雨は嘘をつく

カズナオト

第1話雨は、嘘をつく。

雨は、嘘をつく。

濡れているはずの路地が乾いて見えたり、

消えたはずの足跡を、まだそこにあるように見せたりする。

だから俺は、雨の日の依頼は嫌いだ。

だが、仕事は選べない。

◆

事務所のドアが三回、ノックされた。

二回じゃない。三回だ。

妙に律儀なやつか、あるいは――自分が誰か確かめているやつ。

「開いてる」

俺は言った。

ドアはゆっくり開いた。

入ってきたのは、男だった。

年は四十前後。スーツはくたびれているが、靴だけが妙に新しい。

逃げてきた人間の足元だ。

「探してほしいものがある」

男はそう言った。

声に湿り気はない。雨の中を歩いてきたはずなのに。

「人か?」

俺は煙草に火をつける。

「……そうだ」

間があった。

その間に、答えの半分は出ている。

「名前は?」

男は、少しだけ笑った。

いや、笑った“つもり”の顔をした。

「それがわからない」

◆

よくある話じゃない。

だが、珍しくもない。

記憶喪失、身元不明、借金からの逃亡。

名前をなくした人間なんて、この街には掃いて捨てるほどいる。

「顔写真は?」

「ある」

男はポケットから封筒を出した。

濡れていない。

一滴も。

俺はそれを受け取り、中身を確認する。

そこに写っていたのは――

俺だった。

◆

煙草の灰が、落ちた。

やけにゆっくりと。

「……冗談か?」

男は首を振る。

「いや」

そして、まっすぐ俺を見た。

「あなたを探している」

◆

外の雨が、少しだけ強くなった。

さっきまで乾いていたはずの路地に、水が溜まり始める。

遅れて現実が追いついてくるみたいに。

「依頼料は?」

俺は聞いた。

確認じゃない。

逃げ道だ。

男は答える。

「もう払ってある」

「誰が?」

「あなたが」

◆

その瞬間、

事務所の時計が、逆に動いた。

カチ、カチ、と一秒ずつ戻っていく。

俺は目を細める。

こういうのは久しぶりだ。

面倒な仕事になる。

「……いいだろう」

煙草を揉み消す。

「受ける」

どうせ断っても、終わらない。

こういう依頼は、最初から終わりが決まってる。

◆

「まずは、どこからだ?」

男は、少しだけ考えてから言った。

「簡単です」

そして、

自分の胸を指差した。

「ここから」

◆

雨は、やっぱり嘘をつく。

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