第2話雨は、やっぱり嘘をつく

「ここからだ」

男が胸を指したとき、俺は一歩だけ距離を取った。

癖みたいなもんだ。

銃より先に、間合いを見る。

「撃つつもりか?」

聞くと、男は首を振る。

「違う」

そして、ゆっくり言った。

「もう撃った」

嫌な沈黙が落ちる。

「……いつだ?」

「あなたが、思い出す前に」

その瞬間、胸の奥がズキッとした。

痛みじゃない。

“抜けてる”感覚だ。

何かが、もう無い。

「安心してください」

男は淡々と言う。

「まだ動けます」

「ただ――」

少しだけ、目を細める。

「どっちが残るか、決まってないだけで」

「もう撃った」

その言葉のあと、しばらく何も起きなかった。

血も出ない。痛みもない。

ただ、時計だけが逆に進んでいる。

カチ、カチ、と。

「どこを撃った?」

俺は聞く。

男は、少し考えるふりをした。

「“名前”です」

笑えない冗談だ。

だが、煙草に火をつけようとして――手が止まった。

ライターの扱いを、一瞬だけ忘れた。

ほんの一瞬。

だが、それで十分だった。

「……今の、なんだ」

「最初の一発目です」

男は穏やかに言う。

「小さいところから消えます」

灰皿を探す。

いつも机の右にあるはずだ。

だが、視線がそこを素通りする。

“見えているのに、認識できない”。

「二発目は?」

「習慣です」

煙草をくわえたまま、俺は立ち尽くしていた。

吸い方が、わからない。

肺にどう入れるのか、思い出せない。

体は覚えているはずなのに、

“自分がそれをしている感覚”だけが抜け落ちている。

「三発目で、だいたい終わります」

男は言った。

「職業、関係、人間関係」

「あなたをあなたにしているもの」

電話が鳴る。

俺は受話器を取る。

「……もしもし」

相手が何か言っている。

だが、それが誰なのか、わからない。

声に意味がついてこない。

「誰だ?」

思わずそう言う。

沈黙。

それから、切れる音。

「今ので、“知人”が一人消えました」

男が淡々と報告する。

まるで作業の進捗みたいに。

「……最後は?」

かろうじて、俺は聞く。

喉が乾いている。

いや、“乾いている感覚”だけがある。

実際に乾いているのかは、もうわからない。

男は、少しだけ近づいた。

雨の匂いがしない。

最初から、していなかったのかもしれない。

「最後は、“視点”です」

意味がわからない。

だが、すぐにわかる。

男の顔を見ようとして――焦点が合わない。

いや、

“どこから見ているのか”がわからない。

自分の手を見る。

輪郭が曖昧だ。

透けているわけじゃない。

ただ、“自分のものとして認識できない”。

「安心してください」

男が言う。

その声だけが、やけにクリアだ。

「痛みはありません」

事務所を見回す。

机。椅子。窓。雨。

全部ある。

何も消えていない。

なのに――

「……俺は?」

言葉にした瞬間、それが一番いらないものだと気づく。

「もうすぐです」

男はうなずく。

「あなたは消えません」

「ただ――」

一歩、下がる。

距離を取る。

最初に入ってきたときと同じ位置へ。

ドアの前。

「“あなたでなくなる”だけです」

ノックの音がする。

三回。

コン、コン、コン。

俺は振り返る。

いや、振り返った“つもり”になる。

体が動いたかどうか、もうわからない。

ドアが開く。

そこに立っていたのは――

男だった。

年は四十前後。スーツはくたびれているが、靴だけが妙に新しい。

「探してほしいものがある」

男が言う。

机の向こうに、誰かがいる。

顔は見えない。

影だけがある。

「名前は?」

影が聞く。

男は、少しだけ笑う。

いや、笑った“つもり”の顔をする。

「それがわからない」

そのとき、男はふと違和感を覚える。

この部屋。

この匂い。

このやり取り。

どこかで――

「……はじめてじゃない」

小さくつぶやく。

だが、その言葉は、

誰にも届かない。

雨は、やっぱり嘘をつく。

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雨は嘘をつく カズナオト @mottoora

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