第31話 潜入の王女と、魔王の私生活

 商船団を書類の山で追い返してから数日。魔王領の入国ビザは、人間領の闇市で「伝説のプラチナチケット」と化していた。あまりの審査の厳しさに、もはや正規のルートを諦め、搦手(からめて)から入り込もうとする不届き者が後を絶たない。


「……陛下、お疲れのようですね。新しい家政婦を雇いましたので、少しは身の回りの世話を任せてはいかがですか?」


 バルガスの提案に、俺は死んだ魚のような目で応えた。

「……家政婦? 俺の部屋に他人を入れるな。掃除は自分でやるのが一番落ち着くんだ」


「そう仰らずに。彼女、なかなかの働き者でして。何より、給料が『魔王様のそばで働けるだけで光栄です』という、ブラック企業も驚きの低コストで済みます」


 俺は嫌な予感がして、執務室の奥にある私室の扉を開けた。


 1

 部屋の中では、一人の少女が猛烈な勢いで床を磨いていた。

 艶やかな銀髪を無造作にまとめ、質素なメイド服に身を包んでいるが、その立ち居振る舞いには隠しきれない「品格」が漂っている。


「……おい。お前、誰だ」


「ひゃいっ!? ……あ、失礼いたしました。本日より家政婦として採用されました、シアと申します! 魔王様のお部屋を、塵一つない聖域にしてみせますわ!」


 シアと名乗った少女は、顔を真っ赤にしながら深々と頭を下げた。

 だが、俺の目は誤魔化せない。彼女の手は白く細く、重いモップを持つのに慣れていない。そして何より、その首元には人間領の王族だけが持つ「守護の魔導具」が隠されていた。


 2

「……バルガス。ちょっと来い」


 俺はバルガスを廊下に連れ出し、低い声で問い詰めた。

「……お前、あれがどこかの王女様だって気づいてて入れただろ」


「ははっ、流石は陛下。お察しの通り、隣国の第三王女、シア・ド・ラルク殿下ですな。なんでも『魔王領の教育と衛生環境を直接学びたい』と、王宮を脱走してまで応募してきたそうで」


「脱走!? 国際問題だろうが! 今すぐ追い返せ!」


「それが……彼女、入国審査の『掃除技能テスト』で満点を取ってしまいまして。テトラ殿が『この効率的な雑巾さばきは、我が国の貴重な労働力になる』と太鼓判を押してしまったのです」


(……あの計算バカ、余計なことを!)


 3

『あははは! 王女様がメイド!? 面白い、最高の設定じゃない!』


 天井から、ノルンの爆笑が響く。

 この「王女の潜入」というプロットは、間違いなく彼女が運命の糸をこんがらせて用意した「ギフト」だ。


『ねえ魔王様、彼女に「掃除の奥義」でも仕込んであげたら? いつの日か、彼女が国に戻って「石鹸革命」を起こすかもしれないわよ!』


(……革命なんていらん。俺が欲しいのは、静かな昼寝環境だと言っているだろ)


 俺は部屋に戻ると、シア王女は俺のベッドのシーツを、物理法則を無視したような直角で整えていた。


「魔王様! この枕の角度は、安眠に最適な15度に設定いたしましたわ! さあ、どうぞお休みください!」


「……寝られるか。そんな殺気立ったベッドで」


 4

 俺の私生活という名の最後の砦に、人間領の火種が入り込んでしまった。

 勇者が土木作業をし、聖女が石鹸を説き、そして王女が枕を整える。

 魔王領はもはや、国というよりは「神に見放された者たちの更生施設」になりつつあった。


「……。……これ以上、俺の部屋に人間を増やすなよ。次は、勇者の親父でも連れてくるつもりか?」


 俺のぼやきを聞き流すように、シア王女は「次は窓拭きですわ!」と気合十分にバケツを振り回した。

 俺の静かな休日は、どうやら扉一枚隔てた先でも、騒がしくかき消されていく運命らしい。

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