第27話 魔王領経済白書
魔王領の財務局。そこは今や、この島で最も「殺気」の濃い場所となっていた。
かつての賢者テトラと、人間領から来た老学者エドワード。この二人が出会った化学反応は、俺の想像を遥かに超える、最悪の「効率化」を生んでいた。
「……違うわ。エドワード、この部分の減価償却の計算が甘い。魔族の労働力は人間より持久力があるけれど、食費という名の維持コストが1.4倍なの。それを加味してグラフを書き直して」
「おお、流石はテトラ様! では、この『魔王陛下の昼寝による経済損失』という項目は、機会費用の観点から算出しましょう。陛下が起きていれば得られたはずのGDPの伸びを……」
俺は、部屋の隅で凍りついた。
頼んだのは「溜まった資料の整理」であって、「俺の睡眠を罪悪感で削るための数値化」ではない。
1
「……お前ら、いい加減にしろ。なんだその『魔王領経済白書』とかいう物騒なタイトルは」
俺の声に、二人は同時に、そして同じ角度で眼鏡を光らせて振り向いた。
「陛下、これは革命です。神の奇跡に頼らず、人(と魔族)がどれだけの価値を生み出しているのか。それを可視化することで、私たちは『神話』を『統計』に置き換えることができるのです!」
エドワードが震える声で熱弁を振るう。
テトラもまた、珍しく頬を紅潮させていた。
「……陛下。これ、凄いわ。今まで感覚でやっていた内政が、すべて『数式』で裏付けられていく。これがあれば、来期の予算編成は完璧。……あとは、陛下のやる気さえあれば……」
「そのやる気が一番の希少資源なんだよ」
俺は深いため息をついた。
彼らがやろうとしているのは、この世界から「神秘」を奪い、残酷なまでの「現実」を突きつけることだ。それは俺の理想に近いが、同時に、あまりに味気ない。
2
『……ちょっと! 何よ、あの紙切れは! 私たちの慈悲を、あんな折れ線グラフ一本で説明できると思ってるの!?』
突然、部屋の温度が数度上がった。
女神会議のメンバーが、天界からこの「経済白書」を覗き込み、憤慨しているらしい。
特に知恵の女神リュシエラは、自分たちが授ける「閃き」を「偶発的な外部環境要因」として片付けられたことに、並々ならぬ対抗心を燃やしていた。
『アストレア、見てよ! あの学者、私の啓示を「統計的な誤差」って呼んだのよ! 許せないわ、もっと複雑で予測不能な数式を叩き込んであげなきゃ!』
(……やめろ、リュシエラ。お前が下手に介入すると、こいつらの計算がさらにややこしくなって、俺の残業が増えるんだ!)
3
だが、女神の怒りは止まらない。
その日の午後、魔王領の全域で「奇妙な現象」が起きた。
領民たちが計算をしようとすると、数字が勝手に動き出し、答えが常に「女神様ありがとう」という文字に化けるという、極めて悪趣味な嫌がらせ(祝福)だ。
「……陛下! 算盤の珠が、勝手に祈りを捧げていて計算が進みません!」
バルガスが泣きついてくる。財務局ではエドワードが「これが神の検閲か! 素晴らしい、仮説が証明されたぞ!」と逆に興奮し、テトラは無言でペンを叩き折っていた。
俺は空を仰ぎ、声を張り上げた。
「……リュシエラ! 嫉妬で見苦しい真似をするな! 数式で説明されたくないなら、もっとまともな『奇跡』を起こしてみせろ! 帳簿を改竄するような真似は、知恵の女神の風上にも置けないぞ!」
ピタリ、と数字の暴走が止まった。
図星を突かれたのか、リュシエラの気配が少しだけ恥ずかしそうに遠のいていく。
4
「……ったく。どいつもこいつも、プライドが高すぎるんだよ」
俺は、エドワードたちが書き上げた白書の束を手に取った。
そこには、俺が泥にまみれて作った「普通の日常」が、無機質だが確かな数字となって刻まれていた。
女神も、人間も、魔族も。
みんながこの小さな島に注目しすぎている。
「エドワード、テトラ。……その白書、完成したら俺に持ってこい。……ただし、『昼寝による損失』の項目は全削除だ。いいな?」
「……善処します。……あ、でも、陛下のあくびの回数と生産性の相関グラフは残しても……」
「消せと言ってるんだ」
俺は、再び騒がしくなり始めた財務局を後にした。
平和を守るための内政が、なぜか女神たちの負けん気に火をつけてしまったらしい。
俺の静かな休日は、どうやら「数学」という名の戦場に形を変えて続いていくようだ。
「……だめがみ。……たまには、計算の合わない『臨時ボーナス』でも振り込んでくれよ」
俺のぼやきは、忙しなくペンが走る音の中へと消えていった。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます