第3話 綺麗
リアンが初めて私の魔法を見たのは、8歳の夏だった。
深夜に庭へ出たのは、練習のためだった。
屋敷の中では誰かに見られる可能性がある。侍女が廊下を通るかもしれない。両親が気づくかもしれない。闇属性の魔法を練習していると知られることの何が問題か、まだよくわかっていなかったが、知られない方がいいと思っていた。
聖女を目指して光属性を練習しているはずの娘が、真逆の属性を夜中に試していると知ったら、両親はどう思うか。
考えるより先に、知られない方がいいという結論が出ていた。
月が出ていた。中庭の中央に立って、右手を上げた。
魔力を引き出す。光の方向ではなく、内側へ。暗い霧が指先に滲んだ。前世の記憶にある闇魔法の基礎——光魔法の術式を逆から読んだだけの、手探りの理論。合っているかどうかわからなかった。でも魔力が枯れなかった。光魔法を練習するたびにあった、あの空虚な疲弊がなかった。
満ちてくるような感覚があった。
これが正しい方向だ、と思った。
霧を手のひらの上で丸めた。収束させる。広げる。また収束させる。地面に落として、石畳に沿わせてみた。月の光を避けるように、影の中を動いた。
面白い、と思った。
光魔法を練習していたときには一度も思わなかったことだ。上達しなかったから、というだけではない。あの練習は最初から、自分のためではなかった気がする。前世のルネが誰かに認められたくて続けていたものだ。
これは違った。誰にも見せていない。誰にも評価されない。それでも面白かった。
不意に、視線を感じた。
闇魔法の使い手は人の気配に敏感なのか、あるいは私がそういう性質なのか、はっきりわかった。柱の影に誰かいる。
手を下ろした。
深呼吸した。それから振り向いた。
リアンだった。
柱の影から出てきた。薄い寝間着姿で、裸足ではなかった。ちゃんと靴を履いていた。いつから見ていたのか、聞いた。
「眠れなくて」と言った。
眠れなかったから庭に出てきた、という答えではなかった。でも追及しなかった。
「見てた?」
「はい」
正直な子だ、と思った。誤魔化さない。
「怖くなかった?」
少し考えるような間があった。それから、
「いいえ」とリアンは言った。「きれいだと思いました」
きれい。
その言葉が、少し予想外だった。
怖くなかった、は想定していた。この子は幼いころから怖がりではない。でもきれいだと思いました、という返し方は想定していなかった。
何を言えばいいかわからなかった。
「誰にも、言わないでいてくれる?」
「言いません」
即座だった。
「部屋に戻りなさい」
「……お姉様も、戻りますか」
こちらの都合を確かめる言い方だった。私が戻らないなら自分も残る、とでも言いたいような。
「すぐに戻るから」
リアンが頷いた。踵を返して、階段に向かいかけた。そこで振り返った。
「あの魔法、なんという属性ですか」
「闇属性、よ」
リアンがまた少し間を置いた。夜風が中庭を抜けていった。
「……また、見てもいいですか」
断るべきだと思った。
断る理由を考えた。見られない方がいい、知られない方がいい、という最初の判断がある。でも今夜リアンに見られて、何かが露見したわけではなかった。きれいだと言われた。それだけだった。
だめだ、とは言えなかった。
リアンが階段を上っていった。足音が屋敷の中に消えた。
私は中庭に一人残されて、月を見上げた。
きれいだと思いました。
その言葉を、もう一度頭の中で反芻した。
前世のゲームでは、ルネの闇属性は妹の聖女性を阻害する呪いとして描かれていた。それがゲーム内でルネが嫌われた理由のひとつだった。でも今夜リアンはきれいだと言った。怖くないと言った。
屋敷の二階、リアンの部屋の窓に明かりが灯っていた。
部屋に戻ったのだろう。
私も戻ろうと思って、でも少しだけそのまま立っていた。月が中庭の月見石を白く光らせていた。
リアンの部屋の明かりが、しばらくしてから消えた。
眠ったのだろう、と思った。
それを確認してから、私は屋敷に戻った。廊下を歩きながら、リアンの部屋の前を通った。扉の前で、一瞬だけ立ち止まった。
中は静かだった。
それから自分の部屋に戻った。
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