第53話 感情の暴走『喜怒哀楽国家』と、理性の魔王
色彩を取り戻し、ようやく「実在」を確認できるようになったクリーン・スカイ号が次に向かったのは、絶えず虹色のオーロラが地上まで降り注ぐ盆地の王国「エモエモ」だった。ここは空気中に高濃度の「共感魔力」が充満しており、他人の感情がダイレクトに伝播し、一度火がつくと国民全員が同じ感情に支配される、世界一暑苦しい「情緒の地」である。
「……陛下、涙が。涙が止まりません。報告書の修正液の跡を見ただけで、当時の事務官の苦悩を想って胸が締め付けられます」
バルガスが、号泣しながら湿った書類を抱きしめていた。
「……感情汚染か。事務官にとって、主観の混じる環境は最悪だ。……一行の数字を確認するのに、悲劇のヒロインのような感傷が必要だとは、もはや帳簿への冒涜を通り越して精神的な集団リンチだぞ」
俺は、アイゼン特製の「鋼鉄製ハンコ押し機」が、周囲の熱狂に当てられて「熱いソウル」を宿し、ハンコを押すたびに「ドォォォォン!」と爆炎(情熱)を上げる現象に、深刻な火災保険の不安を感じていた。
1
クリーン・スカイ号がエモエモの王都「パッション」に着陸すると、出迎えたのは、あまりの号泣に目が腫れ上がり、同時に満面の笑みを浮かべている国王アツ苦しい一世だった。
「……オ、魔王殿! ヨウコソ! ゴランノトオリ! 我ガ国ハ全テガ感動的! 役所ノ窓口ハ常に抱擁ト握手! デスガ職員タチハ感情ノ起伏デ過呼吸ニナリ、納税書類ガ『愛シテル』トイウ殴り書きダケデ提出サレル始末デス!!」
王が拳を掲げるたびに、周囲にいた国民たちが「うおおお!」と叫んで泣き崩れる。役所の中では、職員たちが予算案を見て「この一銭一銭に民の涙が……!」と感極まって業務が完全に停止し、ただただ円陣を組んで合唱するという地獄絵図が展開されていた。
「……これは非効率の極致よ。……くくく、魔王様! この精神エネルギーの増幅……、これを利用すれば、敵国の兵を全員ホームシックにさせて戦意喪失させる広域精神兵器が作れるかもしれませんぞ!」
エドワードが、あまりの暑苦しさに「俺も昔は若かった……」と遠い目をしながら笑った。
「……研究は後よ。……まずはこの『情緒の過剰』を止めなきゃ。……魔王様、この国の空気、すべて『物理的に冷却(ドライ)』しましょう。……私の論理的な計算式に、ドラマチックな解釈(ポエム)が混ざるのは論外よ!」
テトラが、ペンを走らせるたびに「この数字には物語がある」と囁いてくる右手にブチギレていた。
2
「……リリナ、アルス、準備はいいか」
「はい、陛下! 特製『冷徹・メンタル・クーラント』、800トン散布しますわ! これで熱暴走するニューロンを静め、氷のような理性を取り戻し、淡々とした事務環境を実現します!」
リリナが、巨大な鎮静剤スプレーを構えて聖なる虚無を約束した。
「……俺は、あの感情を増幅させてる余計なオーロラの供給源を、物理的にぶった斬るだけだ。……おい、騎士団! 感動して動けないなんて言い訳は聞かん! 自分の心を鋼鉄にして、街中に冷却パネルを敷き詰めろ!」
アルスが、巨大な氷結ハンマーを担いで、泣き喚く騎士たちの尻を蹴り飛ばす。
3
『あはは! 見て、アストレア! 魔王様が、世界で一番巨大な「冷房(ドライ)」になろうとしてるわ! 全員が泣きながらの事務なんて、ただの葬儀だものね!』
雲の上で、ノルンが面白そうに虹色のオーロラをかき混ぜて「恋に落ちる魔力」を勝手にトッピングしている。
彼女たち女神は、この「エモすぎる悲劇」が、魔王の「無機質な合理性」によって冷酷に塗り替えられる瞬間を、一級のエンターテインメントとして観測していた。
『ねえ、魔王様。いっそのこと、国民全員を「石像」に変えてあげようか? 感情どころか呼吸も止まっちゃうけど、事務ミスはゼロになるわよ!』
(……だめがみ、極端な生物学的フリーズを提案するな。……適度な無関心こそが、公正(事務倫理)の礎だ)
4
「……全砲門、開け! ……ただし、撃つのは催涙弾じゃない。……魔王領特製『絶対理性・中和フィールド』だ! 都市全体を、一時の感情に流されない『真理の壁』で包んでやれ!」
ドォォォォン!!
クリーン・スカイ号から放たれた無数の鎮静ポッドが街を覆い、一瞬にして空のオーロラが消失した。
アツ苦しい国王の表情が、驚くほど平坦な「公務員の顔」へと変化した。
「……あ、あ……。……落ち着いた。……胸の動悸が消えた。……書類の不備を、ただの『不備』として認識できる。……これほどまでに『客観』とは静かな世界だったのか……」
アツ苦しい国王が、淡々と不備のある書類に「差し戻し」のハンコを押し、深呼吸をした。
俺は、表面に冷たいセラミック加工を施した「鋼鉄製ハンコ押し機」を王都の行政センターに設置した。
「……国王。……掃除の後は、訓練だ。……『業務における形容詞使用禁止法』を、テトラが今から公布する。……まずは全員、報告書を『事実・数値・結論』の三行で書く練習をしろ」
エモエモの国に、建国以来初めての「凪(なぎ)」が訪れた。
俺の視察旅行は、ついに精神活動すらも事務的に制御し始め、世界の隅々まで「適正なドライさ」を広げていく。
「……だめがみ。……次は、お前のその『過剰な演出』も、白黒の箇条書きにしてやろうか?」
俺の皮肉を乗せて、クリーン・スカイ号は、理性の戻ったエモエモの空を、次なる目的地へと向かった。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます