第11話 触れてみたい

 その上級生の名前はシリル・ベルナといった。


 リアンから聞いたのは三日後だった。図書館に来るなりそう言ったから、わたしは文献から顔を上げた。


「二年生。光属性で、去年の審査で首席だったそうです」

「あなたに教えたの?本人が」

「聞いたら教えてくれました」リアンは椅子を引いて座った。「実力者ですが、威圧感がない。穏やかな方です」

「そう」

「お姉様は知っていますか」

「顔は知っている。話したことはないわ」

 

 シリル・ベルナ。エルヴァルトと同じく、ゲームの攻略対象の一人だった。誠実で、人当たりがよく、相手の話をよく聞くタイプ。悪意のある人間ではない。


「また話しかけてきた?」

「今日、食堂で」リアンは鞄から本を出しながら言った。「魔法の勉強で困っていることがあれば相談に乗ると言ってくれました」

「それで?」

「断りました」


 顔を上げた。


 リアンがこちらを見ていた。「私にはお姉様がいるから、と思って」


 「……わたしでは力不足だと思うのだけれど」

「そんなことはないです」リアンは本を開いた。「困ったこと、ないので」


 それ以上の説明をしなかった。


 わたしも追及しなかった。追及できなかった、の方が正確かもしれない。リアンがシリルを断った理由を言語化したとき、その言葉がどこへ向かうか、薄々わかっていたから。


 文献を開いた。


 しばらく二人で黙って読んでいた。外は曇りだった。雨になるかもしれない、と朝から思っていた。


「お姉様」

「なに」

「実験の話、まだ保留ですか」


 手が止まった。


 干渉実験。先月リアンが自分から申し出て、わたしが保留にしたままにしていた件だった。


「エドヴァルトにはまだ話していない」

「話してみてください」リアンは本を見たまま言った。「わたし、やりたいと思っています。今も」

「理由は」

「研究に役立つかもしれないから」

「それだけ?」


 リアンが少し間を置いた。


「お姉様の魔法に触れてみたいと思っているから」


静かだった。

雨の気配が、地下まで降りてきていた。


「触れる、というのは魔力として、ということ」

「そうです」リアンがわたしを見た。「おかしいですか」

おかしくない、と思った。でもそう即座に答えられなかった。

 

 リアンがわたしの闇魔法に触れたいと言っている。夜の庭で初めて見たときから、ずっとそう思っていたのかもしれない。怖くない、きれいだと言ったあの夜から。


「エドヴァルトと話してみる」

「ありがとうございます。エルヴァルト様よりも、私の方がお姉様に相応しいと思います」


 そう言って、リアンが本に視線を戻した。


 わたしも文献を見た。集中できなかった。


 シリルを断った理由が「お姉様がいるから」で、実験をやりたい理由が「お姉様の魔法に触れてみたいから」だった。どちらもわたしを向いていた。

 

 そして、「お姉様に相応しい」。これは、実験相手として、という意味であると同時に、違う意味も含まれているようでならなかった。


 それがどういうことか、今夜は結論を出さないことにした。


 窓のない地下で、雨音のしない雨の夜が続いた。





「リアンと実験した方がいいと思う」


 意外にも、エドヴァルトはそう言った。


 図書館の、いつもの場所だった。リアンはいなかった。授業があったのか、または別の用事か。2人だけの図書館で、エドヴァルトは言った。


「どうして」

「君たちの間には、何か特別なものがある。それが実験結果にどう影響するか——興味深い」


 エドヴァルトが、見透かすような笑みを浮かべた。


 研究者として言っているのか、別の意味で言っているのか、この人の場合どちらかわからないことがある。


「特別なもの……それは研究上の話よね?」

「もちろん」エドヴァルトは頷いた。「それだけではないが」

「それだけではない?」

「ああ」

 エドヴァルトは言った。「話が脱線しそうだ。実験の話に戻ろう」

「ええ」


 要領を得なかったが、そういうものとして私は処理した。


「先日の実技審査の結果を見るかぎり、リアンは光属性の使い手として申し分ない。実験相手として不足はないだろう」


 審査のことを思い出した。広場を満たした光。一年生の審査であれだけの規模を展開できる。純度も高い。干渉実験の相手として、確かに申し分なかった。


「……そうね」

「ならば私は実験相手としてではなく、立会人として同席したい。構わないか」

「いいわよ」

 わたしはそう言って、窓の外に視線を戻した。

 外はもう夕方だった。空に橙と紫が溶け合っていた。


「一つ、確認していいか?」エドヴァルトが言った。

「何かしら?」

「君はリアンとの実験に乗り気でないように見える」

「そうは言ってないわ」

「言ってないが、そう見える」

 

 また、見透かすような視線でエドヴァルトが言った。「何か問題があるなら話して欲しい。別の相手がいいなら、私が手配しよう。ちょうど、レベルの高い光属性の使い手の女性が知り合いにいる」

「問題ないわ」


 思ったよりも強い口調になって、私は驚いた。

「問題はない」とわたしはもう一度言った。今度は落ち着いた声になっていた。「リアンと実験する。エドヴァルトには立会人として同席してもらう。それでいい」


「わかった」エドヴァルトが文献を閉じた。「日程はリアンの都合を聞いてから決めよう」


 窓の外の空は、すっかり暗くなっていた。私は、またリアンのことを、考えていた。



 

 

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