第12話 魔力干渉実験

 エドヴァルトが資料を広げながら言う。


「魔力干渉の効率を最大化するには、術者同士の接触点が多いほどいい。手と手では表面積が不十分。理論上、最も粘膜に近い部位が——」

「わかった」と説明を遮る。


 口を閉じた彼が少し間を置いて、「了解した」と言う。リアンがこちらを見ていた。聞こえていた、理解した、という顔をしながら、それ以上の感情は表に出さない。だから読めない。


「日没まで一時間ある」とエドヴァルト。「記録の準備をしてくる。三十分後に旧棟裏手で」


 足音が遠くなり、地下に二人が残る。


 旧棟の裏手は夕光の中にあった。木が多く、石畳に古い魔法陣の痕跡が残る、滅多に人の来ない場所。秘密の実験にはうってつけだ。記録の準備を終えたエドヴァルトが少し離れて立つ。「声をかける必要はない。終わったら教えてくれ」とだけ言って文献を開く。


 リアンと向かい合う。夕光がその横顔を橙に染め、髪が風に揺れる。私より頭一つ低い。


「手順を確認する。わたしが先に干渉魔法を展開する。その境界に、リアンが光の魔力を当てる。接触点を増やすために——」


 言葉が一瞬止まる。沈黙が流れる。


「近づく必要がある」

「わかっています」


 動揺のない、研究上の手順として受け取る顔。それがかえって、私の側の問題を際立たせる。


「嫌なら」

「嫌じゃないです」

「そう」

「お姉様こそ、嫌ですか」


 答えなかった。嫌ではない。それを口にすることが、何かの一線を越えてしまう気がしていた。


「……始めるわよ」


 魔力を内へ引き、暗い霧を手のひらに集めて、干渉域を体の周囲へ薄く展開する。前回より密度を上げると、自分の魔力の気配が皮膚の外側へ張り付いて滑るような感覚になる。


 リアンが一歩近づく。境界に光魔力が触れて、温かい。恋人と抱き合うような心地よさ。もう一歩、光魔力が干渉域の中へ入って、闇と光が混ざりながら循環し始める。体の外側で起きているのに、内側が反応している。


 もう一歩。リアンの吐息が届く距離。見上げてくる目は落ち着いていて、その奥で落ち着かない何かが揺れている。


「お姉様」

「何かしら」

「怖くないです」


 夜の庭で初めて魔法を見たときと同じ言葉。


「わかっている」

「ずっと怖くなかったです。最初から」

「知っているわ」

「それでも、一回だけ言いたかったんです」


 目を閉じる。何かを決めるための一拍ではない。決めたのはもっと前だ。幼少期の庭か、入学式の渡り廊下か、図書館で初めて向かいに座った夜か。ただその決定を、今夜確認している。


 私はそっと、唇をリアンの唇へ押し付けた。


 柔らかい。初めてのキスは思ったより心地よく、自分で驚く。次に淡い、花に近い口紅の匂い。目は開けない。開けたら終わりそうだった。リアンもまだ離れず、触れているだけ。深くはない。それでも確かにそこにある。


 干渉域の内側で光と闇が混ざり、皮膚の外側の話だったものが境界を失っている。寒くも暗くもなく、ただ在るという実感だけがそこにある。同時に、言葉を交わすだけでは決して伝わらないものが、伝わり合った気がした。


 どちらからともなく離れる。夕光の中、リアンも私を見ていた。何も言わない。言葉が要らない、というより、言葉にするのが野暮な気がする。リアンの顔は耳まで紅潮していた。


 干渉を解くと光魔力がゆっくり引いていき、消えてから温かさが名残に残る。前回と同じ。違うのは、それが消えなくていいと思っていることだった。


「記録は取れたか」


 遠くからエドヴァルトの声。こちらを見ず、文献を見たまま聞いている。


「取れた」

「よかった」


 帰り道、三人で並んで歩く。エドヴァルトが魔力共鳴の理論を話し、相槌を打ちながら隣のリアンを横目で見る。前を向いて歩く背に、夕暮れが少し残り、旧棟の影が長く伸びていた。


「お姉様」前を向いたまま小さく言う。「また、やってもいいですか」


 研究として、という建前。私もそれを建前として受け取る。


「……構わない」


 少し笑った気配。顔は見えない。夜が来ようとして、石畳の魔法陣の痕跡が光を失って見えなくなり、手のひらの中の余熱はまだ冷め切らなかった。

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