手放したくなかったもの
第21話 失踪
その日、リアンは図書館に来なかった。いつになっても来なかった。
最初は気にしなかった。神殿への出頭、授業の長引き、事務棟の手続き——来られない理由はいくつもある。でも今日は出頭の予定がなく、授業も午前で終わっているはずだった。そして日が暮れても、来ない。
文献のページを繰る手が止まり、気づけば同じ行を三度読んでいた。向かいの席が空いている。それだけのことなのに、今日はその空白が重くのしかかる。立ち上がり、帰りにリアンの部屋へ寄ろうと決めた。
一年棟への廊下を歩きながら、嫌な予感を言語化しないよう気を紛らわせる。言葉にしたら何かが確定してしまう気がした。ただの外出かもしれない、友人と遅くまで話しているだけかもしれない。そうであってほしい。それでも足は速くなっていた。
夕方の光に橙く染まった廊下で、部屋の前に立ってノックする。返事がない。もう一度、少し強く。返事がない。扉を開けると、鍵はかかっていなかった。
部屋は整頓され、荷物はそのまま。机に開きかけの文献、窓際に重ねた植物図鑑。でもリアンがいない。空気がよどんでいない——人がいなくなって時間は経っていない。置き手紙もない。急いで出ていった、ということか。あるいは——嫌な感覚があった。感知を試みると、リアンの魔力は残り香程度に残っている。
廊下で同学年の生徒に声をかける。
「リアン・ド・クロワールを今日見かけなかった?」
「お昼前まで食堂にいましたよ。マレットと一緒に。その後は……一緒に出ていくのを見ましたけど、どこへかは」
マレット。感じのいい子だと思っていた友人の名が、今は悪い意味で響く。
エドヴァルトを研究室に探し、状況を話した。リアンの部屋が空で、置き手紙がなく、午前の授業を終えてマレットと食堂を出た後の行方がわからない。
「大変なことかもしれない。リアンは聖女候補だ。身柄を敵国に取られでもしたら一大事になる」立ち上がる。「先生方に報告する」
「待って。先に自分で探す」
「なぜ」
「時間をかけたくない」
手順を踏めば正しく動けるが、時間がかかる。リアンの魔力は今どこかにある。弱くなる前に見つけたい。
「あなたに頼む。先生方への報告と、外壁の確認。わたしは感知で探す」
「感知をそこまで広げられるか」
「やったことはない。でもやる」
迷いを飲み込んだ顔で、エドヴァルトが頷く。「三十分後に西門で合流する」
中庭へ出て、月見石の傍に立つ。ここが一番、魔力の流れを感じやすい。今夜は月が出ておらず、曇っていた。目を閉じ、闇魔法の感知を広げる。通常は建物一棟ぶんの範囲を、学院の敷地全体へ。痛みはないが情報量が増え、生徒や教師の気配、魔力の流れ、結界の境界が同時に押し寄せてくる。額に手を当て、整理しようとしながら、やめない。
リアンを探す。干渉実験で何度も触れた、あの光魔力の温かさを手がかりに、闇の感知の中を探っていく。学院の敷地内にはない。範囲を外壁の外まで広げると、頭の奥が軋む。これ以上広げたことのない範囲だ。普通なら深層意識に影響が出始める。でも今夜は止まれない。
情報に混じって幼少期の断片が流れる。雨の日、読み聞かせをねだったリアン。転んで擦り傷を作ったリアン。同じ月を見ていたら繋がってる気がする、と話したリアン。
あった。弱く、遠く、それでも確かに。普段の半分以下の強度。何かで抑えられているか、消耗しているか。どちらにせよ急ぐしかない。方角は北西。学院から歩いて四十分ほどの、鉱山跡に建つ廃工場——地図で読んで知っていた。十年以上放棄された施設だ。
感知を解くと頭の奥が重く、視界が少しぼやけた。通常より広く展開した反動だ。問題ない、動ける。足元で月見石が白く光っていた。走った。
西門でエドヴァルトと合流すると、シリルもいた。状況を話したら来ると言ったという。シリルが頷く。それだけで十分だった。
「居場所は」
「北西、学院から四十分。廃工場だと思う」
「学院の結界外か」地図を広げる。「旧鉱山の跡地だな。行くのか、三人で」
「先生方を待っていたら時間がかかる。動ける人間で先に動く」
顔を見合わせた二人が、わかった、と言う。「ただし、無茶はするな」「わかっている」
走り出す。月のない夜が続く。でも闇属性には関係ない。暗ければ暗いほど感知は冴える。弱かったあの光が、消えていない。まだある。それだけを確かめながら、光を求めて走り続けた。
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