第2話 鳥さん、痛かったかな

 動画は、その日のうちに拡散された。


 最初に見つけたのは、会社の後輩だった。昼休み、スマートフォンを差し出され、「これ、もしかして……」と曖昧に言われたとき、修司はまだ状況を理解していなかった。


 画面の中で、自分が石を投げていた。少し離れた位置から撮られている。手元の動きははっきりと映っていないが、腕の振りと、その直後に鳥が崩れる様子は、十分すぎるほど明瞭だった。娘の泣き声も、拾われている。


 再生は数秒で終わる。だが、その短さが逆に、余計な説明を削ぎ落としていた。 ただ、石を投げて、鳥が死ぬ。それだけだった。


 「やばくないですか、これ」


 後輩が言った。軽い調子ではなかったが、深刻でもなかった。その曖昧さが、修司の神経を逆撫でした。


 「別に……」


 そう言いかけて、言葉を止める。何を説明すればいいのか、自分でも分からなかった。


 動画の下には、コメントが並んでいた。


 〈子ども守ってて偉い〉

 〈いや普通にアウトだろ〉

 〈気持ちは分かるけど殺す必要ある?〉

 〈動物虐待じゃん〉

 〈これぐらいで騒ぐなよ〉


 どれも短く、断定的だった。どれも、自分のことを言っている。画面を閉じたとき、指先にわずかな震えが残っていた。


 翌日には、会社に呼び出された。会議室の空気は、冷えていた。エアコンの設定が低いのか、それともそう感じるだけなのかは分からない。上司は、いつもより丁寧な口調で話し始めた。


「事情は理解しています」


 その言葉のあとに続くものを、修司はすでに知っていた。


「ただ、会社としては……」


 理解と、判断は別だった。処分は、即日だった。懲戒ではなく、依願退職という形に整えられた。体裁だけは守られている。そのことに、ほとんど意味はなかった。 書類に署名をするとき、ペンのインクが少しだけ滲んだ。


 家に戻ると、郵便受けに封筒が詰まっていた。いつもより多い。手に取ると、どれも軽い。中身が薄い紙であることが分かる。


 玄関で、いくつかを開ける。印刷された文章。手書きの文字。どれも、似た内容だった。


 〈あなたのしたことは許されません〉

 〈命を軽く扱う人間に、子どもを育てる資格はない〉

 〈反省してください〉


 最後の一通だけ、違っていた。


 〈次はあなたです〉


 その一行だけが、黒く太いペンで書かれていた。修司は封筒を閉じ、まとめて靴箱の上に置いた。それ以上、何も考えないようにした。


 由紀は、ほとんど何も言わなくなった。食事は作られるが、会話は続かない。必要なことだけが、短くやり取りされる。テレビはつけない。ニュースを避けているのだと分かった。


 美咲は、最初の数日は何度も同じことを聞いた。


 「なんで鳥さん、ああなったの?」


 そのたびに、修司は言葉を選んだ。


 「びっくりしたんだよ」


 「たまたまだよ」


 どれも、自分で言いながら、嘘だと分かる言葉だった。やがて美咲は、何も聞かなくなった。代わりに、以前より静かになった。


 起訴の通知が届いたのは、一週間後だった。鳥獣保護法違反、と罪名が書かれている。文字は整っていて、感情の入り込む余地がない。


 紙の上では、すべてが簡潔だった。事実。行為。結果。それだけだった。


 裁判は、驚くほど短く終わった。争う点はほとんどなかった。動画がある以上、事実関係は明白だった。検察官は、淡々と述べた。


 「被告人は、正当な理由なく野生鳥獣を殺傷しました」


 正当な理由。その言葉が、耳に残る。自分には、理由があったはずだった。娘が泣いていた。周囲が笑っていた。


 だが、それは「正当」とは認められなかった。判決も、短かった。有罪。罰金刑。 懲役ではない。それでも、何かが終わったという感覚だけが、はっきりと残った。


 帰り道、空を見上げると、鳥が飛んでいた。あの日と同じように、何羽かが風に乗っている。その動きは滑らかで、どこにも引っかかりがない。ただ、飛んでいるだけだった。


 夜、家は静かだった。時計の針の音が、やけに大きく聞こえる。由紀は先に寝室に入っていた。リビングの明かりだけが、残っている。


 ソファに座り、何もせずに時間を過ごす。何かを考えようとすると、すぐに思考が途切れる。意味を探そうとしても、どこにも見つからない。ただ、あの瞬間だけが、繰り返し浮かんでくる。


 影が落ちたこと。ハンバーガーが消えたこと。笑い声。石の重さ。そして、動かなくなった鳥。


 足音がした。振り向くと、美咲が立っていた。パジャマのまま、目をこすりながら、こちらを見ている。


 「どうした?」


 声をかけると、少しだけ間を置いて、近づいてくる。ソファの横に立ち、しばらく何も言わない。その沈黙が、長く感じられた。


 やがて、美咲は口を開いた。


 「……ねえ」


 その声は、小さかった。


 「……あの鳥さん、痛かったかな」


 言い終わると、すぐに視線を落とす。修司は、何も言えなかった。言葉を探そうとするが、どこにも見つからない。喉の奥で、何かが引っかかる。美咲の顔を見る。 泣いてはいない。ただ、じっと待っている。答えを。


 その期待に、応えることができないと分かる。あのとき、自分は何を見ていたのか。娘の泣き顔か。周囲の笑いか。それとも、ただの鳥か。


 どれも、確かだった。どれも、今は遠い。


 口を開く。音は出なかった。そのまま、閉じる。美咲は何も言わずに、ゆっくりと部屋を出ていった。


 ドアが静かに閉まる。その音が、やけに大きく響いた。修司は、動かなかった。 時間だけが、過ぎていく。何も変わらないまま。

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カモメが死んだ日 観察者 @kansatsusya

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