魔法学院編

第7話 リアン入学

お姉様が魔法学院へ入って二年。入学式の朝、学院は霧の中にあった。私は今日からここの生徒になる。


 馬車の窓から見えた石造りの塔が白い霧へぼんやり溶けていて、額を近づけてその輪郭を目で追う。屋敷より大きい。この中で三年間を過ごすのか。


「リアン様、そろそろ到着します」


 マリの声に窓から離れる。馬車が止まって扉が開くと、霧のなかに制服姿の生徒たちが見えた。新入生だけではなく、上級生らしき何人かが遠巻きに新入生を眺めている。人の多さに少し圧倒されて、それから思い出した。


 お姉様がいる。この学院のどこかに、二年前から入学しているお姉様が。


 手紙のやりとりは続いていた。月に一度届く短い手紙には学院の話はほとんどなく、図書館に新しい文献が入った、中庭の月見石が満月の夜に光った、その程度のことしか書いていない。それでも私はその短さが好きだった。お姉様らしくて。


 ついに会えるのか。同じ学院にいても棟が違えば簡単には会えないのかもしれないけれど。


「リアン・ド・クロワールさんですか」


 声をかけてきたのは、胸に赤いリボンをつけた上級生だった。


「はい」

「新入生の案内係です。こちらへどうぞ」


 歩き始めてしばらくすると周囲がざわめいて、みんなが同じ方向を見ている。目で追うと、中庭に面した渡り廊下に一人の生徒が立っていた。制服の上に黒いケープをはおり、欄干へ片手をついて霧の中庭を見下ろしている。銀に近い白髪が朝の光のなかで静かに光っていて、足が止まりそうになる。


「あの方は……」

「三年生のルネ様」案内係が声を低くした。「闇属性の、変わった方よ。魔法が使えるのにいつも銃を持っていて不審だし、近づかない方がいいと思う」


 答えなかった。お姉様だ。顔が見えなくても後ろ姿でわかる。でも——また、知らない顔だと思った。


 急に優しくなったあのときも、知らない顔だと思った。今度はその逆だ。家で見ていたお姉様とも、夜の庭で魔法を練習していたお姉様とも違う。ここのお姉様は一人で、廊下に他の生徒もいるのに空気が違っている。何に対しても等距離で、どこにも属していない立ち方。孤独というより、孤高。一人でいることを選んだ人の静けさがそこにある。


「行きましょう」


 渡り廊下の下を通り過ぎるとき、見上げた。お姉様がこちらを見ている。一瞬だった。目が合って、それから視線は中庭へ戻り、表情は変わらない。気づいていたのかどうかもわからない。それでも確かに見た。


 前を向いて歩き続けながら、胸の中にうまく名前のつかない何かを抱えている。会いたかった、会えた、でもあの距離は何だろう。お姉様はここでも知らない顔をしていて、その知らない顔を、なぜかもっと見たいと思うのだ。


 入学式が終わって昼食の時間。広い食堂で同じ新入生に声をかけられ、一緒に席につく。


「ねえ、例の闇属性の三年生、今日は来ないのかしら」

「いつも遅いじゃない。食堂より図書館にいることの方が多いって」

「同じ学院にいると思うと少し怖いわよね、闇属性って」


 黙っていた。


「あら、ごめんなさい」一人が私を見た。「クロワール家の方だったわね。確かお姉様が——」

「はい」穏やかに言う。「姉です」


 沈黙。


「ご、ごめんなさい、悪く言うつもりじゃ」

「大丈夫です」私は笑った。「怖くないです、うちのお姉様は」


 怖くないと言い切れるのはなぜだろう。夜の庭で初めて闇魔法を見たとき、怖くなかった。周囲がルネを怖がるのを聞くたびに何かが引っかかる。あの魔法が怖くなかったのは子どもだったからか、それとも——


「リアン」


 顔を上げると、食堂の入り口にルネが立っている。銀色の髪が天井の明かりを弾いて、白い肌、少し翳のある表情。周囲の視線が集まっても気にする様子はなく、ただ私を見ている。


「少し、いい?」


 席を立つ。食堂を出て廊下の端に並ぶと、お姉様は私を見下ろして短く言った。


「困ったことがあれば、図書館に来なさい。夕方はだいたいいるから」

「……はい」

「以上よ」


 踵を返そうとする袖を、私は掴んだ。


「今日、上から見てました?」


 止まる。


「入学式のとき、渡り廊下から。見てましたよね、私のこと」


 返事がない。


「……見てましたよね」

「霧が出ていたから」ゆっくり言う。「見えたかどうか、わからなかった」

「見えてたと思います」


 また沈黙。廊下の向こうから食堂の話し声が届く。


「……来てよかった、と思った」


 それだけ言って、お姉様は歩いていく。袖から手を放してその背中を見送りながら、来てよかった、という一言の重さをしばらく考えていた。胸の中の名前のつかない感情が、少し形を持ち始めている。

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