第2話雨は、やっぱり嘘をつく

「ここからだ」

男が胸を指したとき、俺は一歩だけ距離を取った。

癖みたいなもんだ。

銃より先に、間合いを見る。

「撃つつもりか?」

聞くと、男は首を振る。

「違う」

そして、ゆっくり言った。

「もう撃った」

◆

嫌な沈黙が落ちる。

「……いつだ?」

「あなたが、思い出す前に」

◆

その瞬間、胸の奥がズキッとした。

痛みじゃない。

“抜けてる”感覚だ。

何かが、もう無い。

◆

「安心してください」

男は淡々と言う。

「まだ動けます」

「ただ――」

少しだけ、目を細める。

「どっちが残るか、決まってないだけで」

「もう撃った」

その言葉のあと、しばらく何も起きなかった。

血も出ない。痛みもない。

ただ、時計だけが逆に進んでいる。

カチ、カチ、と。

◆

「どこを撃った?」

俺は聞く。

男は、少し考えるふりをした。

「“名前”です」

◆

笑えない冗談だ。

だが、煙草に火をつけようとして――手が止まった。

ライターの扱いを、一瞬だけ忘れた。

ほんの一瞬。

だが、それで十分だった。

「……今の、なんだ」

「最初の一発目です」

男は穏やかに言う。

「小さいところから消えます」

◆

灰皿を探す。

いつも机の右にあるはずだ。

だが、視線がそこを素通りする。

“見えているのに、認識できない”。

「二発目は?」

「習慣です」

◆

煙草をくわえたまま、俺は立ち尽くしていた。

吸い方が、わからない。

肺にどう入れるのか、思い出せない。

体は覚えているはずなのに、

“自分がそれをしている感覚”だけが抜け落ちている。

◆

「三発目で、だいたい終わります」

男は言った。

「職業、関係、人間関係」

「あなたをあなたにしているもの」

◆

電話が鳴る。

俺は受話器を取る。

「……もしもし」

相手が何か言っている。

だが、それが誰なのか、わからない。

声に意味がついてこない。

「誰だ?」

思わずそう言う。

沈黙。

それから、切れる音。

◆

「今ので、“知人”が一人消えました」

男が淡々と報告する。

まるで作業の進捗みたいに。

◆

「……最後は?」

かろうじて、俺は聞く。

喉が乾いている。

いや、“乾いている感覚”だけがある。

実際に乾いているのかは、もうわからない。

◆

男は、少しだけ近づいた。

雨の匂いがしない。

最初から、していなかったのかもしれない。

「最後は、“視点”です」

◆

意味がわからない。

だが、すぐにわかる。

男の顔を見ようとして――焦点が合わない。

いや、

“どこから見ているのか”がわからない。

◆

自分の手を見る。

輪郭が曖昧だ。

透けているわけじゃない。

ただ、“自分のものとして認識できない”。

◆

「安心してください」

男が言う。

その声だけが、やけにクリアだ。

「痛みはありません」

◆

事務所を見回す。

机。椅子。窓。雨。

全部ある。

何も消えていない。

なのに――

「……俺は?」

言葉にした瞬間、それが一番いらないものだと気づく。

◆

「もうすぐです」

男はうなずく。

「あなたは消えません」

「ただ――」

◆

一歩、下がる。

距離を取る。

最初に入ってきたときと同じ位置へ。

ドアの前。

◆

「“あなたでなくなる”だけです」

◆

ノックの音がする。

三回。

コン、コン、コン。

◆

俺は振り返る。

いや、振り返った“つもり”になる。

体が動いたかどうか、もうわからない。

◆

ドアが開く。

そこに立っていたのは――

男だった。

年は四十前後。スーツはくたびれているが、靴だけが妙に新しい。

◆

「探してほしいものがある」

男が言う。

◆

机の向こうに、誰かがいる。

顔は見えない。

影だけがある。

◆

「名前は?」

影が聞く。

◆

男は、少しだけ笑う。

いや、笑った“つもり”の顔をする。

◆

「それがわからない」

◆

そのとき、男はふと違和感を覚える。

この部屋。

この匂い。

このやり取り。

◆

どこかで――

◆

「……はじめてじゃない」

小さくつぶやく。

だが、その言葉は、

誰にも届かない。

◆

雨は、やっぱり嘘をつく。

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雨は嘘をつく カズナオト @mottoora

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