ずつ処理する——いつもの手順。でもアレンは焦らない。


「闇雲に撃てばいい」


 黒霧の中を、方向のない光の弾丸が全方位へ無秩序に走り始める。一発が左腕を抉った。肉の裂ける痛みに膝をつく。霧を維持しながら干渉域を展開しようとしても、今の消耗では両方を高密度で保てない。黒霧が薄れ、その向こうでアレンが一点集中型を組んでいる。今度は即時発動ではなく、時間をかけ、威力に全力を注いでいる。


 間に合わない。直感した。もうだめかもしれない——


 そう思った瞬間、背後から声がした。知っている声。


 光の壁が展開される。リアンの光魔力。干渉実験で何度も触れた、あの温かさ。アレンの一点集中の光が壁に衝突し、拮抗し、相殺された。


「リアン」


 振り向くと、肩で息をして、それでも落ち着いた目で立っている。


「お姉様が心配で、来てしまいました」


 謝らず、来るなと言われたとも言わず、ただ笑う。教師の到着も待たず単騎で突入して負けかけた手前、わたしも何も言えない。代わりに、笑顔が溢れた。


「やろう。共鳴」

「はい」


 迷いのない頷き。最後の力を集めて干渉域を展開し、リアンの方へ走る。


「やらせるかッ——」


 アレンが、わたしの背へ光の弾丸を放つ。でも一歩、こちらが早い。


 リアンの唇に、唇を重ねた。


 光魔力が闇魔力に触れ、共鳴する。光でも闇でもない、どちらでもある領域が展開され、周囲の空気が、魔力の流れが変わる。


 その瞬間——世界から魔法が消えた。


 アレンの術式が霧散する。展開しかけた光魔力が瓦解し、共鳴域に触れた全ての魔法が消滅した。


「な——」


 手を見たアレンの指先から、光魔力がかけらも出てこない。生身だった。銃を抜き、撃つ。一発、脚を狙う。崩れたアレンが椅子にぶつかり、床に落ちた。


 部屋が静かになる。共鳴を解くと、リアンの光魔力がゆっくり引いていき、温かさの名残が手に残った。扉の外で複数の足音。


「君たち、大丈夫か」

「ええ、わたしもリアンも無事よ」


 入ってきた教師たちが状況を確認し、男を取り押さえる。部屋を出ると、外でエドヴァルトたちが待っていた。


「終わった。首謀者は中。教師方が対処している」


 リアンが頷き、それからわたしを見る。


「マレットのことを聞きましたか」

「聞いた。情報を流していた。今夜の件はマレット自身は知らなかったかもしれない、と首謀者は言っていた。でも情報提供をしていたのは事実よ」


 目を伏せるリアン。


「ごめんなさい。先に気づけなかった」

「お姉様が謝ることじゃない」顔を上げた目が赤い。泣いていないが、泣く手前だった。「わたしが気づかなかったんだから」

「あなたが気づけなかったのは、マレットが上手く隠していたから。あなたのせいではない」

「でも——」

「リアン。今夜は休みなさい。話は明日でいい」


 頷くリアンを、シリルが送っていく。隣に来たエドヴァルトに、マレットの家はぐるみのスパイで、娘に情報収集をさせていたこと、今夜のことまで娘が知っていたかはわからないことを話す。


「マレット本人と話す必要がある」

「そうね」

「それはあとでいい」空を見る。「今夜は全員、無事だった」

「そうね」


 無事だった。それは本当だ。でも、マレットがリアンの友人だったという事実が残り、リアンがマレットを信頼していたという事実が残る。今夜リアンが泣く手前だったのは、誘拐の恐怖だけではなかった。


 空に月が出ていた。上着のポケットの中の恋人石に触れる。冷たかった。

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