第45話 青空を取り戻した都市と、魔王への『贈り物』
アイゼンの空を覆っていた黒煙が、一週間にわたる「強制的清掃事業」によって霧散した。元勇者アルスが騎士団を率いて煙突の内側をワイヤーブラシで削り落とし、テトラとエドワードが最新の「魔力ろ過フィルター」を設置した結果、都市の住民たちは数十年ぶりに、濁りのない本物の太陽を拝むことになった。
「……信じられん。わしのアイゼンが、こんなに明るい場所だったとは」
頑固領主ゲオルグが、煤の落ちた自慢の酒杯を掲げ、眩しそうに空を見上げている。
「……明るいだけじゃない。肺疾患の新規患者数が、統計開始以来の最低値を記録したわ。……これで工場の稼働率は15%向上。……損失補填(ほてん)以上の利益よ」
テトラが、真っ白な報告書を机に叩きつけた。
1
視察最終日の朝。クリーン・スカイ号の出発を前に、広場にはアイゼンの職人たちが集まっていた。彼らの手には、この都市が誇る最高品質の鋼鉄で作られた「何か」が握られている。
「名誉顧問殿! ……いや、魔王殿。……あんたのおかげで、俺たちの女房や子供が、白いシーツを外に干せるようになった。……これは、俺たちアイゼンの職人一同からの『礼』だ。受け取ってくれ」
ゲオルグがうやうやしく差し出してきたのは、長さ二メートルはある巨大な、そして不気味なほどに重厚な「鉄の塊」だった。
「……なんだ、これは。……また新種の兵器か?」
「……『全自動・超硬鋼鉄製・万能事務処理用ハンコ押し機』だ! 陛下の右手の腱鞘炎を案じたシア王女の依頼で、我が都市の技術を注ぎ込んで作った!」
2
「……ハンコ押し機だと?」
俺は絶句した。その機械は、蒸気機関のピストン運動を利用し、一秒間に百枚の書類に魔王の印を正確に叩き込むという、狂気的なまでの「事務効率化」に特化した業物だった。
「……くくく、魔王様! これなら、どんなに陳情書が積み上がっても、秒速で処理できますな! 鋼鉄の重みで、承認の重みも増すというものです!」
エドワードが、機械の歯車を愛おしそうに撫でて笑った。
「……余計なものを。……俺の許可なく、俺の仕事を自動化するな。……いや、便利そうだから使うがな」
俺は、アイゼンの職人たちの誇らしげな顔を見て、ため息と共にその巨大な鉄の塊を船へと積み込ませた。
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『あははは! 見て、魔王様! 「平和の象徴」が「巨大なスタンプ機」なんて、アイゼンの人たちもセンスあるわね!』
空の上で、ノルンが腹を抱えて笑っている。
彼女たち女神は、黒煙という「呪い」を物理的な掃除で解決し、その報酬として「更なる事務の効率化」を手に入れた魔王の姿を、一つの喜劇(コメディ)として完結させようとしていた。
『ねえアストレア、見てよ。あの領主、魔王様が帰るのが寂しくて、こっそり涙を拭いてるわ。……次は、どんな「汚れた場所」をピカピカにしてあげるのかしら?』
(……だめがみ。……寂しいんじゃない。……掃除の厳しさに腰を抜かしただけだろ)
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クリーン・スカイ号がゆっくりと浮上を開始する。
眼下では、アイゼンの民たちが、魔王領の石鹸で真っ白になった旗を振って見送っていた。
「……さて。……次はどこだ、バルガス。……アイゼンの空気は綺麗になったが、俺の胃に溜まった『ストレスの煤』は、まだ落ちそうにないぞ」
「ははっ。次は南方の湿地帯、『腐敗の森』を抱える小国です。……なんでも、湿気で書類がカビて、行政が停止しているとか」
「……カビか。……リリナ、除湿剤の在庫を確認しろ。……テトラ、防カビ仕様のインクを用意しろ。……事務の停滞は、死よりも重い罪だ」
俺の「世界大掃除」という名の終わりなき視察旅行は、新たな鋼鉄の武器(ハンコ押し機)を携えて、次の混沌へと向かう。
「……だめがみ。……次は、湿度0%(パーセント)の加護を頼む。……俺の書類が、湿気でふにゃふにゃになるのだけは許せん」
俺のぼやきを乗せて、船は晴れ渡ったアイゼンの空を、南へと滑り出した。
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