第9話 躊躇
エドヴァルトとの共同研究が始まって一か月。週に二度、図書館の地下で会う。光属性と闇属性の干渉魔法の構造比較が名目で、実際には属性魔法の歴史や術式構築の理論へと話が広がっていく。彼は知識が広く、私の独自理論を批判でも肯定でもなく検証しようとする。一緒に研究していて心地のいい相手だった。
リアンは変わらず来ていた。最初の一週間は椅子を心持ち遠ざけ、本の角度がいつもより立っていた。警戒なのか、私以外の人間がいる空間に慣れようとしているのか判然としない。何も言わずにいると、二週間目には椅子が元の位置へ戻っていた。
エドヴァルトが来ない日、リアンと二人で本を読んでいた。外は雨。地下まで雨音は届かないのに空気が湿って、暗紫色の照明がいつもより橙に近い。
「お姉様。光魔法と闇魔法って、本当に対になっているんですか」
文献から顔を上げると、本を膝に置いたリアンがこちらを見ている。
「エドヴァルトとの話、聞いていたから気になって」
「聞いていたの」
「聞こえてきました。意図したわけじゃないですけど」
それはそうだろう。
「対になっている、というのが正確かどうかわからない。構造が鏡像になっている、という方が近いかもしれない。光属性の干渉魔法は魔力を外へ広げ、闇属性は内へ収束させる。起点が同じで、方向が逆」
「逆、だけど同じ起点から出ているなら——」
「繋がっている、とも言える」
リアンが私を見る。
「理論上は。実際に光と闇が干渉し合ったとき何が起きるか、文献がほとんどない。だからエドヴァルトと調べている」
「実験はするんですか」
「いずれ、と話している。具体的には……身体的接触、互いの粘膜に近い部位を接触させて魔力を伝達することになるわ」
途端にリアンの表情が曇り、拗ねるようにそっぽを向く。
「それを、お姉様はなさるんですか。エドヴァルト様と」
「そうなるわね」
しばらく沈黙。服の裾を指で弄りながら、リアンが言う。
「わたしで試せますか」
「……何を」
「干渉実験。光と闇の。わたし、光魔法なら使えるから」
答えなかった。被験者として、というだけの単純な提案だ。でも私の中の何かが躊躇する。リアンに闇魔法を干渉させれば、魔力同士が混ざり、痛みはなくとも、相手の魔力の質を受け取ることになる。
「エドヴァルトと話してみる」
「断られましたか」
「とりあえず保留ってだけ」
「同じじゃないですか」少し笑う。
「……そうかもしれない」
認めると、リアンはもう少し笑った。こういう顔のとき、この子は年相応に見える。一年生なのに妙に落ち着いていることが多いから、笑うと少し安心する。
「お姉様は、エドヴァルト様のこと、今はどう思っていますか」
「また聞くの」
「何回でも聞きます」
一か月前と同じ問い。でも声が少し違う。前回は探るようだったのが、今回はもう少し落ち着いている。
「研究者として話せる相手だと思っている」
「それだけですか」
「それだけよ」
リアンは頷いて否定しない。それだけですか、と聞いた割に、その答えで満足したような顔をした。
「わかりました」
「なにが」
「なんとなく」
意味のわからない返事を追及しないでいると、リアンは本を開き、今度はちゃんと読み始める。ページを繰る音が戻ってくる。
私も文献へ戻り、干渉魔法の術式図を見ながらリアンの申し出を考えていた。表面だけ見れば断る理由はない。聖女候補との干渉実験は研究として価値がある。エドヴァルトも賛成するだろう。
でも、私の闇魔法がリアンの魔力に触れる。その感覚を想像したとき、躊躇いとは別の何かがあって、うまく言語化できない。触れたくない、ではない。むしろ逆に近い。それがよくない気がして、保留にした。
「お姉様。さっきの話、断られてもわたしは構いません」本を見たまま言う。「でも、断らないでほしいなとは思っています」
「……どちらなの」
「両方です。断られてもいいし、でも断らないでほしい」
少し黙る。
「わがままね」
「お姉様の前でだけ、わがままになれます」
それ以上は何も言えなかった。言えなかった理由を、しばらく考えていた。
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