第54話 魔王領への『帰還』と、待ち構える最大の事務作業
鉄鋼都市の煙を払い、湿地帯を乾かし、砂漠を潤し、爆音を鎮め、光を遮り、重力を浮かせ、時間を止め、輪郭を描き、感情を冷却した……。世界各地の「極端すぎる環境」を強引に事務的標準(スタンダード)へと叩き直したクリーン・スカイ号は、数ヶ月ぶりに懐かしき魔王領の港へと帰還した。
「……陛下、見えてきました。我が愛しき『灰色の島』です。石鹸の香りが潮風に乗って漂ってきますぞ」
バルガスが、感激のあまり涙(と、世界視察で溜まった領収書の山)を拭いながら叫んだ。
「……ふん。ようやく自分のベッドで寝られる。……バルガス、港に着いたら即座に解散だ。俺は一ヶ月、誰とも口をきかんぞ」
俺は、アイゼン特製の「鋼鉄製ハンコ押し機」のメンテナンスを終え、ようやく手に入れた「静寂」を確信していた。だが、クリーン・スカイ号が高度を下げ、魔王城の全貌が見えた瞬間、俺の確信は「戦慄」へと変わった。
1
「……おい、テトラ。……あの城門の前に並んでいる、大陸横断鉄道の待ち行列みたいな人だかりは何だ?」
「……ええと。……私のリアルタイム資産計算機によると。……視察中に魔王様が解決した各国の『感謝の使節団』、および『魔王領への移住希望者』、それから『未処理の陳情書を持った役人』が、合計で一万二千人ほど待機しているわね」
テトラが、無機質な声で絶望的な数値を弾き出した。
城のバルコニーからは、留守番を任されていたはずの財務官たちが「陛下ァ! 助けてください! 判子(ハンコ)が! 判子が足りません!!」と、白旗の代わりに白紙の予算案を振って叫んでいた。
「……陛下。……バカンスの続きは、この『書類の山』をエベレストのように登りきった後にしましょうか」
アルスが、憐れみの目を向けながら、早くも自分のツルハシを「整理整頓モード」に切り替えていた。
2
城内に入ると、そこはもはや魔王の居室ではなく、世界最大の「行政センター」と化していた。
廊下には各国の特使がひしめき合い、「我が国の下水が少しでも詰まったら魔王様に!」「うちの王女の婚約破棄の事務処理を魔王領の書式で!」と口々に叫んでいる。
「……お前ら、静かにしろ! ……ここは相談所じゃない。俺の家だ!」
俺の声が響いた瞬間、群衆から一人の老婆が飛び出してきた。
「おお、魔王様! アイゼンで配られた石鹸で、うちの主人の頑固な加齢臭が消えました! ぜひ、この感謝の気持ちを綴った『四万文字の作文』を読んでください!」
(……だめだ。……善意という名の「過剰な情報量」が、俺の脳を物理的に破壊しにきている)
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『あははは! お帰りなさい、魔王様! 世界を救った代償は、一生終わらない「お礼状の返信事務」ね! 素敵すぎるわ!』
天井のシャンデリアから、ノルンの爆笑が降り注ぐ。
彼女たち女神は、俺が世界を「快適」にした結果、全人類の依存先が「神」から「魔王(の事務能力)」へとシフトしたことを、最高に皮肉な結果として楽しんでいた。
『ねえアストレア、見てよ。魔王様の机の上に置かれた「未決済」の箱、もう重力で床が抜けそうよ。……いっそのこと、世界をもう一度バグだらけにしてもらう? そうすれば、みんな魔王様を忘れてくれるわよ?』
(……だめがみ、余計なデストラクションを提案するな。……散らかった世界を片付けるのは、俺の「矜持」だ)
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俺は、アイゼンから持ち帰った「鋼鉄製ハンコ押し機」を、執務室のど真ん中に据え置いた。
そして、山積みの書類を睨みつけ、バルガスに命じた。
「……全職員に告ぐ。……これより、魔王領『第一次・大事務処理大戦』を開始する。……全書類を『緊急・保留・ゴミ箱』の三つに仕分けろ。……俺の有給休暇を邪魔する奴は、一文字残らずシュレッダーにかけてやる」
「ははっ! 陛下、目がマジですな! 鋼鉄のハンコが火を噴くのを、楽しみにしておりますぞ!」
俺の「帰還」は、感動の再会ではなく、史上最大の「デスクワーク」の幕開けだった。
魔王領は今、世界の中心として、あらゆる混沌(ペーパーワーク)を飲み込み、整列させる。
「……だめがみ。……見てろ。……三日で全部終わらせて、四日目には世界が震えるほどの『昼寝』をしてやる」
俺の不敵な呟きと共に、ハンコ押し機のピストンが力強く唸りを上げ始めた。
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