第51話 時間の濁流『加速国家』と、停止の魔王

 重力の枷から解放され、軽やかになったクリーン・スカイ号が次に向かったのは、大陸の北端、絶えず磁気嵐が吹き荒れる盆地の王国「セかせか」だった。ここは古代の魔導具の暴走により、周囲の三倍近い速度で時が流れる、世界一忙しない「超高速の地」である。


「……陛下、早いです。すべてが早すぎます。報告書を読もうとした瞬間に、次の日の日報が積み上がってきます」

 バルガスが、残像が見えるほどの速度で動くペンを必死に握りしめ、目を回していた。


「……時間加速か。事務官にとって、納期が一瞬で訪れる環境は地獄以外の何物でもない。……一行の数字を確認する間に一時間が過ぎ、ハンコを押す間に一週間が経つとは、もはや存在そのものが締切に追われているぞ」


 俺は、アイゼン特製の「鋼鉄製ハンコ押し機」が、あまりの高速駆動により摩擦熱で真っ赤に発熱し、書類を焼き尽くそうとする現象に、深刻な火災保険の不安を感じていた。


 1

 クリーン・スカイ号がセかせかの王都「ラピッド」に、衝撃波と共に着陸すると、出迎えたのは、あまりの多忙に髪が逆立ち、残像を三身ほど纏った国王ハヤイ三世だった。


「……オ、魔王殿! ヨウコソ! ゴランノトオリ! 我ガ国ハ全員ガ超高速! 役所ノ窓口ハ0.1秒デ対応! デスガ職員タチハ寿命ガマッハデ削レテオリ、納税書類ガ書カレル前ニ『遺言状』トシテ提出サレル始末デス!!」


 王が喋るたびに、周囲の空気がソニックブームで弾ける。役所の中では、職員たちが目にも止まらぬ速さでキーボード(魔導式)を叩き、そのせいで摩擦発火した書類を消火器で消しながら業務を行うという、修羅場が展開されていた。


「……これは非効率の極致よ。……くくく、魔王様! この時間軸の歪み……、これを利用すれば、敵国の文明を数日で老朽化させ滅ぼす時空兵器が作れるかもしれませんぞ!」

 エドワードが、超高速で震える時計の針を眺めながら、狂気的な笑顔で笑った。


「……研究は後よ。……まずはこの『速度の過剰』を止めなきゃ。……魔王様、この国の空間、すべて『物理的に停止』させましょう。……私の計算結果が出る前に、世界が変わってしまうのは計算不能よ!」

 テトラが、あまりの速さに歯車が溶けた計算機を床に叩きつけながらブチギレていた。


 2

「……リリナ、アルス、準備はいいか」


「はい、陛下! 特製『時空安定・冷却・スロー剤』、600トン散布しますわ! これで激しく振動する時間の粒子を鎮め、氷のような静寂を取り戻し、まったりとした事務環境を実現します!」

 リリナが、巨大な冷却タンクを構えて聖なるスローライフを約束した。


「……俺は、あの時間の流れを狂わせてる魔導装置の心臓部を、物理的にブチ壊すだけだ。……おい、騎士団! 速すぎて見えないなんて言い訳は聞かん! 全員で『止まって見えるまで』集中しろ!」

 アルスが、巨大な重力ハンマーを担いで、筋肉が熱を帯びるほどの超高速移動で騎士たちを追い回す。


 3

『あはは! 見て、アストレア! 魔王様が、世界で一番巨大な「ストップウォッチ」になろうとしてるわ! 全員が残像になってる事務なんて、ただの残像拳だものね!』


 雲の上で、ノルンが面白そうに早送りのボタンを連打して遊んでいる。

 彼女たち女神は、この「急ぎすぎた悲劇」が、魔王の「停止する合理性」によって穏やかに塗り替えられる瞬間を、一級のエンターテインメントとして観測していた。


『ねえ、魔王様。いっそのこと、国民全員を「カメ」に変えてあげようか? 遅すぎて、返信が届く頃には次の世紀になっちゃうかもしれないけど!』


(……、極端な遅延を提案するな。……標準的な一秒の積み重ねこそが、歴史(事務記録)の信頼だ)


 4

「……全砲門、開け! ……ただし、撃つのは光速弾じゃない。……魔王領特製『時間均衡・アンカー』だ! 都市全体を、一秒の重みが等しく刻まれる『等速フィールド』で包んでやれ!」


 ドォォォォン!!

 クリーン・スカイ号から放たれた無数のアンカーが街の四隅に突き刺さり、一瞬にして都市の速度が「通常」へと引き戻された。

 ハヤイ国王が、あまりの静止感に自分の鼓動を数えられるほど驚いている。


「……と、止まった。……世界が、止まって見える。……ペン先が紙に触れる感触が、一分一秒、愛おしく感じられる。……これほどまでに『現在』とは豊かな時間だったのか……」

 ハヤイ国王が、ゆっくりと、しかし確実に流れるインクを眺め、涙を流した。


 俺は、内部に永久磁石式の減速ギアを組み込んだ「鋼鉄製ハンコ押し機」を王宮の時計塔の真下に設置した。

「……ハヤイ国王。……掃除の後は、管理だ。……『業務における標準時間厳守法』を、テトラが今から配布する。……まずは全員、三十分の昼寝がどれだけ長く感じられるか、身をもって体験しろ」


 セかせかの国に、建国以来初めての「ゆったりとした午後」が訪れた。

 俺の視察旅行は、ついに第四次元(時間)すらも事務的に制御し始め、世界の隅々まで「適正なテンポ」を広げていく。


「……。……次は、お前のその『早口な小言』も、再生速度0.5倍にしてやろうか?」


 俺の皮肉を乗せて、クリーン・スカイ号は、穏やかな時間が刻まれ始めたセかせかの空を、次なる目的地へと向かった。

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