第52話 究極の無機質『透明国家』と、輪郭の魔王
加速しすぎた時間を標準速度まで引き戻したクリーン・スカイ号が次に向かったのは、高山地帯の雲海に隠れるように存在する不思議な王国「スケスケ」だった。ここは空気中に含まれる特殊な高純度魔力により、あらゆる物質の光屈折率が狂い、建物も、地面も、さらには人間までもが半分透けて見える、世界一把握しづらい「希薄の地」である。
「……陛下、見えません。何もかもが見えません。報告書を手渡そうにも、相手の手が透けていて空を掴んでいるようです」
バルガスが、何度も空振りを繰り返しながら、虚空に向かって頭を下げていた。
「……不可視化か。事務官にとって、境界線の曖昧な環境は致命的だ。……一行の数字が背景と重なって消え、ハンコを押すべき場所が透けて見えないとは、もはや実務という概念への冒涜だぞ」
俺は、アイゼン特製の「鋼鉄製ハンコ押し機」が、周囲の光を透過しすぎて「透明な鈍器」と化し、うっかり指を挟みそうになる現象に、深刻な労働災害の不安を感じていた。
1
クリーン・スカイ号がスケスケの王都「クリスタル」に、まるで見えない壁にぶつかるような感覚で着陸すると、出迎えたのは、辛うじて服の刺繍だけが浮いて見える国王ミエナイ一世だった。
「……オオ、魔王殿! ヨウコソ! ゴランノトオリ! 我ガ国ハ全テガ透明! 役所ノ窓口ハガラス細工ヨリモ希薄! デスガ職員タチハ存在感ガ無サスギテ互イニ衝突シ、納税書類ガ空中に浮イテイルダケデ、誰ガ受理シタノカサエ不明デ御座イマス!!」
王が喋るたびに、声だけが響き、輪郭が蜃気楼のように揺れる。役所の中では、職員たちが鈴を鳴らして自分の位置を知らせ合い、そのせいで鈴の音だけが虚空に響くという、シュールな怪奇現象が展開されていた。
「……これは非効率の極致よ。……くくく、魔王様! この光学的ステルス現象……、これを利用すれば、敵国の軍隊を完全に透明化して国境を蹂躙する暗殺兵器が作れるかもしれませんぞ!」
エドワードが、見えない机の角に膝をぶつけて悶絶しながら、狂気的な笑顔で笑った。
「……研究は後よ。……まずはこの『存在の希薄』を止めなきゃ。……魔王様、この国の空間、すべて『物理的に着色』しましょう。……私の書いた数式が、背景に溶けて解(答え)が見えなくなるのは論外よ!」
テトラが、ペンを走らせてもインクが透明になってしまう現象にブチギレていた。
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「……リリナ、アルス、準備はいいか」
「はい、陛下! 特製『輪郭強調・不透明・顔料ミスト』、700トン散布しますわ! これで光の屈折を無理やり固定し、あらゆるものに『影』と『色彩』を取り戻し、くっきりとした事務環境を実現します!」
リリナが、巨大なペイントガンを構えて聖なる具現化を約束した。
「……俺は、あの光を透かしてる魔力溜まりを、物理的にぶっ叩いて散らすだけだ。……おい、騎士団! 見えないからってサボるなよ! 自分の体が見えるようになったら、今まで以上に働いてもらうからな!」
アルスが、巨大な墨入りのハンマーを担いで、手探りで騎士たちを追い回す。
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『あはは! 見て、アストレア! 魔王様が、世界で一番巨大な「塗り絵」を始めようとしてるわ! 全員が透明な事務なんて、ただのパントマイムだものね!』
雲の上で、ノルンが面白そうにプリズムをかざして光をバラバラに分解して遊んでいる。
彼女たち女神は、この「幽霊のような悲劇」が、魔王の「くっきりとした合理性」によって鮮やかに塗り替えられる瞬間を、一級のエンターテインメントとして観測していた。
『ねえ、魔王様。いっそのこと、国民全員を「ド派手な蛍光色」に変えてあげようか? 目がチカチカして、事務どころじゃなくなるかもしれないけど!』
(……だめがみ、極端な色彩過多を提案するな。……適切な明暗差と輪郭こそが、認識(事務効率)の柱だ)
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「……全砲門、開け! ……ただし、撃つのはペンキ弾じゃない。……魔王領特製『色彩固定・スキャン結界』だ! 都市全体を、物の輪郭がはっきりと定義される『高解像度フィールド』で包んでやれ!」
ドォォォォン!!
クリーン・スカイ号から放たれた無数の色彩ポッドが街を覆い、一瞬にして透過していた光が物の表面で止まった。
ミエナイ国王の姿が、鮮やかな緋色のローブと共に「出現」した。
「……あ、あ……。……見える。……自分の手が、確かにある。……机の端が、椅子の位置が、はっきりと分かる。……これほどまでに『形』とは安心を与えるものだったのか……」
ミエナイ国王が、ようやく実体として認識できるようになった書類を撫で、涙を流した。
俺は、表面に艶消しの黒い縁取りを施した「鋼鉄製ハンコ押し機」を役所の最上階に設置した。
「……ミエナイ国王。……掃除の後は、定義だ。……『公文書における輪郭線の義務化法』を、テトラが今から公布する。……まずは全員、自分のハンコがどこに押されているか、視認できる喜びを噛み締めろ」
スケスケの国に、建国以来初めての「確かな色彩」が訪れた。
俺の視察旅行は、ついに光学現象すらも事務的に制御し始め、世界の隅々まで「明確な実在」を広げていく。
「……だめがみ。……次は、お前のその『透明感のない魂(しゅみ)』も、鮮やかに塗り替えてやろうか?」
俺の皮肉を乗せて、クリーン・スカイ号は、輪郭がくっきりとしたスケスケの空を、次なる目的地へと向かった。
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