第13話 襲撃

 実技演習は週に二度、学院の中央広場で行われる。


 その日は風が強かった。


 上級生の演習は午後の枠だった。わたしは魔法陣の展開精度を測る課題に取り組んでいた。干渉域を一定の形に保ちながら移動させる、という地味な作業だ。派手さはないが、闇属性の制御力を測るには適していた。


 一年生の演習区画が視界の端にあった。


 意識的に見ていたわけではない。ただ、リアンがそこにいる、ということをいつも把握していた。把握していることが習慣になっていた。


 作業をしながら、昨日の実験のことを、思い出していた。光と闇が混ざり合う感触。熱い吐息、リアンの唇の感触、胸の高鳴り——


 私は自分の唇をそっと撫でた。実験とはいえ、ファーストキスだった。リアンはどうだったのだろうか。誰か、別の人としたことがあるのだろうか。嫌だな、と思ってしまった。微熱のように、余計な思考が頭にまとわりついて、離れない。


 

 そんなことを考えてる時だった。

 


 突如、風が変わった。


 変わり方が、気象的なものではなかった。


 魔力の気配だ、とすぐわかった。闇属性は気配に敏感だ。空気の中に混じる異質な魔力の質——学院の生徒のものではない。外から来ている。

顔を上げた。


 学院の外壁の方角から、何かが来ていた。


「——っ」


 声が上がった。一年生の区画だった。


 見た。


 光の塊が、一年生の演習区画の中央に落ちて、爆ぜた。正確には落ちたのではなく、打ち込まれた、という方が正しかった。外壁の外から放たれた高密度の魔力が、結界をすり抜けて着弾した。


 一年生たちが散った。


 リアンが、その中心にいた。


 動いていた。気づいたときには体が勝手に走っていた。三年生の区画から一年生の区画へ、走りながら干渉域を展開した。魔法陣の課題など、どこかへ消えてしまっていた。


 二発目が来た。


 今度は軌道が読めた。リアンに向かっていた。


 右手を上げた。


 干渉域を最大まで広げる。光の塊がわたしの闇魔力の壁に当たった。光が闇に触れた瞬間、吸収された。消えた。衝撃も、反発もほとんどなく、霧のように消えた。


 音もなく、静かだった。


 リアンがわたしを見ていた。


「お姉様」

「下がっていなさい」


 振り向かずに言った。外壁の方角から目を離さなかった。気配がまだあった。術者は一人ではないかもしれなかった。


 三発目は来なかった。


 代わりに、外壁の向こうで複数の気配が動いた。学院の警護が動いたのだろう。教師たちが外に向かっているのが足音でわかった。

気配が薄れていった。


 遠くなって、消える。


 安堵して息を吐く。干渉域を収束させた。


「怪我は」


 リアンに聞いた。


「ないです」リアンの声は落ち着いていた。まるで何事もなかったかのように、落ち着きすぎていた。「お姉様は」

「ない」


 振り向いた。


 リアンが立っていた。演習着の肩に土埃がついていた。一発目の着弾の余波を受けたのだろう。それ以外は無事だった。


 周囲の一年生たちがこちらを見ていた。


 遠巻きに、という感じではなかった。驚いている目だった。何が起きたかを理解しようとしている目だった。


「闇魔法で防いだ」誰かが言った。「光の魔力を、闇魔法で」

「吸収した、のか」

「光の攻撃魔法が、闇魔法に当たって消えた」


 声がいくつか重なった。


 わたしは何も言わなかった。説明する必要を感じなかった。


 エドヴァルトが駆けてきた。二年生の区画から走ってきたのだろう、息が上がっていた。「無事か」


「全員」とわたしは言った。「一発目は着弾したが、負傷者はいないと思うわ」


 エドヴァルトが広場を見回した。それからわたしを見た。「見ていたのか、最初から」


「気配を感じたの」

「あの速度で対応できたのは、闇属性の感知能力があったからだな」エドヴァルトが言った。「光属性では感知が遅れる。わたしも間に合わなかった」


 何か言おうとして、やめた。


 リアンがこちらに来た。


 人がいる前だから、という意識があったのかもしれない。ゆっくりした足取りで来て、わたしの隣に立った。


「お姉様」

「何かしら」

「さっきのこと、後で聞いてもいいですか」

後で。図書館で、ということだろう。

「いいわよ」


 リアンが頷いた。


 それだけだった。それだけだったが、リアンがわたしの隣に来て立った、ということが周囲の目に届いていた。噂の闇属性の使い手と、聖女候補の一年生が姉妹だと知らない者には、奇妙な取り合わせに見えただろう。

 

 気にしなかった。


 教師が広場に戻ってきて、状況確認が始まった。演習は中断になった。


 生徒たちが散りながら、声が聞こえた。


「闇魔法で光属性の攻撃魔法を防いだのは初めて見た」

「理論上は可能だが、あの精度で——」

「干渉域の展開速度が尋常じゃなかった。あの先輩、すごい!」


 聞こえていた。


 でも聞きながら考えていたのは別のことだった。


 二発目が来たとき、軌道がリアンに向いていた。それがわかった瞬間、計算をしなかった。どう防ぐか考えなかった。ただ手が上がっていた。


 いつから、こういう反射があったのか。


 庭で初めて闇魔法を練習した夜を思い出した。あのとき隣にリアンはいなかった。でも今は、リアンがいる方角をいつも把握している。

それがいつの間に習慣になっていた。それが理由なのか、正確にはわからなかった。



 夕方、図書館に下りた。


 リアンがすでに来ていた。今日は早かった。


 向かいに座ると、リアンがすぐに言った。

「怖くなかったです」

「何が」

「さっきの、お姉様の魔法。闇魔法で光の攻撃を包んで消した、あの感じ」

「遠くから見ていた?」

「すぐそこで見ていました」リアンは真っ直ぐわたしを見ていた。「きれいだと思いました」


 きれい。


 あの夜に聞いた言葉だった。夜の庭で指先に闇の霧を滲ませていたとき、柱の影からリアンが言った言葉だった。


 あのときと同じ言葉を、今日また言われた。

「……そう」

「怖いと思う人もいると思います。でも、わたしは」リアンが少し間を置いた。「ずっと怖くなかった。最初から、ずっと」


 前に言っていた言葉の繰り返しだった。でも今日は意味が少し違う気がした。守られた、ということと、きれいだったということが、リアンの中で繋がっている。


「お姉様の魔法が」リアンが続けた。「光の攻撃を受け止めたとき、消したんじゃなくて、包んだように見えた」

「消したわけではないから、正確にはそうね」

「光を包んで、静めた、みたいな」

静める。その言葉を頭の中で繰り返した。

「……そういう感覚で使っていた、かもしれない」


 自分で気づいていなかったことだった。光を打ち消そうとしていたのではなかった。リアンの方へ向かっていくものを、止めたかっただけだった。


 リアンが少し微笑んだ。

「ありがとうございました」

「当然のことをしただけよ」

「当然、ですか」

「あなたがそこにいたから」


 言ってから、少し言いすぎたかもしれないと思った。でも訂正しなかった。


 リアンがわたしを見ていた。


 さっきとは少し違う目だった。何かを確かめた、というよりは、何かを受け取った目だった。


「覚えておきます」

「何を」

「お姉様が私を守ってくれたこと。あなたがそこにいたから、って言ってくれたこと」


 黙った。


 リアンが本を開いた。


 わたしも文献を開いた。


 今日のことを書き留めるべきだった。干渉域で光属性の攻撃魔法を吸収した、という事例は研究上の記録になる。エドヴァルトも同じことを考えているだろう。

でも今夜は書けなかった。


「あなたがそこにいたから」と言った。


 当然のことのように言った。実際当然だった。リアンを守るのはわたしの使命だと、そう思っていた。


 文献の余白に、術式の走り書きをした。


 インクが紙に滲む。パラパラと、ページを捲る音が聞こえる。


 外はすっかり瑠璃色に染まっていた。

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